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rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

コゲラ再び

2025-05-20 14:22:47 | 生き物たち




コゲラちゃんが、今年は庭のど真ん中に巣を作った。
毎年、敷地のどこかで木をつつく音が聞こえて、「またコゲラがやってきたのだな」と感じていた。
それが今年は、人がよく通る目立つ場所に巣を構えている。
時には、土地の所有者にサービスしてくれるのだろうか。
おかげで、家族みんな微笑みながらコゲラの様子を見守れる恩恵を受けている。
もう十年以上になるだろうか、やはり人の目に付きやすいところに巣を作った時があった。
そのときは、ニコンのコンデジで写真を撮っていたが、今ではスマホと時の流れを感じる。
今回のコゲラたちも、無事にヒナを孵して巣立ちができることを願いながら、見守っていこう。

今年は・・・ミツバチの姿が激減

2025-04-22 18:22:21 | 生き物たち
今年の変異、それはミツバチが少なすぎること。
例年ならば、ミモザの花が咲くと、その周りにはニホンミツバチが飛び交って、ブーンという音が途切れることが鳴くにぎやかだった。
けれど、今年は不気味なほど静まり返って、不安感がぐっと心の中に湧き上がっていた。
その後に続く、辛夷、桜、グミの花にも、ミツバチの姿が増えていく様子は見られない。
この数日、やっと熊蜂が賑やかな羽音を響かせてきた。
このミツバチの少なさは、我が家付近だけかと思いきや、約25km離れたところにある桜の名所?ともなっている職場にも、ミツバチの姿を見かけることは少ない。
先週の後半に行ってきた箱根でも、桜や石楠花、椿が咲いているというのに、ミツバチの羽音は聞こえなかった。
所がかわっても見かけないミツバチの姿に、ものすごく危機感を持っているのは私だけなのだろうか?
差し迫った問題として、今花盛りとなってきた我が家のブルーベリーたちの受粉がある。
昨年よりも花を多く咲かせているだけに、気を揉む事この上なし。
先日ニホンミツバチの蜂蜜をくれた方は、暑すぎる夏によって、ミツバチの活動が低調だったと言っていた。
暑さに強いと言われるニホンミツバチですら生きにくい夏の異常な高温、今年はさらに暑くなると予想されているらしい。
それはもう災害レベル。

今外では、鳥たちが繁殖のために思い思いに囀っている。
命を繋ごうとして懸命な彼らも、地球上にいるため等しくその影響を被るしかない。
もし我々人間の経済活動がこのまま野放図に続いたなら、いったいどうなるのであろうか?
地球上のバランスを崩さないラインを探りながら、慎ましやかに生きることを学ばないと、命溢れるこの星が、早めに死の星へと変貌しそうで恐ろしい。

イノシシの脅威 害獣駆除について

2024-12-02 15:35:13 | 生き物たち
私の住まう地域におけるイノシシの被害が顕著になったのは、2011年東日本大震災以降と記憶する。
原子力発電からサスティナブルな自然エネルギーを利用しての発電に大きく舵を切って、ものすごい勢いで太陽光パネルが乱立しだしたのに同期している。
雑木林や山が切り開かれて、そこを生息地としていたイノシシたちが農地や人家近くへと居場所を移さざるを得なかったのだろう。
また、20年前は、飼い犬の放し飼いが通常であったのだが、ペットに対する扱いの変化と野犬がほぼいなくなったことも、イノシシが人間の活動圏に進出したことも要因の一つと思われる。
もっとも、ハクビシンやアライグマ、まだこのあたりでの被害を聞かないけれど、キョンなど、外来動物が繁殖して、農作物への被害も出ている。
以前このブログに記したかもしれないが、北海道の市街地付近に羆が出没するようになった要因の一つに、その地に生きる人の体感として犬を屋外で飼うことが激減したのもあるようだ。
今日、ブルーベリーの冬の剪定をしていた家人が、昨日手入れした場所がすべてイノシシに荒らされて、しかも木を倒されたり枝を折られたりと憤慨していた。
そこで家人は、「もしかすると、我が家の警備隊として数匹の犬を迎え入れる日も近そうだ」と、本気でつぶやいていた。

