rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

みんな何かに洗脳されてる

2013-01-31 22:18:57 | つぶやき&ぼやき
洗脳されている者は、自分が洗脳にあっているとは思っていない。
イデオロギーや宗教ばかりが洗脳ではない。
洗脳という言葉が大げさならば、すり込み、思い込みといってもいいだろう。
軽い例を挙げるならば、ある音楽のムーブメントに若いときに出会い感銘を受けそれがどの音楽よりも上位を保つとか、先輩に教えられたカッコのいい価値観など、誰しも思い当たることかあるはず。
それより厄介なのは、スポーツ至上主義や友人保有率に平均意識などの、一見大多数の賛同を得られそうな価値基準をもつものだ。
最近、スポーツ至上主義関係で何かと問題になっているが、当事者ばかりでなく、傍観者たちでもその洗脳に気付かず、その問題の根幹が見えていないようだ。
体と心を鍛錬するスポーツのその良い側面と大義名分の効果に目を眩まされて、妄信してしまった場合の行き過ぎた負の部分は霞んでしまうか排除するのだろう。
そして、致し方ないとは言え、自分の信仰しているものを否定されると、ヒステリックになり攻撃的になるのだ。
しかも、まとまった大勢の仲間がいると、さらに声は大きくヒートアップする。
ああ、洗脳とは如何に恐ろしいものよ。
かく言う自分も、きっと何かに洗脳されているはずなのだが、困ったことに自分ではそれを突き止めることができない。
他に大きな影響を及ぼさない些細なことを願うばかりだ。

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マーク・ストランド「犬の人生」

2013-01-30 16:19:40 | 本たち
猫好きの自分にとって、犬に似ているといわれるのは心外だ。
犬にもいろいろあるが、シベリアンハスキーもしくは白の狼なのだそうだ。
つまり眼光鋭い大型犬。
そのせいではないけれど、「犬の人生」というタイトルに惹かれ手にとって見たら、翻訳者が村上春樹ということもあり読んでみることにした。

アメリカの詩人でもあり作家でもあるマーク・ストランドの初の短編集「犬の人生」。
物語は、ズレを生じながらスリップしていく心と出来事、不毛な渇望、美意識などが、シュールな手法で語られている。
どの短編も、読み終えたとき、心に自分の肩幅ほどの丸く冷たい水溜りができる。
ひとつ、またひとつと物語を読み終えるごとに、その水溜りは増えていく。
今、わたしの心には、14個の水溜りが相変わらず居場所を保っている。
これと似た感覚になったのは、ミヒャエル・エンデの「鏡の中の鏡ー迷宮」を読んだときだ。
エンデの場合は、水溜りではなく、鈍い銀色の光を宿すブリキのダクトが長さもまちまちに突き出てくる。
エンデは、厳しく重々しく教訓的な感じがした。
かたや、マーク・ストランドは、軽妙洒脱、でも確実になにかを残していくのだ。
誰しもが心の中に持っている狂気が水底からポワンと浮かびあがってくるさまを、さらりと表してしまう。
蒸留精製された狂気の水溜りは、今もわたしの心に場所を占め、いつでも水溜りを渡り歩くことができるのだ。

おやおや、猫は水溜りにわざわざ足を踏み入れたりはしないから、その点でも犬に似ているかもしれない。
でもやっぱり猫がいい。
水溜りに足を踏み入れてしまって、足をふって水を払う猫の愛らしい姿に憧れるから。



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清楚で色白美人な、切干大根

2013-01-28 22:08:43 | 食べ物たち
今夜は、牛肉ジャガと切干大根の炒め煮、ツナ入りマカロニサラダだった。
切干大根は、毎年義母が、丹精込めて作る。
畑で作った大根を、切干大根用の大きなスライサーで細く切り、網の上に広げて天日で干していく。
寒く空気の乾燥した一月から二月にかけてが、きれいに干しあがるという。
それを、一週間くらいまめに世話をしながら干す根気の要る仕事。
でも、その甲斐あって、義母の作る切干大根は、からからに乾き真っ白くて気高く美しい。
義母は、見事に出来上がった切干大根を、湿気ないせんべい用のポリ袋に一回分の量を入れて、知人に分けたりしている。
誰もがその白い切干大根に驚嘆の声を上げ、惜しみない賛辞を贈るのは言うまでもなく、それが毎年切干大根を作り続ける義母の励みとなるのだ。
私は、その白く美しい切干大根を使って、切干大根の炒め煮を作った。
切干大根を水で戻しているとき、水を含んで白さを増す切干大根を見ながら、義母の手仕事の丁寧さを思う。
昔から、家族のために骨身を惜しまず働いてきた女達のDNAの一端に触れ、無私の愛に、感謝の念と切なさを感じる。
自分がその境地に辿り着くにはまだまだ遠い未熟者であると思わずにいられないくらい、切干大根は凛とした光を放っていたのであった。
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歌舞伎物ドラゴンフルーツ

2013-01-27 15:23:22 | 食べ物たち
先日、買い物に行ってお楽しみのびっくりフルーツを調達した。
ショッキングピンクの果皮に緑色の葉のようなものがついている。
それだけでもセンセーショナル。
帰ってから子供たちに見せると、案の定興奮した。
次の朝、ドラゴンフルーツを食べるために、まず縦に二等分に切る。
すると、その断面はショッキングピンクの果皮で縁取られ、真っ白で均一な果肉の中にゴマよりも小さい粒の真っ黒な種がびっしりと散らばり、外見を上回る奇抜さに、思わず声を上げて笑ってしまった。
果実を四等分にして、メロンのように果肉と果皮の間に包丁を入れ分離し、果肉を食べやすくカットした。
皿に乗せて、子供たちのところへ運んでいくと、子供たちも目を丸くして驚き笑い声を上げる。
さて、そのお味は・・・家人と中くらいの人が申すには、「キウイを極薄にした味で、食感は長いものようにシャリシャリとしている。」
あえてまた食べたいものではないと、家族で意見が一致した。

でも、本当のドラゴンフルーツは、極薄味のキウイではないらしい。
サボテンの果実のドラゴンフルーツは、ほぼ輸入品しか日本で流通していない。
完熟させると糖度が高くなるが、それでは日持ちがしないので現地でしか食べられないという。
本来のドラゴンフルーツを食べる機会は巡ってきそうにもないけれど、話のひとつになるくらいに家族の心に残ったはずだ。

さて、この次はどんなフルーツで楽しめるかな?


