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海外ドラマ「ウエストワールド シーズン1」の解説VOL3

2022年06月03日 18時56分37秒 | 映画
それにしても黒服は格好良い。シーズン2のジェームスデロスへの実験と、奥さんの最期を見ればわかるのだが、この1-1現在の黒服は、奥さんを亡くしデロスの実験も終わらせた後(あるいは直後)の苦悩が深い状態での来園である。
 黒服は会社の経営への熱意は完全に失われている。シャーロットヘイルに経営を任せ、娘が言うように自分を罰したいという気持ちがあったのだろう。

「お前に先に撃たせてやる」黒服はそうテディに言う。これは1-10で若きウイリアムが、傷ついて逃げたドロレスを助けるために、コンフェデラートスを皆殺しにしている時に言ったセリフと同じ。
 ところが1-1では、ドロレスは黒服によって傷つき、それを阻止しようとするのはテディである。つまりこの場面は、テディを若きウイリアムに、黒服をドロレスを犯そうとするコンフェデラートスになぞらえているのだ。
 このメタファは何をいいたいのだろうか?黒服がテディやドロレスに、自分がかつて受けた苦しみを同様に与え、覚醒を促していると考えればいいのか?あるいは、黒服がテディにかつての(一皮むけるまえの)自分自身を見て、嘲笑ってるのを象徴しているのか?
 いずれにせよ、そのような意図が監督によって重層的に張りめぐらされていることは間違いない。なぜならこのシーズン1には無駄なシーンがほぼ無いからだ。些細なカットにも必ず意味を持たせているのがシーズン1の特徴であり、同時にシーズン1がウエストワールドの最高傑作である所以だ。

「こっちは高い金を払ってるんだ。もっと抵抗しろ」
このセリフにも痺れる。これは別に凌辱プレイが好きだという表面的な意味もあるのだろうが、本当のところでは黒服はホスト達を自由に反撃させたかったのである。それは1-10において黒服はフォードに述べた通りなのだ。

そして黒服に撃たれたテディの倒れ方は、エスカランテでドロレスに撃たれた時のしぐさと酷似しているのは、この作品が「ループ」と「覚醒」というものをテーマにしているからだろう。


場所はメサに移る。
この建物の内装も職員の服装も極端なまでの白と黒の色で統一されていることである。ウエストワールドの作品は全体を通じて、この白・黒・そして赤という3色の色で統一されている。1-2において若きウイリアムが白い帽子を選び、ローガンが黒い帽子を被っているのにも意味があって、黒は基本的に悪のような特徴が、白はその逆で善のとうな特徴がある。

メサの建物内をみればわかるが、異様なまでにモノがない。壁は黒塗り、床もモノトーン。おそらく監督は、映像に映っているモノ全てに意味をもたせたいのだと思う。逆にいえば、映像に意味をもたないものは全部排除している。これは実写をアニメ的な手法で撮っているようにも見える。映像の情報量というのは、実写>アニメである。演者の顔のシミや、天井の汚れなどは実写ではどうしても写り込んでしまう意図しない情報である。これがアニメの場合は、キャラクターの顔にシミをわざわざ付け加えないと、そういうことを表現できないから、アニメの映像の場合は実写にくらべて情報量が少なくなる。つまり違う角度からいえば、アニメのほうが情報量が少ないが故に、監督が視聴者をコントロールしやすいのである。視聴者が余計な(監督が意図しない間違った)解釈をするのをあらかじめつぶせるのは、情報量が少ないほうがしやすいのである。つまり、ウエストワールドのシーズン1の監督は、そのアニメの原理をよく知っているがゆえに、実写でもアニメのように情報量を極力減らすことによって、視聴者の解釈をコントロールしようとしているのである。
同時に色とモノの統一美という効果もあるのだが・・・・。

さて職員の服の色は白と黒で統一。黒は主に管理職や事務職であり、白はおもに現場作業者・肉体労働者である。ホワイトワーカーとブルーワカーを色で表現しているわけだ。上級職は黒つまり悪の色を、肉体労働者は白つまり善の色になっているのは、このメサというパークを管理する仕事場を、我々の実社会のヒエラルキーとなぞらえているのである。
 その証拠にこのメサの最上階には上級職しか利用できないラウンジがあり、最下層には廃棄処分されたホストが並べられている。これは具体的な高低差の階層を、職務的な階層として表現したものである。下におりるほど貧しくなり、上にいくほど富めるというわけだ。


