リーチ君のお散歩日記

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影奉仕 10月第3週金曜日

2008年10月17日 | 影奉仕
こんにちは。今日は第3金曜日の影奉仕の日です。第3金曜日は原の名所を散策しながらの影奉仕です。先月は帯笑園で終わりましたので、今日はその続きからです。ではいざ出発!ちなみに帯笑園の入口が面している我がホームグラウンド、興国寺城通りは旧国道一号線から根方街道まで綺麗に一本通ってる数少ない道です。だから興国寺城跡から見える景色は海まで一直線で素敵。綺麗なんだな、これが。だから近くに言って幻滅しちゃうようなことは駄目なんです!綺麗にしなきゃ駄目なんです!


旧東海道まで少し戻ったら、東へ向かう。ちょっといくと今日のメインである白隠さん生誕の地の石碑があります。

さらにちょっと東に行くと我が母園、天神保育園のある西念寺につきます。では西念寺の説明は龍さんのプログから(笑)

【西念寺(天神さん)】時宗。以前は山門・観音堂等があり、望海景勝(ぼうかいけいしょう)の寺であった。浮島原に常休庵・休心坊などの末寺もあったが、延宝年中火災により堂字等を消失し、明治26年鉄道火災によって、本堂等類焼する。現在の本堂は大正15年に建立したものである。境内に入って左手に菅原道眞(すがわらみちざね)公 をお祀りする天満宮(昭和58年再建)があり、西念寺門前で生まれた「白隠禅師」も、幼少の頃よくご参詣したという。 毎月24日には二夜(にや)講が開かれ、7月には地域住民が多数参加し、天満宮祭典が開催される。

そうそう。そういえば、ここには北野天満宮があったんだね。忘れてた。困った時の神頼み(笑)試験前には参拝に来てみては?


西念寺を出てもうちょっと東に向かうと、原の偉人「白隠さん」の松蔭寺に着きます。ここの説明も龍さんのプログから。

【松陰寺(白隠さん)】一休や沢庵和尚と並んで庶民に親しまれた江戸中期の名僧 「白隠禅師」(1685~1768)ゆかりの寺です。 臨済宗の古寺で、歴史は約700年あり、名僧白隠が住職になってから特に有名である。現在は臨済宗白隠派大本山である。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれた【白隠禅師】は、駿河国原宿長沢家の3男として貞享2年(1685)に生まれ、幼名を岩次郎といった。10歳で出家14歳で慧鶴の名を得て19歳からは諸国修行を重ねた。1704年美濃大垣瑞運寺~ 宝永3年伊予松山正法寺~宝永5年越後高田英厳寺~信濃飯山正受老人~1712年遠江龍谷寺~1714年伊勢山田建国寺~若狭円照寺~河内法運寺~和泉蔭凉寺~信濃保福寺~1715年美濃巌滝山~1716年父の病で松陰寺に戻る。享保2年(1717)松蔭寺の住職となり、翌3年34歳の時京都妙心寺の第一座となった。その後、禅の大衆化を図り、ついに50 0年に1人と言われるほどの高僧となり、臨済宗中興の祖と仰がれた。その他白隠は禅画を確立した事でも有名 好んで釈迦,観音,達磨等を描きその名も高い。「擂り鉢の松」特に親交の深かった備前岡山池田氏は白隠の求めに応じて備前焼の大擂り鉢を贈りました。白隠はある日、庭の松が台風で裂けたため、雨よけにと擂り鉢をその裂け目にかぶせました。松はこの擂り鉢をのせたまま育ち、今も「擂り鉢の松」として親しまれています。原宿の旧本陣(渡辺本陣)の門と松が、松蔭寺内に移築されています。山門手前に「白隠の里案内図」が設置(2008年3月)されました。

白隠さんって、工事中なんだね。新しく建物を作ってました。完成予定は再来年の春。再来年の白隠さくら祭りはさぞかしお祝いムードで華やかなんだろうな(笑)確か2代目だっけ。鉢も相変らず乗ってます(笑)



今日は長興寺の参道入口で終了です。来月は長興寺の中からはじめていきます(笑)長興寺の信徒さん?檀家さん?朝早くからお掃除熱心で素晴らしいですね。
自分の方はというと・・・。収穫かなり少ないです。マナーがいいからだよ!と言いたいのは山々なんだけど、やっぱり旧東海道は歩道が狭いから人通りが少ないのかな。物足りない顔しているゴミ袋2つと行方不明になった赤トング君のピンチヒッター、ノーマルトング君で記念撮影です。


最近、ゴミ拾いにソラを連れて行くのはやめました・・・。だって、あいつがいると邪魔なんだもん。すると必然的に影奉仕の日は散歩が無いので、前の日は一緒に寝てやることにしています。どうやらこのブログにソラのファンがいらっしゃるようなので、今朝の奴の寝起きを写真におさめときました。ファンのゆっこさん、どうぞご堪能あれ(笑)うんうん。ではまた。


西念寺
住所 沼津市原120
西念寺

松陰寺
住所 沼津市原128
松蔭寺