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rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2025年4月4日 ヒルマ・アフ・クリント展と「行く春」

2025-04-10 12:01:01 | 展覧会など

ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物、グループⅣ、No.3、青年期》






ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画、グループⅤ、No.1》

桜が咲き誇る麗らかな日に、絵を見に行った。
皇居に面した場所にある東京国立近代美術館では、「ヒルマ・アフ・クリント展」と桜に因んだ収蔵品を展示していた。
ヒルマ・アフ・クリント(1862年~1944年)は、スウェーデン出身の女性の画家で、抽象画家の先駆者と言われている。
彼女は知る人ぞ知る画家だった期間が長く、脚光を浴びたのは2018年グッゲンハイム美術館での大回顧展だったようだ。
美術の世界においても、女性はマイノリティーな立ち位置の場合が多く、近年のジェンダー運動によって発掘されたものではないかと思われる。
もちろん、作品としてクオリティーが高くなければならないことは必然だ。
私自身の判断としても、作品に魅力を感じたから足を運んだので、彼女の作品が今まで認知されなかったことは少なからずもったいないと思っている。
今回これらの絵を見て感じたことは、彼女の絵は、日本人の感覚に親和性が高いということだ。
特にその色合い。
使っている素材、つまり支持体が紙であり、色の出方がマットでやや沈んだトーンになっていることから、室町あたりの着物と色とその意匠がオーバーラップしている。
一瞬、国立博物館の着物を見ているような心持になった。
たとえば、絵の具を油絵の具にしても、彼女はその艶を排除している。
「祭壇画、No.1」ならば、黒地の着物を髣髴とさせるではないだろうか。
画面を象徴的なモチーフで構成していても、それがあまりにもグロテスクにならないようにしているところも好ましい。
女性作家の傾向として、身体的、生物的にダイブしすぎてしまい、内臓を連想させるグロテスクさが多い。
ルイーズ・ブルジョワは、まさにそれが強く出ている作家で、しかも黒魔術的なところが、私には受け入れがたいのだ。
私としては、かなり見てよかった展覧会だった。

そして念願かなって、川合玉堂の「行く春」に対面することができた。
リアルな桜ももちろん美しいが、ここに描かれた桜は、桜の持つイメージの総体が具現化されている。
散る花びらの風情は、まさに凝縮されて表現されており、玉堂がどれほど散り行く桜を凝視し受け止めたかを感じられる。
しかも、近くで見ると薄紅色の色の斑紋だけれど、離れてみるとありありと花の姿が立ち現れるところに、まるで西洋と日本、17世紀と20世紀を跨いで、ディエゴ・ベラスケスと川合玉堂が合間見えたかのような衝撃を受けた。
本当に見に来てよかった。
この感動は、実物に対面した時にしか味わえないものだから。

さて、画像はないけれど、東京都美術館で開催されている「ミロ展」にも足を運んだ。
上野は、満開の桜に引き寄せられた花見の人で溢れかえっていた。
それはそう、桜の花の美しさは毎年変わらずにやってきても、人の時間も流れて留まることがなく、今このときの感動を得たいと思うのは、至極自然なことだから。
それで、その「ミロ展」は、「星座シリーズ」と初期の丁寧な画面作りは良作で見ていて楽しめた。
本当にまじめで丁寧な絵作りをする作家なのだと尊敬した。
けれど、彼のよさを紹介するには大味な展覧会の構成で、ちょっと満足度は高くなかった印象だ。
彼のまじめな遊び心が、もっときちんと人に届けられたなら、多くの人がミロを好きになってくれるだろう。

それにしても、こうして絵を見に来られるということは、なんと幸せなのだろうか。
暖かな春の陽射しと、ちょっとだけ冷たい空気が、桜の花の彩りに輪郭を持たせて、展覧会周遊を盛り立ててくれた一日だった。




