ヒロヒコの "My Treasure Box"

宅録、DAW、ギター、プログレ、ビートルズ、映画音楽など趣味の四方山話

シンセサイザー演奏とラジオドラマ

2012年10月19日 | ミュージック
 1991年頃からの数年間、私は本業の傍ら、シンセサイザー奏者として当時の地元美唄での野外イベントに招かれ演奏していた。プロフィールの演奏写真は当時のものである。シンセ用にアレンジし、シーケンサーに打ち込んで製作していたオリジナル曲が何曲かあり、それをイベントの主催者に聞かせたところ気に入ってくれたのである。初年は2~3曲だったのが翌年からは持ち時間が増え、逆にそれに合わせて新たに作曲するようになっていった。素人なのに我ながら頑張ったものである。メインで出演していたプロやセミプロのミュージシャン達と話すことができたのも嬉しい出来事だったが、なにより、野外のプロ仕様のステージで演奏することの楽しさを実感させていただいた。

 2月の真冬に開催された「雪んこ祭り」というのに声をかけていただいたこともある。この時は雪で作られた特設ステージに機材を持ち込み演奏した。低温状態や雪の中にも拘わらずヤマハもローランドも機材については全くトラブルを起こすことなく動き、無事に終えることができた。寒さのため指がかじかんで私自身の演奏は心許なかったのではあるが。

 その後、岩見沢に移り住んだ頃、今度は地元のコミュニティFM局でラジオドラマ製作の話があり、ラジドラ好きの私は早速担当者に打診した。かねてから、ラジオドラマの劇判(BGM)をやってみたかったのである。これは、自分の映画音楽好きから来ていると思う。これまた、手持ちの曲を監督に聞いてもらうと気に入ってくれて、スタッフとして参加することになった。この時は地元の民話に由来するドラマを2本製作するとのことで、古風で雰囲気のあるテーマ曲を作ってみた。その後3作目は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにしたオリジナル劇が制作された。宮沢賢治も好きな作品だったのでイメージが湧きやすく、最初は取り組みやすいと思ったが、実際には難航した。その理由は、ドラマが4話くらいに及ぶ長編だったこと、劇判はメロディがはっきりしすぎるとセリフの邪魔になり逆効果になるので配慮が必要なこと、そして自分には音楽理論的な裏付けが全くないのでアレンジを含めて形の整った曲までになかなか至らないこと、などであり苦労の連続であった。しかし、それでも既成の曲を使うのは著作権等の問題が生じるため、こんな私の曲でも監督達には好意的に受け止めていただいた。素人作曲家として何ともうれしい限りであった。

 当時使っていたのがヤマハのシーケンサーQX-3である。操作性も比較的簡単で、また屋外で使用しても快調に動き、大変重宝した。しかし、徐々に自分のアレンジ力のなさに限界を感じ、その頃発売となった同じヤマハのQY-300(写真)に変えた。このシーケンサーには音源と共にフレーズがたくさんプリセットされていたので、自分はそれを組み合わせれば良かったのだ。安易と言えばそれまでだが、そのフレーズに触発されて新たな曲想が生じたり、結構使うことができた。それに、このような仕組みは現在のパソコン・ソフトに取り入れられているので、その走りだったのではと思う。

 そのような苦労と出費を重ねて出来上がった自分の曲が、ローカル放送ではあっても電波に乗ってラジオから流れたのは、やはり感動的で忘れられない経験となったのである。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。