rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ねこと散歩

2010-10-31 20:37:53 | ねこ
台風が去ったというのに、相変わらずぐずついた空模様。
体調も今ひとつさえなく、ネットを見ながらぼんやりしていると、小さい人が散歩しようとせがんできた。
のらりくらりとかわしていたが、大人として余裕がないように感じられたので、重い腰を上げることにした。

玄関をあけて外に出てみると、やっぱり空からどんよりと鈍い色の雲が垂れ下がっていた。
ポツリと顔に雨粒が落ちてきたりもする。
しかたがないから、鉢植えのある庇に移動して、放置されているバラたちの葉を食い荒らす青虫を探し、時間をつぶしていた。
私たちの話し声を聞いたねこが、「にゃん」と一声かけてきた。
ねこは、縁の下、庭の茂み、エアコンの室外機の上、芝生、とにかく敷地内のそのときのベストな場所を見つけ出してくつろいでいるから、所在は一定していない。
このときは、園芸道具置き場にあったダンボールの中で昼寝をしていたらしい。
私たちも「にゃん」とかえし、ねこを探し当てた小さい人がダンボールからねこを連れ出してきた。
そうこうするうちに、雨が止んだようなので、敷地周りの散歩に出発。
そこでいつもの儀式をと、ねこが催促の鳴き声をあげる。
「ごぁん」
カリカリのキャットフードを一口分だけおわんに入れる。
ねこは、湿気ったえさを好まないし、キャットフード以外はほとんど食べない。
水も、井戸のそばに人がいれば、新しい水を汲んで欲しいと訴えかける。
こうして一口分のえさに満足したら、ようやく前に進めるようになった。

フェンス向こうの崖下に、アケビがぶら下がっている。
熟れて茶色になったものや、まだ薄い藤色のもの。
ねこは、ひっそりと私たちの傍らにいる。
台風で落ちた杉の葉や枝を避けながら、坂道を下り、畑沿いの道を歩く。
ねこは、注意深く、私たちの後をついてくる。
ときどき、つつじや土手の草にマーキングをしている仕草をする。
ふかふかにほぐされた畑の土に、用足ししたりもする。
“椿の道”‐小さい人が命名した‐を通る。
足元に、椿の実がたくさん散らばっている。
すでに木は、1㎝ほどの蕾をたわわにつけ、春を待ち焦がれながら準備に余念がないようだ。
こうして、私たちは、振り出しに戻った。
ねこは、もうついてきていない。
もしかしたら、“椿の道”脇にある納屋で、ハツカネズミの気配を感じたのかもしれない。
あるいは、仲間の声を聞いたのかも…

また、小さい人と散歩するときには、ねこはどこからともなくやってきて、私たちの傍らを歩んでいることだろう。
ときおり、「にゃぁっ」と声をかけながら。
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秘境なのかもしれない、自然の宝庫

2010-10-30 21:23:03 | 生き物たち
あれから、テンプレートを変更すべくあくせくしていたら、「かえる」くんのデザインを見つけた。
自分にとって、「かえる」くんは身近で愛すべき存在。
迷わずこのデザインに変更。
果たして、なんのためらいもなかったといえば、少しだけ嘘になる。

自分の居住する地域は、圧倒的に「緑」が多いところで、つまり「自然の宝庫」。
在来の生き物たちに、免れようもない外来種たちもいる。
そして、「あまがえる」たちは、民家の光に集まる虫を求めて、玄関先、窓ガラスに棲みついている。
家の中で気持ちよく歌っていることも、しばしばある。
そんな日常的「かえる」の存在でも、彼らを苦手とする人々が多いことに思い当たり、偶然にもここを訪れていただいた客人を驚かせたりはしないか!?と、憂慮したのだった。
もし、客人を驚かせてしまうようでしてなら、申し訳なく、また、お気を悪くなさらないようご勘弁願います。

さて、いかなる「自然の宝庫」か?
我が家の半径50m内で出会える生き物。
  鳥類-キジ・ウグイス・トビ・ヒバリ・キツツキ・フクロウ・メジロ
  昆虫―オニヤンマ・ギンヤンマ・ナナフシ・タマムシ・オオムラサキ・ニホンミツバチ・オオスズメバチ・ムカデ  両生類―ヒキガエル・アマガエル
  爬虫類―アオダイショウ・ヤマカガシ・シマヘビ・マムシ・イシガメ
  哺乳類―タヌキ・イタチ・ノウサギ・ハクビシン・ハツカネズミ
非常に大雑把、いい加減だろうが、自分の貧しい知識で見分けられた生き物たちを挙げてみた。
都心からそう遠くないところにも、たくさんの生き物たちが棲んでいるのだ。

生き物の中には、人が生活するのに有害なものもいるが、棲み分けをこころしていかないと、バランスがとれないのではないか?
境界は、鮮明ではなく、緩衝地帯を設けないと互いの距離感を図れない。
ちなみに我が家では、庭が緩衝地帯にあたる。
ヘビが庭を這い、驚きはしても、互いに干渉しない。
もちろん、話し合いで取り決めされたわけではなく、動物の暗黙の了解といった雰囲気が漂うのだ。
田舎…自然の中に暮らすというのは、周りを取り囲む生き物と共存するためにも、五感以上の感性を働かせないと、うまくいかないのだろう。
なんだかこう考えていくと、秘境の中に住んでいる気がする。
いや、こればかりではないのだが、いずれまたそのことについて書くときがあるかもしれない。



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そんなことは、身近に頻発する!?

2010-10-29 15:30:13 | 随想たち
一歩踏み出すには、何が起爆剤たるや!?
好奇心、向上心、物欲・・・いろいろある中で、身近な人の何気ない一言だったりする場合もある。

何かに取り付かれたように、ここ一月半ばかり本を読み漁っていた。
おかげで目は充血し鈍い痛みを伴う始末。
自分ながら、ちと入れ込みすぎた・・・かなと、長らく放って置いた鉢植えの世話をしたり、薔薇などの植え替え予定を立てたりしていた。
そんなとき、家人がぼそりと、「ブログしてみたら?」
大雑把な自分に向くものかと思案していたら、急な発熱で寝込んだことによって、その言葉が頭の中を駆け巡り浸透してしまった。
よって、今日ブログを立ち上げることになった。
だから、まったく飾り気も色気も何もない有様。

しかし、ちょとした言葉、映像、物が、小さな鍵に変化して、このぐうたらな自分を起動させるとは、いまさらながらに驚いてしまった。
そして、鍵穴があったということにも!?
とすると、自分にどのくらい鍵穴が存在するのか、いつ飛んでくるか予測不可能な鍵をうけとめるには、どうしたらよいのか、3D的、4D的に考えると頭が痛くなってくる。

ささないな、しかし侮れない日常の‘何を食べるか?’‘何を買うか?’‘何を聴くか?’‘何を見るか?’のさまざまな選択を行うなかで、さらに小さな鍵がおびただしい数飛来してきているのかと考えると、そんなに鍵穴は存在しないんだろうな・・・と、漠然と思い浮かぶ。

でも、まあ、未知の領域に一歩踏み出すきっかけになる鍵は、出現しても、鍵穴との接合ラインが確保しにくいのではないだろうか?
急な発熱で、頭の中に浸透する機会でもなければ・・・


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