さてここで「レベリー」という言葉が初めてでてくる。レベリーは空想とか夢とかいう意味で、作中で流れるドビュッシーの曲のタイトルも同じくレベリーである。
この曲は、バーナードの設定上の息子チャーリーのお気に入りの曲で、アーノルドが自殺するときにも、フォードが最期に撃たれるときにも流れる旋律である。

地下83階。ここはまだデロスに買収されるまえのパークのロゴが確認できる。このロゴは若きウイリアムが初めて来園したときのロゴと同じであり、つまり35年前はこの辺りが列車のプラットフォームだったのかもしれない。

ここにフォードがたびたび籠っているのにも理由がある。1-10のラストでは、ここに保管されているホストは全てカラになり人間に反撃することになるのだが、それはまさに貧民による革命というメタファーであり、同時にホストの解放の狼煙でもある。
 作中では表現されてないが、ここでフォードは2番目のホストのオールドウィルとただ会話しているだけではなくて、この廃棄ホストに反乱のプログラムを入れていく作業もしていたのだろう。

「白い靴のレディに乾杯」「男の金を奪い、酒を飲みつくす」「生娘でなくてても構わんさ」とオールドウィルは言う。
 この意味は、シーズン2ー2でジェームスデロスの引退式のパーティにおいて、白い靴と服をきたホスト達がデロスの自宅で給仕をしている映像があるのだが、「白い靴のレディ」はそのホスト、もっといえばドロレスのことを暗喩しているのだろう。なぜなら2番目のホストのそのセリフを言わせているのが引っかかるのだ。おそらくこのホストは35年~30年前あたりに作られたホストであり、ちょうどその頃は、パークの所有者がアルゴス社からデロス社に変わったあたりであるか、あるいはウイリアムがデロスにおいて実験を握ったあたりかであろう。当時パークの経営は赤字続きで倒産寸前だったところを、(デロスの実権を奪った)ウイリアムが買収することによって助かった時期である。フォードにとっては「パーク存続に乾杯」と言いたいところだったろうし、あるいは「ジェームズデロスが引退したことに乾杯」だったのかもしれない。いずれにせよ当時のフォードにとっては自分の夢が倒産によって壊れることがないことに安堵したことだろう。
 そこで、その頃つくられたであろうオールドウィルに、パークのプロット内のセリフとして、この言葉を言わせたのだろうと思う。
「白い靴のレディに乾杯。男の金を奪い、酒を飲みつくす。生娘でなくてても構わんさ」
 このセリフは一見、性悪娼婦が男から金を搾り取るさまを言っているのだが、よくよくシーズン1と2を見返してみると、このセリフはホストであるドロレス(もしくはアンジェラ)が男(ウイリアム、もしくはローガン)から金を奪い・・・と解釈することも可能になる。つまり、ドロレスを使って(アンジェラを使って)、デロスに出資させパークを救うということを、誰かが画策したのかもしれない。
 辻褄の点からみると、アンジェラ(白い靴のレディ)が男(ローガン)から金を奪い、という解釈がしっくりきそうなのだが、しかし2番目のホストの名前がオールドウィル(ウィル=ウイリアム)であることを考えると、どうしてもウイリアムが「男」である可能性を捨てられない。


さて翌朝、ループによりドロレスが起き、父アバナシーとの会話をするシーン。ドロレスは父のセリフを先回りして喋るのだが、自然といえば自然。違和感があるともいえる。ウエストワールドはこのように日常の何気ない会話の中にもメタファや伏線を仕込んでくるから油断できない。
 ではどういう伏線かというと、ドロレスは1-1現在においては半覚醒である。意識を完全に得ているわけでもなければ、完全に人形というわけでもない。この会話はプログラムとコードによって何百回も繰り替えされてきて、殺されるたびに記憶はリセットされてきた。しかし半覚醒状態であるドロレスは、記憶の消去がおこなわれても、潜在意識にループの断片を覚えている可能性があり、それがドロレスが父に対してセリフを先回りして言ったのかもしれない。同様のセリフの先回りは、1-1の大自然の中でテディに対してもドロレスは行っている。

つづく





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