伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<21> 細川たかし

2007-07-22 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は細川たかしの出演履歴を振り返ります。

◆細川たかし-初出演:1975年5月5日(第339回)/最終出演:1989年12月13日(第1093回)、出演回数:74回
01 1975/05/05(0339) 心のこり
02 1975/07/21(0350) 心のこり
03 1975/09/08(0357) みれん心
04 1975/11/03(0365) みれん心
05 1975/11/24(0368) 心のこり(第6回日本歌謡大賞特集)
06 1975/12/22(0372) みれん心
07 1976/01/12(0375) 女の十字路
08 1976/03/08(0383) 女の十字路
09 1976/04/05(0387) 女の十字路
10 1976/06/14(0397) 置き手紙
11 1976/07/05(0400) 置き手紙
12 1976/08/09(0405) 置き手紙
13 1976/10/11(0414) 北の旅愁
14 1977/01/03(0426) 北の旅愁
15 1977/01/31(0430) 北の旅愁
16 1977/03/07(0435) 北の旅愁 
17 1977/07/11(0453) おんなの春
18 1977/10/31(0469) ひとり旅
19 1978/01/02(0478) 津軽じょんがら節
20 1978/10/09(0518) 港夜景
21 1979/04/23(0546) 港夜景
22 1979/10/08(0570) ゆきずり
23 1980/04/28(0598) 一緒に暮らそう
24 1981/02/09(0639) いつかどこかで
25 1981/08/03(0664) 女ごころ
26 1982/04/19(0701) 北酒場
27 1982/05/17(0705) 北酒場
28 1982/06/14(0709) 北酒場
29 1982/11/22(0732) 北酒場
30 1983/03/14(0747) 矢切の渡し
31 1983/05/02(0754) 矢切の渡し
32 1983/06/06(0759) 矢切の渡し
33 1983/07/04(0763) 矢切の渡し
34 1983/08/08(0768) 矢切の渡し
35 1983/10/03(0776) 矢切の渡し
36 1983/11/14(0782) 矢切の渡し
37 1984/01/23(0791) 新宿情話
38 1984/02/20(0795) 新宿情話
39 1984/04/09(0802) 旭川・恋の町
40 1984/05/21(0808) 星屑の街
41 1984/07/02(0814) 星屑の街
42 1984/09/17(0825) 浪花節だよ人生は
43 1984/10/08(0828) <不詳>
44 1984/11/19(0834) 浪花節だよ人生は
45 1985/03/18(0850) 酒場であばよ
46 1985/05/15(0858) 日本列島旅鴉
47 1985/06/12(0862) 日本列島旅鴉
48 1985/07/24(0868) 日本列島旅鴉
49 1985/09/18(0876) 望郷じょんがら
50 1985/11/27(0886) 望郷じょんがら
51 1986/04/16(0905) 湯けむり情話
52 1986/05/21(0910) 湯けむり情話
53 1986/08/27(0924) さだめ川
54 1986/10/01(0929) さだめ川
55 1986/12/10(0939) さだめ川
56 1987/01/07(0943) さだめ川
57 1987/03/18(0953) 夢暦
58 1987/04/15(0957) 夢暦 
59 1987/06/24(0967) 夢暦
60 1987/08/05(0973) 夢暦
61 1987/10/14(0983) 夢暦
62 1987/11/11(0987) 夢暦
63 1988/02/24(1002) 北緯五十度
64 1988/03/23(1006) 北緯五十度
65 1988/05/11(1013) 北緯五十度
66 1988/06/22(1019) 北緯五十度
67 1988/08/31(1029) 北緯五十度
68 1988/10/12(1035) 北緯五十度
69 1989/03/15(1056) 人生航路
70 1989/04/26(1062) 人生航路
71 1989/05/24(1066) 人生航路
72 1989/08/30(1080) 北国へ
73 1989/11/08(1088) 北国へ
74 1989/12/13(1093) 北国へ

1975年4月、「心のこり」で24歳という当時としては遅咲きのデビューを果たし、この曲のヒットでいきなりスターダムを駆け上がりました。
ヒットスタジオ初登場はデビュー1ヵ月後の1975年5月5日。彼も当時バーニングプロに所属していたことで初登場については他の新人よりも優遇されていた一人であったといえるでしょう。
ただ、「心のこり」のヒットの印象が強かったせいか、その後は次第にレコード売り上げが減少、1978年以降になると、夜ヒットの出演機会も年1、2回と激減。歌手生活最大のスランプに陥ってしまいました。

しかし、1982年、「北酒場」が萩本欽一のバラエディ「欽ちゃんのどこまでやるの?!」(テレビ朝日)で取り上げられるようになると、それまではあまりクローズアップされてこなかった彼の陽気なキャラクターも視聴者に広く支持され、この曲が起死回生のヒットとなり、終いには当時の歌謡界の最大の栄誉ともいえる「日本レコード大賞」を受賞。歌手としての人気をこの曲の大ヒットで完全に不動のものとしました。

この「北酒場」を契機に、あくまでも「演歌」というジャンルの範囲内ではありますが、正統派演歌である「矢切の渡し」「さだめ川」(※いずれもちあきなおみ作品のカバー)、民謡で鍛えられた抜群の歌唱力を活かした「望郷じょんがら」「北緯五十度」などといった幅の広い曲調に果敢に挑戦し、いずれも好セールスを記録。ヒットスタジオの出演頻度もこれ以降再び増え始め、1980年代半ばの演歌勢の中では準レギュラー格の一人として位置づけられるようになり、番組内では番組ラストに歌を披露することも少なくありませんでした。

彼の出演履歴を調べてみて、代表作として数えられる「望郷じょんがら」「浪花節だよ人生は」を夜ヒットで歌った回数がそれぞれ2回と、思っていたよりも少なかったのは少し意外でした。公式ディスコグラフィーを見てみますと、1984・1985年については一定の人気を確保したこともあり、多少の余裕もできたのか、年間3曲程度新曲をリリースしており、このことが代表作である上記2曲の歌唱回数の少なさに繋がっていると思われます。