rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

痛ましい戦争の傷跡、ジャン・フォートリエ「人質」

2011-04-26 23:19:10 | アート


これは、ジャン・フォートリエJean Fautrier の「人質」シリーズの一枚。
アンフォルメルの先駆者といわれている。
第一次世界大戦と第二次世界大戦に翻弄された人生を歩んだ。
「人質」シリーズは、その凄惨な戦争体験に基づいて制作され、彼の代表作ともなった。
彼の作品は、現実のものから内面的裏付けによって抽出されたイメージを厚塗りの画面へと定着したもので、抽象絵画ではない。
人の狂気によるさまざまな蛮行愚考を見て受けた衝撃を、そのイメージを生々しく画面にぶつけた。
今、世界で起こっている紛争、そして愚行は、この絵に描き出されているようだ。
宗教の名の下に、民族間の遺恨のために、利権を求めて人を虐げたり他国に介入する、そんな荒れ果てた世界を。
家が焼かれ、爆弾で人が死に、子供までもが小さい手に銃を持って戦うような、戦争状態にない日本においても、弱者はその存在を脅かされている。
戦争地域から見れば、一見平和なようだが、地下の見えないところが腐り崩壊しつつある。
じわじわと壊死して、ついには滅亡となるやもしれない。
よく目を凝らしてみてみれば、フォートリエの「人質」があちこちに見えてくるだろう。


小さき贖い人、無力なウッサン「薔薇の館」遠藤周作

2011-04-26 00:12:34 | 本たち
高校1年生のとき、担任で現代国語の先生から、本を2冊借りた。
その経緯を忘れてしまったが、ある日先生から遠藤周作の「沈黙」「薔薇の館/黄金の国」の単行本2冊渡された。
おもうに、本を貪るように読んでいる姿が目に付いたのだろうし、ちょっと変わっていると。

そして、ケースに入ったしっかりとした装丁の本を大事に、でも一気呵成に読んでしまった。

遠藤周作を読んだのは、これがはじめて。
キリスト教者で狐狸庵先生と名乗っていると、朧に知っていた程度。

キリスト教については、高校入学したときに聖書を買って読んでいた。
小さい頃、母が聖書を読んでみるといいといっていたからだ。
かといって、母はキリスト教者ではないし、特別何かを信仰しているわけでもない。
おそらく、道徳の一環として読むように勧めたのだろう。

遠藤周作のこの2作を読んで、ひたすら無力とも無慈悲とも思える傍観者の神に、ただただ救いを懇願する哀れな人々の構図が、胸を締め付ける遣る瀬無さを感じた。
その仲介者としての神父の壮絶な苦しみは、あたかもキリストが味わったような肉体を持った人の苦しみと悲しさを再現しているかのようだ。
「神は、人格を持った存在ではない」という絶対的存在としてあり、人の弱さが神に対して不遜にも様々な要求を一方的に突きつけている。
ただひたすら信じることが、大切なのだ。
揺ぎ無い信仰が、大きな力の源になり、よくあろうと律する心が世界を構築すると、心弱き人にとっては、なんとも厳しい神である。
遠藤周作の登場人物は、この弱さを曝け出し、それでも必死に神を慕おうとする切ないまでの哀れさを持っている。

「薔薇の館」の修道士ウッサンは、特に頼りなく愚かなまでに純真で、無力な自分を知りながらそれでも人の思いを救おうと、毒薬と知ってなお毒の杯を飲み干す。
キリスト教にあっては、自殺は禁忌の一つ、ましてや修道士がとっていい行動ではない。
だが、ウッサンには自分の命で人の希望が繫ぎ止められるのならと毒杯を手にする。
自らの命で、希望を贖ったのだ。
なんと軽く、しかも重い命だろう。
ウッサンの決定を思い上がりだ軽率だと批判したくもあり、その愛の深さを激しく讃えながら悲しんだ。
統合できない気持ちに、きりきり舞いをした。
深い絶望に囚われたながら、まるで深い井戸のそこから遥か頭上に幽かに見える光への出口を切望するように、労りと慈しみに満ちた愛の世界を恋焦がれた。

古今東西、あらゆる場所と時間、人の命は軽んじられあっけなく失われていく。
存在する命みな、人も他の生き物も、大いなるものの前(神)の前では、等価かもしれない。
全ての命を思いやり、愛を持って尊重しあえば、無駄に命が消えていくことを食い止められるのであれば、出来はしないだろうか?

美しく穏やかな景色を見るたびに、子供たちの笑い声を耳にするたびに、花々や虫・鳥たちの生命の息吹を感じるたびに、言いようのない悲しみが心を支配する。
自分の無力を、ちっぽけさを、ひしひしと感じる。
到底、ウッサンになれるほど、強い心を持ち合わせていない。
欲という悪魔に簡単に誘惑されてしまう。
それでも、頭上にきらめく希望の光を諦めることは出来ない。
自分の心を戒める為に、こうして文を書き、悔悛の行としているのだ。

若き心に、ウッサンの姿を通して、深深と人の心の弱さと悲しさ、そして非力さを、心に刻んだのであった。