goo blog サービス終了のお知らせ 

rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

待望の雨 そして霙

2025-03-03 22:46:09 | 日記
4月中旬並みのの暖かさから一転して、今日は気温をぐんぐん下げて雨から霙へと変わっていった。
恵みの雨だと、家人とちょっと激しめの雨音を聞いていた。
これで開花をこらえていたミモザに勢いがつきそうだ。
また、水がなさ過ぎて芽吹けなかったホトケノザやツクシなどの植物も、待っていましたとばかりに育つだろう。
こらえ切れなかったのは、スギ花粉で、一昨日から爆発的に花粉を撒き散らし始めた。
加齢で体質が変わり、花粉アレルギーの反応が出にくくなったかもと喜んでいた私だったが、さすがに一昨日にはアレルギー反応が酷くでて内服薬のお世話になった。
雨が上がり気温が高くなったら、杉の木からもわもわと煙が立ち上るような花粉の飛散を目撃しそうで恐ろしい。
つまり、一気に春が進みそうとうことだ。
うれしいような、恐いような、複雑な気分。
とりあえず、天気予報では、三月はそこそこ雨がありそうで、台地と深く関わる暮らしをしている我が家にとってありがたいことといえる。


2025年の冬は暖かい そして百舌の速贄

2025-01-21 11:47:43 | 日記
今年の冬は、心配になるくらいの暖かさ。
寒いのは嫌だけれど、ちょっと心配になる。
降水量も激減して、霜柱のザクザクと立派なものもしばらくお目にかかっていない。
だから、育苗しているポットたちを露天においたものへの水遣りが、気を抜けないでいる。
ふと視線を上に向けると、見事なまでに鈴なりな杉の花に圧倒されて、今年のスギ花粉の飛散は多いのだろうと覚悟した。
すでに、スギ花粉の飛散が始まっており、花粉に反応してむずむずとクシャミを連発する。
いつまでも同じ状態が続かないとわかっていても、せめて自然のサイクルやあり方の変動は、人を根本から不安にさせるのだろう。

先週、ブルーベリーたちへの声かけをしていた時、小さなトカゲが枝に刺してあるのを発見した。
モズの速贄だ。
そして昨日、ブルーベリーの木にまとわりつく枯葉とクモの糸が絡み合ったものや、枯れた小枝を取り除いていると、今度はカエルが枝に刺してあるのを見た。
トカゲの場所からあまり離れていない木だから、きっと同じモズがやったのだろう。
こうした生き物たちの変わらぬ習性にふれると、少し安堵を覚えるのは、まだ自然の秩序が保たれていると思えるからか。

生き物として、自然に翻弄されるのは致し方ない場合が多いけれど、人の悪意や無関心に翻弄されるのはなんとも我慢ならない。
たとえそれすら自然というものに内包されるものだとしてもだ。
こう考えることが既に、人間を買いかぶっている贔屓目、驕りなのかもしれないけれど。

ゆず湯ってホント温まる

2024-12-07 22:40:34 | 日記
我が家には、庭に柚子の木が二本あり、今年も黄色い実を鈴なりに生らせてくれた。
義父母は、この時期になるとゆず湯を楽しんでいる。
もったいない男である家人は、義父母のところでお風呂に入る。
それは、義父母たちは湯船に並々と湯を張るため、そのお湯がもったいないからだというのが理由らしい。
以前は、長湯ができないタイプだった家人だけれど、今年あたりからは体を温めることを好むようになった。
そこで、家人が気がついのは、「ゆず湯」は体の芯まで温める効果が高いということだ。
毎晩のように、私に「ゆず湯は体が温まるから、柚子がたくさん生っているし、柚子をお風呂にいれて入ったほうがいい」とアピールしてきた。
一昨日、家人が育ちすぎて暴れている柚子の木の剪定をしていて落ちた柚子を回収したため、せっかくだからとお風呂に入れてみた。
たしかに、ゆず湯をかつて何度か楽しんだことはあったが、今回ほどの感動を得たのは驚きだった。
たぶん、歳をとって、その有用性をしみじみと実感できたのだろう。
柑橘系の爽やかな香りはいうまでもなくリラックス効果をもたらしてくれながら、柚子の皮に含まれる油分を手のひらに馴染ませてかさついた踵をマッサージすると、しっとり滑らかになる。
なによりも、湯上り後、いつまでも温かさが持続することは、新たな発見だ。
冬至には、ゆず湯に入る慣習は、だてではなかったのだと思い知らされる。
疲れてリラックスしたい時だけでなく、これから寒い時期には、ゆず湯に浸かる楽しもう。
喪失と獲得について考えていたけれど、加齢が喪失ばかりではないそのささやかなアンチテーゼとして、「ゆず湯を楽しむ」を付け加えることができたのだった。

夏と冬が入れ替わり立ち代り どういうことですか?

