rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

とにかく野菜いっぱいのポークビーンズ

2011-04-06 23:32:29 | 食べ物たち
今夜の食事は、ポークビーンズとバターライス。
硬くて煮込まないと食べにくいキャベツを、どうにかして食べようと思った。
はじめは、ミネストローネにしようと、材料を切り出した。
冷蔵庫にご飯の残り物がたっぷり4人前あるのを思い出し、子供たちが喜ぶバターライスを作り、それに添える感じのものは・・・ポークビーンズ、しばらく作っていなかった家人の好物に変更となった。
ミネストローネの材料に、豚肉と大豆をを加えて水分少なめに作ると、もうすっかりポークビーンズに変身だ。

【ポークビーンズ】  6人前
〔材料〕  豚肉        バラ肉またはコマ肉200グラムを1センチ幅に切る
       タマネギ      大1個を2センチ角に切る
       ジャガイモ     中4個を2センチ角に切る
       ニンジン      中1本を1センチ角に切る
       キャベツ      中玉半分を3センチ角にざっくり切る
       ニンニク       1個粗みじん切り
       トマト        中1個を1センチ角に切る
       大豆水煮缶    1缶
トマト水煮缶    1缶 
       ローリエ       1枚
      コンソメ        2個
      オリーブオイル・塩・コショウ
〔作り方〕ニンニクをオリーブオイルで香りだしをしたら、豚肉を入れて炒める。
     ジャガイモ・ニンジン・タマネギを入れて、油をよくまわすくらいに炒める。
     トマトを加え、炒め合わせる。
     キャベツを入れて、水2カップとトマトの水煮缶・大豆の水煮缶を加え、コンソメとローリエを入れて柔らかくなるまで焦がさないように煮る。このときに、少し酸味を抑えたければ、ティースプーン1杯の砂糖かトマトケチャップを入れてもよい。 
     ローリエを取り出し、塩・コショウで調味する。     
     器に盛り付け、パセリやバジル、またはルッコラなどの緑を飾れば出来上がり。


これは、ありあわせの材料で気軽に作れるし、野菜をいろいろな種類と量をとれるので、多めに作っておくと、朝食にも便利。
辛目が好みなら、唐辛子で辛さをプラスしてもなかなか美味しい。
茹でたマカロニと食べてもいいし、重宝する料理。
野菜をたくさん食べて、体の中から綺麗になるのは、老若男女問わず、いいことではありませんか!



食べ切れなかった食べ物の行方

2011-04-06 00:00:50 | つぶやき&ぼやき
食べ切れなかった残り物は、どうするか?
取り置いて後で食べる、または、捨てる。
我が家では、基本食べきれる量を作る、もし残ったときには、取り置いて後で食べる。
滅多に、残り物を捨てはしない。

家人が若き頃、外国で学生専門のアパートに暮らしたことがあった。
共同のキッチンで、各自料理して食べていた。
週末には家族の元に帰って栄養補給ができるベルギー人たちは、肉を焼き缶詰などの温野菜を添えて食事にする。
缶詰の量は一定だから、そのときの腹具合により、食べきれるときと残るときがある。
残ったときは、どうするのか。
ラップなどをかけて、後で食べるのか。
彼らは、こともなげにゴミ箱へと残った食べ物をざっと捨てた。
その様子に、家人はカルチャーショックを受けたといっている。

ホームビデオが普及した今では、テレビなどで「面白ビデオ特集」「世界衝撃映像」を流す番組がある。
そのなかには、欧米人の日常の1コマが映っている。
子供の躾やダイエット、片付けられない人たちなどを取り上げたときに、食べ残したものをゴミ箱に簡単に捨てる場面がうつしだされるのを何パターンか見かけたことがある。
自分も、その光景に衝撃を受けた。

どうして、まだ食べられるものを簡単に捨てられるのだろう。
先進国で、飽食文化にどっぷりと使っているせいなのか、はたまた、残り物は不衛生で食中毒を起こすから食べてはいけない伝統、あるいは宗教の戒律で定められているのかと、不思議に思う。
ならば、高温多湿の日本こそ、おなかをこわすから残りのもを口にしてはいけない不文律があってもいいのではないだろうか。

しかし、自分のごく狭い体験で、残り物を捨てないできちんと食べきるケースが多いだけで、日本人でも残り物は捨てるという方々が、案外多いのかもしれないと、最近思うところがあった。

それは、子供会の集まりで、仕出し弁当を囲んで卒業生と新入生の歓送迎会を催したときのこと。
子供向けにアレンジされた弁当だったが、小さい子にはいささか量があったので、食べ切れないときには持ち帰っても構わないとあらかじめ伝えた。
ほとんどが加熱調理されていて、なおかつ肌寒い陽気なので、持ち帰ることはなんら問題ないと思っていたが、実際には、1割しか残した弁当を持ち帰らなかった。
弁当の容器を回収するときに、ずしりと重さの残る容器を手にしたときには、心もずっしりと重くなった。

男性の場合には、残り物を持ち帰るのに抵抗がある人が大半であることは、その慣習上いたし方ないだろう(あまり認めたくないけれど。食べ切れる量を注文して欲しい。)
今回の場合は、自分でも家族のために料理をし、家計のやりくりにあくせくしてる主婦たちなのだ。
もしかしたら、弁当が彼女たちの口に合わなかったのかもしれない。
でも、食べ物を粗末にする理由にはならないだろう。
ましてや、子供の躾上、食べ物を大切にすることはとても大切なことだから。

学校給食でも、残飯が大量に出ると聞く。
給食が不味いとか、野菜を食べない子供が多いのが、大きな要因だという。
自分も子供の頃は、好き嫌いが多かった。
でも、おなかが空けば好き嫌いを言っている場合ではなく、どうしても苦手なもの数品以外は食べてしまった。
自分の子供には、一口はどれも食べること、無理なもの以外食べられるものはきちんと残さずに食べきることと、ことあるごとに言い聞かせている。
完食できたときには、褒め、苦手なものを克服したときには、おおいに褒める。
食べ物の大切さ、野菜を育てること、家畜の飼育と食肉処理の苦労、魚を獲る漁師の命がけの仕事、何よりも、他者の命を頂いて自分の命を永らえていることを、家族で話す機会を持つようにしている、食卓を囲んでいるときなどにも。
食べる行為を真正面から向き合うことが、大切だ。

分業が進んだ現在の生活では、家庭菜園で野菜を作っても、家禽・家畜を育て食肉処理を自分の手で行うことはない。
生き物の命を奪う鮮烈な行為を伴わないで、綺麗に切りそろえられた切り身や肉を食べていては、他者の命を頂いている実感は乏しいだろう。
そこは、想像力で補うしかない。
たとえば、自分が屠られるニワトリになる場合でもいいし、ニワトリの羽をむしりとる場面でもいい。
だからこそ、頂いた命は、最後まできちんと頂ききることが大切だと思えてくるだろう。

どうか、食べ物を粗末にしない世の中になってもらいたい。
ただ捨てられる命は、なるだけ少なくして欲しい。
溢れすぎる食品は、心や文化の貧しさを象徴しているだろう。
成熟した精神で、新しい文明・文化を築ける日は、いつやってくるのか、永遠にそれは叶わないのか、一人一人の心にかけられた命題である。