害獣駆除には、猟友会の方々の協力が欠かせない。
ともすると、自分たちも危険な目にあうかもしれない大変な仕事だ。
知り合いの猟友会の人が話していたことでは、カラスなどの害鳥駆除とイノシシの大型害獣では、使用する銃の種類が違うこと、対大型害獣の猟銃を扱うには、免許の等級が決まっていることなどあるという。
また、捕獲の罠を仕掛けられるのも、大型害獣用猟銃を扱える人らしい。
命の危険を伴う行為を、公共の益のためにしてくれる方々には、感謝の気持ちだけではなく、それ相応の謝礼も必要だろうし、保障もつけなくてはならいと思う。
けれど、害獣(人にとっての)の中でもっとも危険な羆を駆除してくれる方々への対応が、なんも理不尽といえるようなものであった。
ならば、せめて公共の益に働く消防団と同じように、準公務員級の待遇があってもいいのではないだろうか?
できないと言うならば、警察官や地方公務員がその役を担うならば、問題ないだろう。
野生の動物にたいして、生半可な知識と中途半端な意識で対峙できるのか、想像すらままならないから、今のような事態になっていると思うし、なによりその方々への敬意が感じられない。
本気で必要性を感じるときは、自身もしくは大切な人が実際の被害にあったときなのだろう。
自分に関係なければどうでもかまわないというのは、無自覚の悪意と思われる。

最近、本当に日本人の倫理観が破綻していることを、ひしひしと感じる。
とても嘆かわしく、やりきれない思いだ。

セミもきつい高温地獄

2024-07-29 16:07:29 | 生き物たち
連日、命の危険を感じる酷暑が続いている。
先ほど、15時をまわったあたりから、突然外が賑やかになった。
セミが、堰を切ったようにいっせいに鳴き出したのだ。
アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミたちが、競い合っているみたいに。
あの不快な蚊も、今年は少ない。
35度を超える日が続くと、生存率が落ちるせいらしい。
セミにおいても、35度を越えると熱中症になる危険が増して鳴かなくなるという。
この両者からしても、35度というのはデッドラインの指標になりそうだ。
それなのに人間ときたら、35度を越えて炎天下の中、アスファルトの照り返しと蓄熱による熱射地獄の中でも、さまざまな耐暑グッズを駆使しながら活動を強いられている。
ちょっとでも活動を停止したら経済が崩壊するという、強迫観念に取り付かれているかのようだ。
そうだとしたら、なんと脆弱なシステムなのだろうか。
また、あまりにも偏ったシステムともいえるだろう。
実際、苛酷な環境で労働に従事する人たちには、その負荷に見合わない報酬が与えられている。
完璧なリスク対応の報酬というのは算定が難しいにしても、差が激しすぎるのではないか。
ましてや、この物価の高騰、税負担の激増、治安の悪化、生きるのに楽しさを見出しにくい状況が、さらに進行している。
温度のデッドラインをさらっと突破し、社会状況のデッドラインは煙に撒かれて超えているのすら気づけない現状だ。
生きながら立ち枯れる世界が、既に始まっている気がしてならない。
セミや蚊のように、葉陰で温度が下がるのを待っているということが、通用しないと思えるのだ。

朝はキジ 夜フクロウで おもわれる 聞き耳頭巾 何処に在らん

2024-05-22 15:58:48 | 生き物たち
まったくなっていないけれど、実際良く思うことを歌にしたためてみた。
昨夜の9時過ぎ、洗面所の北窓から、すぐ近くで鳴くフクロウの声が聞こえた。
「ホウ  ホッホウ」
3月のころよりは、声が野太くなっていて、違う個体かもしれないけれど、成長を感じ取れた。
たぶん、家のすぐ横にある杉の大木あたりで鳴いていて、音がしだいに小さくなることから、遠くに移動する様子がわかる。
フクロウが我が家あたりを縄張りとしだしている昨年の夏ごろから、ブルーベリーを啄ばむ鳥たちの姿が減ったような気がしていたが、この春は鳥たちのいたずらで小枝を折られる被害がないことから、フクロウが鳥たちの勢力図を変えているのではという確信に変わりつつある。
いくら我が家の敷地内で起こっていることとはいえ、制空権は鳥たちのものなのでいたし方あるまい。

今朝は、家の北側にあるジャガイモを植えた畑あたりを、大きく立派な体躯のオスのキジがひょこひょこ歩いている姿が見えた。
キジは、派手なカラーリングにもかかわらず、常時驚いたような表情の目がユーモラスだ。
そして、おどおどした挙動不審な動きもそれを増徴させている。
元小さい人の出勤を見送ってから、どのあたりを歩いているかジャガイモ畑のほうを見に行くと、元小さい人の運転する車が畑の近くを通過すると、それに驚いて羽ばたき飛び上がって、20mほど遠くへ移動するところだった。
そのキジのすぐあとをもう一羽続く姿があったので、きっと番のメスだったのだろう。
おそらく番のキジたちは、朝の優雅な散歩を愉しんでいたに違いない。

と、暢気に田舎の自然を愉しんでいる私だ。
脆弱な私にとって、数年人の支援を続けて蓄積された疲労の滓が、どうにか濯がれてきたように思える。
更によりよい支援ができるように、更なる学びを深めて、次へと歩を進ませていきたい。