明日、9月27日は、掲題の 秋の大祭(後醍醐天皇崩御日)が行われます。 吉野神宮は、
後醍醐天皇を祭神とした神社です。
いつの頃からか、後醍醐天皇に興味を・・といっても、それほどでもありませんが、関心
を持つようになっていたのかもしれません。
鎌倉幕府を倒して、武家中心の社会から天皇中心の社会へと奪還した「建武の中興(新政)」
で有名な、あの後醍醐天皇なんですが、歴史嫌いだった私の学校時代には、そんな名前とか、
建武の中興とかのことば程度で、ことさら気にもとまらなかったというのが本音のところです。
それが、いつしか、大きな時代を造り変えようとした、そして実現したが、その後の愚政
などもあって長続きしなかったし、いっそう世の中を混乱させてしまったのですが、いつの
世も権力闘争がたえない中で やはり特異だと思っているのです。 江戸幕府から明治政府
(明治天皇)も形は同じパターンですね。
そのようなことが印象深くありますが、それと共に、“♫ 青葉繁れる桜井の~”のあの、
「桜井の分かれ」や“♫ 天勾践を空しゅうするなかれ~”の、あの児島高徳など、太平記
に出て来る有名な話題とその物語にある“♫ 落花の雪に踏み迷う~”も、ボートを漕いで
いた頃の歌の出だしにあったり、どうも取り巻く環境に随所に関連する事項があったのです
ね。
振り返って見ますと、当ブログにも、何度か記事アップしておりました。 2014.5.27
「楠公祭」では、足利尊氏との戦いで「桜井の分かれ」があり、 2015.9.26「後醍醐天皇」
では、天皇そのものの活動について、そして、2016.3.5「児島高徳」では、あの「天勾践を
空しゅうするなかれ~」の、桜の木の十文字のくだり・・と3年前から毎年記事がアップさ
れていました。
明日 27日の奈良・吉野にある吉野神宮で、秋の大祭として「後醍醐天皇崩御日」に因む
神事が執り行われるのですね。 1339年に天皇が崩御されて吉水院に安置され、仏教式の
供養が行われていましたが、明治時代に入って神仏分離により1873年には吉水院を後醍醐
天皇社という神社に改め、2年後に吉水神社と改称し、その後1889年明治天皇の意向により
吉野宮が創建され、1892年には社殿も竣工し 官幣大社に昇格し、1918年に吉野神宮と改称
されたとありました。
吉野神宮 外拝殿
(吉野山観光協会HPより) (ウイキペディアより)
ブログ「後醍醐天皇」(2015.9.26)記事の最後の部分にある“感想”を以下にコピペし
ました。
『いつの世も、権力を求めての争いは、その形は違え、世界中どこも同じ構造を繰り返し
ているのですね。そして、その根源には、権欲、財欲に対する人間の本質があり、時代の
流れと共に 手段、構図は変わっていますが、つまるところは同じで、如何に租税を確保す
るかなんですね。 ごく最近の政治の世界でも、政権奪還騒動で混乱をきたしましたが、
ちょうど、建武の中興を成し遂げた 時代背景の読みは正しかったが、それを樹立したあか
つきの 新政の焦りの禍と、新組織体の基盤の脆弱さなどから長期政権は望めないのでした。
今や、盤石の基盤を誇る政権は、留まるところを知らないほどの勢いで新政が繰り広げら
れていますが、急ぐあまり消化不良とならないことを願うばかりです。』
28日の臨時国会開催の冒頭、解散理由がはっきりしない「衆院解散」があり、野党側の
体制が整わない時期を見ての 与党の独走を決める戦術かもしれませんが、強力そうな新党
が生まれ、ドイツ総選挙の結果のようになる(内容は、全く違いますが)可能性もあります
ね。
明日(27日)から、2ヶ月ぶりの蓼科農園に行ってきま~す。