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ジャパン・ハンドラーズ カリフォルニア大学バークレー校ー2 通産省研究

2023-09-05 18:36:12 | ジャパン・ハンドラーズ

チャルマーズ・ジョンソン(UCバークレー校 日本政策研究所所長)は1931年にアリゾナ州に生まれました。 父と従兄二人が海軍兵士という海軍一家であったことから、彼自身も当然のように海軍に入隊しました。

入隊したのは第二次世界大戦後の事なので、日本兵との戦闘経験はありません。 海軍に入隊したのは、カリフォルニア大学バークレー校(=UCバークレー校)に在学中んことです。

在日米軍に所属する艦船に配属され、このときに初めて日本を訪れました。1953年のことです。艦船が横須賀・佐世保に寄港しているときは、京都の東山の寺院に行ってクリスマスを過ごしたりするなど、日本各地を何週間も旅してまわりました。

年老いた元日本海軍将校から日本語を学び、さらに日本に関する書籍も読むようになりました。彼は主に日本文化の美的側面に惹かれたといいます。

 

1955年には除隊、大学に復学しています。 冷戦の最中ということもあり、彼は中国の実態に関心を抱くようになります。 そして日本語の習得と共に、中国に関する研究も始ました。

当時のアメリカの湖kk戦略は共産主義の封じ込めが中心でした。日本に派遣される兵士たちも、1949年に誕生した共産中国とその衛星国を強く意識していたようです。

これはジョンソンの科目選択からもうかがえます。


1961年には再度日本を訪問、このときに、シーラ・ジョンソンと結婚しています。 60年代の大半は、中国共産党と中国農民研究に費やされた、と彼自身は回想しています。

日本軍の中国進出に対して、中g区共産党がいかにして中国農民のナショナリズムを組織化していったか、という点に圧倒された彼は卒論として「農民のナショナリズムと共産主義の力」(1962年)という博士論文を書き上げました。

これにより、UCバークレーの中国研究センター所長の座を得て、研究の拠点を確保しました。 

 

しかしジョンソンは「本来の革命路線を離れて権力闘争に狂奔する中国革命に、次第に強い幻滅」(『文藝春秋』2000年6月増刊号)を感じるようになり、大殺戮の場となった文化大革命には大きな違和感を覚えました。

これが彼にっての転機となりました。そこで彼は再度、日本研究を志すようになります。1972年の事です。

60年代に訪れた時とは様変りし、経済復興を成し遂げた日本を目の当たりにした彼は、当時指導を受けていた東京都立大の、升味隼之輔(ますみじゅんのすけ)教授の勧めもあり、日本経済復興の秘密を探る研究に手を付け始めます。

これが後に『通産省と日本奇跡』という大著となります。

 

 

 

(関連情報)

ジャパン・ハンドラーズ カリフォルニア大学バークレー校 ー1
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8ba198b8747581d85ab8a411d4675545

 

 

 



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