川合玉堂 「行く春」六曲一双


2024年11月13日 田中一村展

2024-11-18 17:53:28 | 展覧会など






晴れて暖かな11月の平日、家人と美術館デートをした。
12月1日まで上野の東京都美術館にて「田中一村展」を開催されており、ずいぶんと盛況のようだが、平日ならばふらりと訪れるのも悪くなかろうと、気軽な気持ちで出かけたのだ。
ところが、JR上野駅公園口を出たとたんに広場には多くの人々がいて、日ごろ視界に入る人間は10人未満の田舎暮らしにとっては、目が眩む光景だった。
しかし、平日とはいえ絶好のお出かけ日和だから、これも自然なことと受け入れて美術館へ歩みを進める。
上野の公園に聳え立つ立派な樹木を眺め、人がよりよく過ごすにはゆったりとした自然を持つ公園が不可欠だと家人と語り合いながら東京都美術館に着いた。
時刻は10時45分ごろで、早すぎはしない期間だが、当日券売り場には長蛇の列ができていた。
ネットでチケットを購入していなかったため、この列に加わり、チケット売り場が視界に入ったころには、列の最後尾は建物の外にも長く伸びていた。
もう、嫌な予感しかしない。
絵を見ているよりも人の頭頂部を見ている可能性が、飛躍的に高まった。
列に並ぶこと45分、やっと会場に入場すると、前に進むことが困難なほど入り口付近が混雑していた。
会場は3層になっていて、入場階の最下層は、初期の南画が主に展示されていた。
そこはもう早々に諦めて、その上の階へ進むと、少しは歩ける空間があり、空いているところから絵を見始める。
南画より花鳥画へ舵を切ったころで、まじめで研究熱心な感じの酒井抱一を髣髴させる絵が続く。
そして最後の階では、奄美大島に腰を据えて、南国の動植物を丹念でグラフィカルな画風へ進展させていった。
南への憧憬がそうさせるのか、後期の大作群には、アンリ・ルソーの雰囲気に通じるものが感じられた。
田中一村は、ただただ自分の描きたいように描くために、所謂美術界の中央から遠く離れた場所へ移り住み、自由をなにより大事にしたのだろう。
物理的に断絶しなくてはならないほど、己に侵入してくる情報から身を守ることは難しい。
現代では、なおさらそれは困難を極める。
電波も物資も届かない局地を探し当てて、そこに移ったとしても、それは個人的状態だけなのであって、きっぱり遮断することはできないだろう。
また、それができたとしても、人は他に依存する度合いが高い生き物だから、さすがに荒唐無稽すぎかも知れない。
ただ、田中一村の矜持は、凄まじいものがある。
とにかく、これほど混雑した展覧会に驚いた。
東京国立博物館で開催されていた「はにわ展」にも足を運びたかったのだが、もう戦うエネルギーが尽きてしまったため、早い撤収となった。
混雑した要因は、多い作品数を展示するために会場を細かく区切ったこととで、鑑賞スペースの引きと作品の間隔が、狭かったことだ。
また、メディアをうまく使った広告で人が興味を抱いた、これは喜ばしいことでもあるが、集客がよかったのだろう。
これほどの作品数を展示するならば、もう少しゆとりを持たせた展示が大切だと思う。
まるでイモ洗いのように、生産ラインに流れていくモノのような感覚を持たせるようでは、文化度合いの低さを現しているように思えたのが残念であった。


アンリ・ルソー「蛇使い」

国吉康雄展 不安と孤独

2023-12-01 23:14:57 | 展覧会など

安眠を妨げる夢

イチョウの黄葉も終わりそうな抜けるような青空の日、茨城県立近代美術館で開催されている「国吉康雄展」に行ってきた。
国吉の代表作がほぼ集まった、見応えのある展覧会だ。
中期までの茶系を多用したアンニュイな表情の女性やプリミティブな雰囲気の風景から、後期の鮮やかな色調で不気味で幻想的な作品へと、画家の変遷を辿れる。
二つの世界大戦をアメリカで過ごし、様々な経験から紡ぎだされたこれらの作品には、人物を描きながらも人間嫌いではないかと思わせるものが漂いだしている。
そう思ってしまうのは、私が勝手にうがった見方をしているにしても、人が登場しない作品のほうに、強い集中力を感じるからだ。
しかし、平日だったためもあって、人の気配に乱されずじっくりと作品と向き合うことができ、贅沢な時間を過ごせた。
地方の美術館ならではのゆとりだろう。
実にありがたい。


ミスターエース


2023年8月4日 テート美術館展 その2

2023-08-07 22:15:50 | 展覧会など

ジョン・ブレット 「ドーセットシャーの崖から見えるイギリス海峡」


ホイッスラー 「ペールオレンジと緑の黄昏ーパルパライソ」

ホイッスラーの風景は、劇的な光の操作など行なわれていないけれども、狭い諧調の中に無限が存在するかのような含みのある色合いをあっさりと見せている。
私にとっては、ブレイクとともにこの展覧会を見て、画像と共に紹介できる作品のうちでは収穫といえる。
大好きなマーク・ロスコの作品が2点展示してあったのだが、これは撮影禁止ということでここでの紹介はない。
現代美術のインスタレーションとして、ペー・ホワイトとオラファー・エリアソンの両者が好みだった。
両者とも実に軽やかで、影を従えて"光”の一面をよく表していた。
幅広い作品傾向を一堂に会させた、とても見て楽しいよい展覧会であったので、ぜひとも足を運んでいただきたい。
国立新美術館で、10月2日まで開催している。


モネ 「エプト川のポプラ並木」


ペー・ホワイト 「ぶら下がったかけら」


オラファー・エリアソン 「星くずの素粒子」

2023年8月4日 テート美術館展 その1

2023-08-05 23:11:33 | 展覧会など

ウィリアム・ブレイク 「アダムを裁く神」


ウィリアム・ブレイク 「善の天使と悪の天使」

体温越えの東京に、絵を見に行った。
国立新美術館で開催されている「テート美術館展」は、18世紀から21世紀までの絵画から立体作品を、”光”をテーマに展示していた。
私の好きな芸術家であるウィリアム・ブレイクの水彩画が2点あり、なかなかお目にかかれない作品なために、期待が増した。
ブレイクの作品の中では、明るめの作品で、確かに光を感じるものであった。
イギリス偉大な作家の一人であるターナーの作品は、印象派や抽象画の先駆者とも言われ、説明的な表現よりも茫洋と境界のない色で画面を構成する思い切りの良さに、うらやましさを感じる。
また、主に風景画の名手として名高いジョン・コンスタブルの小品ではあるが、上品で落ち着いた作品に目を休めさせてもらえた。
このところの激烈な気温で疲れた心を癒す、一服の涼といえる色合いが心地よかった。


ターナー 「陽光の中に立つ天使」


ジョン・コンスタブル 「ハリッジ灯台」