2024-10-10 18:44:46 | 日記
このところ、夏と冬が2~3日で入れ替わっている。
一昨日からは、11月並の気温で、強風付きだと体感は10度を軽く下回り、もはや冬。
ぶるぶる凍えて、気分はマッチ売りの少女!
先週末から週はじめには、半そで着用、何ならエアコンか扇風機を使うほどの夏だったのに、どういうこと?
いやマジ、体がついていかないんですけど?
気温の乱高下にしてもほどがある。
また今週末から、夏日の気温の日が続く予報。
なんですか?こう激しいと、何かシャッフルしたい見えざる力が働いているんですか?
人間界隈も、そんな機会が今月末にあるそうですが、どうなんですかね~何か変化が起こるんですかね~?
深海の水も、海面で波が起こればゆっくりと対流して、変化が起こる。
強すぎる力によっての変化は、反動も大きいので望むところではないけれど、今の閉塞した社会システムのままでは、特に深海に近くなるほど酸素が欠乏してしまいそうだ。
チョウの羽ばたきでささやかな空気の流れを起こす、つまり小さな紙切れに意思をこめる行動をする時がきたのだろうか。
時には、怒ることも必要。
おとなしい羊で毛を刈り取られ、最後には食用肉となるのを甘んじて受け入れていて、それでいいのか、自分の胸によく問いかけるころなのだと思う。

秋、秋の気配がやってきましたよと…灼熱ダンジョン終了か?

2024-09-23 17:59:21 | 日記
昨今、世界中で巻き起こる異常気象で、多くの人が被災している。
9月中旬なのに2cmを積雪したオーストリアのチロル地方。
ルーマニアからポーランドにかけての豪雨による大洪水。
日本の能登半島にかかった線状降水帯によってもたらされた豪雨で、洪水や土砂災害の甚大な被害に見舞われている方々。
これ以外にも、まだ多くの地域で災害が起きている。
この自然のとてつもない力に、人々は翻弄されるしかないのだろうか。
被災した方々の、明日の無事を祈るしかできない。

ただひたすら幸運ながらも、我が家は難を逃れている。
昨日あたりから涼しめの北よりの風が強く吹き続けて、ちょっと肌寒く感じるほどだ。
だからエアコンを稼動しないで過ごすことができている。
待望の秋の気配がしているのだろう、白と赤の彼岸花も咲いていた。
これから35度を越す日はないにしても、この苛烈な夏をどうにか生き延びた感慨が押し寄せる。
エアコンがなかったら、死にはしなくても一回は熱中症で救急搬送されたと確信できる暑さだった。
発電によるCO2削減のための太陽光パネルを設置するのに、日本各地で休耕地や雑木林、山間部を切り開いて開発してもう13年以上経つ。
どれほどの樹木や緑地が減ったのだろうか?
山や河川敷では保水能力が失われただろう。
植物によるCO2の固定化が太陽光パネル設置で失われた分量と、発電方法を代替して削減できたと言われるCO2の13年分を換算し比較すると、どちらがよかったのだろうか?
太陽光パネルには耐用年数があり、その廃棄の仕方と排出される有害物質のことを考え合わせると、どちらが合理的なのだろうか?
何度となくこのブログに書いてきたが、太陽光パネルの廃棄処分の安全な仕組みは確立されてきている、もしくはその取り組みに着手されているといいのだが。
もちろん、その廃棄処分に、税金が大量投入ということはありえないのは言うまでもない。
既に補助金がじゃぶじゃぶ投入されているのだから。
設置業者は姿をくらまして、不法投棄もされていよう。
けれど、その甘い誘惑に乗った者たちが、尻拭いを当たり前のように考えているのならば、つまり「世の中なんでもやった者勝ち」が是認されていることになる。
もっとも、ほとんどそんな状況で、力のあるモノたちが跋扈するかりそめの秩序の世界であることは、おおくのひとが肌感覚で感じているようだ。
ずいぶんと毒づいているのは、生命力の塊であるはずの若い人の瞳に、希望が宿っていないことを多く見かけるから。
もし、地球がこんな人類を粛清しようとしているのならば、今からでも改めなくてはならない。
個人のささやかな行いでも、日々積み重ねられることで、大きなうねりになることを期待したいのだ。