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カウボーイと開拓魂、アメリカのサン・アントニオ

2013-01-26 16:50:31 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」アメリカのテキサス州内陸南部に位置し、メキシコまで車で3時間とメキシコに程近いサン・アントニオ。
街の中心にあるテキサス独立戦争の戦跡”アラモ砦”は、ジョン・ウェインの西部劇でも有名なところだ。
今では名所のひとつ”リヴァー・ウォーク”は、”アメリカのヴェニス”と謳われる観光スポット。
リヴァー・ウォークに沿って遊歩道が作られ、観光船のクルーズを楽しんだり、レストランなどの店も立ち並んでいる。
「テキサスは何でもでかい」に表われているように、テキサスでは大きいことはいいことのようだ。
おみやげ物屋には、マグカップにカウボーイハット、ウエスタンブーツなどさまざまにビッグなものが置いてある。
大きい物はこれだけではない、食べ物のサイズも超ビッグ。

では、ビッグなグルメリポート開始。
”テキサス・ブライド・BBQ"では、巨大な肉を提供している。
ブリスケットという牛肩バラ肉は硬く、その巨大な肉の塊にたっぷりのチリパウダーを振り掛けて、香りの強いメスキートという木でスモークしながら14時間かけてじっくりと焼く。
そうすると、硬い肉がプラスチックのナイフでもすんなり切れるほど柔らかくなるのだ。
燻製がかった肉の味は、テキサスを感じさせるものだという。
”ルルズ・ベーカリー・カフェ”では、巨大シナモンロールひとつ、なんと1.3キログラムもあるものが、アメリカ各地から注文が来るほどの人気の商品。
どちらも、とても一人で食べきれる量とは思えないけれど、アメリカ人のあの体格をもってすると、やや多い程度なのかもしれない。

サン・アントニオから車で1時間のところに、”パンデラ”と言うカウボーイの首都の街がある。
いまから100年前、牛の取引の中心地として栄えた。
ここには、カウボーイを体験できる施設”フライングレー・ランチ”がある。
そこでは、雄大な自然の中での乗馬体験をした後、カウボーイ・ブレックファーストの「カウボーイ・オムレツ」が食べられる。
このオムレツには、パラペーニョがたっぷりはいっていて、メキシコ的でもあり、かつてこのあたりの領有権がメキシコにあったことの名残を感じさせるのだ。

どこでもリラクゼーションは人気があるようで、”ダサ・スパ”では、グレープシードオイルを使ってのボディーマッサージを行っている。
グレープシードオイルには、血行促進の効果があり、これから人気が高まる兆しがあると言う。
また、美容でちょっと変わって低価格かつ合理的なところがある。
”アヴェンダ・インスティテュート”は、ヘアーアーティストの育成所で、カットモデルをすると1800円程度の低下価格でサービスが受けられる。
ヘアーアーティストの卵たちの丁寧な仕事と、最後に指導者の念入りなチェックと手直しがあるので、リピーターが多いらしい。

サン・アントニオのおみやげ物屋で扱っている、ある豆には大変驚いた。
その名も”ジャンピング・ビーンズ”。
平らなところに置いておくと、プツンプツンと豆が勝手に動き出すのだ。
ああ、なんと豆の中には小さなカブトムシの幼虫のようなものが寄生していて、温まると暑さに驚いて体を動かし、その弾みで豆が跳ね動くのだ。
知らぬが仏、中を見てびっくり仰天、ヒーッと悲鳴を上げてしまう。
絶対、この”ジャンピング・ビーンズ”のお土産は勘弁してもらいたい。
こんなことを経験したことがあるだろう。
ピカピカと艶のあるクリやドングリを、子供は大切に宝箱にしまったりする。
ふと思い出して箱の蓋を開けてみると、箱の中に頭が黒っぽくて体が白くぷんぷんに太った小さなイモムシが驚くほど蠢いているのを発見する。
ぴかぴかのクリやドングリには、ぷちっと丸く小さな穴が開いていて、ここから虫が這い出してきたのだ。
明らかに、クリとドングリの体積より虫の体積が勝っている。
もぞもぞと蠢く無視の存在と釣り合わない体積比、その得体の知れなさが、芯から身を震え上がらせる。
恐ろしい体験だ。

テキサス、西部劇、と言うと、荒野や砂漠を連想する。
しかし、テキサス州に意外と砂漠は少なく、草原や森林があり、豊かなところなのだ。
だから、牛を放牧するカウボーイが活躍したのだろう。
豊かなところは、その領有権を巡ってたびたび争いも起こる。
もともとインディアンの多数の部族が暮らしていたところ16世紀にスペイン人がやって来て、次いで短期間だがフランス人、そしてメキシコ、19世紀中から今に至るまでアメリカ、暗い歴史がこの地に残っている。
「テキサスは何でもでかい」この言葉は、最後にこの地を支配した白人系アメリカ人の驕りが端的に現れているようで、片腹痛く感じるのであった。



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