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ニコマス過去の名作紹介(30)

2013-03-22 23:58:14 | アイマス・ニコマス
だいぶ御無沙汰してましたニコマス動画のコーナーですが。(;^-^)



 過去の名作、と銘打っている割りには新しすぎる、最近のシリーズにスポットを当ててみましょう。

 また今回も、ひとつの特定シリーズのみのご紹介です。




動画化:武蔵野P 脚本:ばんなそかなP
【Novelsm@ster】チハと千早 第1話 プロローグ




動画化:武蔵野P 脚本:ばんなそかなP
【Novelsm@ster】チハと千早 第2話 ライブ




動画化:武蔵野P 脚本:ばんなそかなP イラスト:百合根P
【Novelsm@ster】チハと千早 第3話 休日




動画化:武蔵野P 脚本:ばんなそかなP イラスト:百合根P
【Novelsm@ster】チハと千早 最終話 ココロ






 2012年10月05日から2013年02月25日までの全4回。

 残念ながら、私はリアルタイムで観ることが出来ませんでした。


 では、どうしてこちらの作品に巡り逢えたかと申しますと、元となる脚本がPixivに投稿されたからでした。



ばんなそかな
チハと千早【原案プロット】



 私、このシナリオに深く感銘を受けましてね、その後にやっと動画の方を拝見できたのです。

 動画化に際して、三人称プロット(第三者視点)から一人称(主人公視点)に変更されていたり、元に無い台詞を追加されたり、チハの様子を忠実に映像表現するなどいろいろと練られていますが、私が最も驚いたのはフェードのセンス良さと、キャラクター群の心情表現でした。微妙なところで微妙な感情の動きをつぶさに表現されています。



 他のPの作品ですが、こちらを思い出しました。



おしるP 【Novelsm@ster】ノベマス製作メモ



 6:42の言葉が印象的でした。

 曰く、「立ち絵選びはアイドルへの演技指導に等しいと思います」だそうで、全く同感でございます。













 こういった『感情の動き』が、先程のシリーズでは細かく描写されていると思うのですよ。

 いえ、今の例は立ち絵の選択についてのお話でしたが、シリーズは絵の選択だけでなく、微妙な切り替わり、またそのタイミング、動かし方、フェードのしかたまで、これは紙芝居や劇なんかではなく、実際にまさに今、起きている出来事なんですよ、という臨場感があります。細かいところまで生々しいんですよね。

 そして百合根Pの一枚絵…………”千早好き”らしい挿絵ですよね。なんと言いますか、千早のクールな仮面が、某かの込み上げる感情で弾けてしまって、弱さが露見した時の描写がお得意のような印象です。




 シナリオに関しては――――――













こっからネタバレするよ!!(^-^;)


先に脚本なり動画なりみてね!!













本当にネタバレするよ!!!(;^-^)











 あくまでも、私個人の解釈なのですが。

 このシリーズで『チハ』は、ひとつの象徴なのではないかと思います。


――――プロデューサーの言いたいこと、よく解りません。


――――私にはそんな感情ありませんけれど。


――――カワイイ…………、ですか?


――――私は、歌を歌いたいんです。他に興味ありません。


 頑なに周りとの交流を拒んだ過去の千早(アイマス1)、これがまずアンドロイド、即ち『チハ』の兄弟(姉妹)なのではないか。

 感情、ココロを持たないアンドロイド。千早は過去にそうあろうとした。何故か。愛する弟を突然失った時、それらを一緒に墓へしまいこんだつもりだったから。


 アイマス1衣装を纏う『チハ』は、その『私』のはずなのに、何故かココロを持とうと試みる。

 しかし、「楽しいと定義付けられた信号の発生は確認できません」「私の中に、ココロという機能が確認できないのです」と言い放つ。


 目は口ほどに物を言う。アンドロイドのセンサーは物言わずとも、ディスプレイは時に緑のまま、また時には意味深な赤となり明滅する。

 本人が表現を自覚出来ないだけで、慣れれば周囲はココロの動きを見出せるし、千早自身も”なんとなく”察知してしまう。


 フェイクスキンを外せば、同型機と変わらぬアンドロイド。歌を歌うマシーン。

 ディスプレイの表現はエラーの証。私に感情(ココロ)など見当たらない。


――――千早、ココロとはなんなのでしょうか? 

――――短い間でしたが、あなたと出会えたことは、”嬉しかった”。


 チハは、過去の『私』同様、矛盾に気付かない。

 現在の『私』(アイマス2)は、それに気付いてしまった。


 そして”再び”、分身を失う。エラー。エラー。エラー。

 如月重工は修復不能を告げ、事務所に多くの涙が流れる。


 ”チハと最後の言葉を交わした時”には顔をぐしゃぐしゃにしたが、

 ”こうなる予感があったから”、”私はもう泣かなかった”。


 最後の言葉を交わせなかった弟の時と違い、今回はココロの準備が与えられた。

 チハは最後の会話で、どんな愛情表現を花に込めたのだろうか?


――――フェイクスキンを取っても、千早は識別可能です。

 仮面に隠された、千早のココロが”嬉しかった”。

 そう言いたかったのではないか、と思えてくるのです。



 

 もっと、もっと歌が上手く歌えるようになりたい。

 そう望む千早が、『あまり感情をのせない歌い方』から脱皮しようとするチハに触れる。


――――がんばったね、チハ。

 『私』も頑張ろう。歌に感情(ココロ)をのせよう。

 仮面を外した千早が、これを機に成長してゆく……………………なぁんて。




 いろいろな可能性を考えさせられる、深い作品だと思います。


 皆さんの解釈は、いかがでしたか?






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