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ロスチャイルド財閥-68 戦争男爵ロスチャイルド

2022-10-19 04:42:23 | 国際政治・財閥
チャールズ・リンドバーグの戦い
ミネソタ州選出の共和党のチャールズ・リンドバーグ(1859年ー1924年、著名な飛行家の父)下院議員(在任1907年-1917年)は、ロスチャイルド家らの企みに気付いていました。

彼は2冊の著書『Banking and Currency and the Money Trust (銀行と通貨とマネートラスト)』(1013年) と 『Why is your Country at War and What Happens to you after the War :and Related Subjects(何故あなたの国が戦争にいくのか?)』(1917年)で、

「銀行家たちの利益追求によって一般の民衆が犠牲になっている」 「金融制度は、連邦準備制度理事会に引き渡されてしまった。 この理事会はまぎれもなく暴利をむさぼるグループの支配で運営されている。 この理事会は私営で、他人のお金を使って、最大の利益を上げるというただ一つの目的で経営されて居る」

と警報を鳴らし、さらに、第一次世界大戦におけるアメリカからの英仏等への多額の融資を非難しました。・・・


翌年春、ウィルソン大統領の政府機関への指示により、この著者の印刷版と原稿が押収されて破棄されました。 1927年に同名の息子が大西洋単独飛行に成功して「空の英雄」ともてはやされます。 この息子も後にロスチャイルド家と闘っていくことになります。




大きな戦争で大金が動く
ロスチャイルド家はここ150年間におきた戦争の仕掛人あるいは推進役で、二度の世界大戦に大きく関わてきたとされています。 大地次世界大戦中の1914年10月から1917年10月までの間、フランスはイギリスから6億ポンドを、アメリカ合衆国から7億ポンドを借り入れました。

そして、イギリスはアメリカ合衆国から9億ポンドを借り入れました。 英仏合わせてアメリカ合衆国から約16億ポンド以上を借り、その多くを連邦準備制度が担いました。

大戦の資金調達の鍵は、ロンドンではなく、ニューヨーク、すなわち連邦準備制度だったのです。 パリ家のエドウアールは、J・P・モルガンに、フランス政府への1億ポンドの緊急の資金援助を電話で頼んでいます。



エドゥアール・ド・ロチルド Édouard de Rothschild(1868年ー1949年)

フランスの銀行家、馬主、貴族。

パリ・ロチルド家(英語読みでロスチャイルド家)嫡流の第3代当主。1906年から30年間、フランス銀行の理事を務めた。

アルフォンス・ド・ロチルド男爵の長男としてフランス・パリに誕生。パリ・ロチルド家の祖であるジェームス・ド・ロチルドの嫡孫にあたる。1905年に父アルフォンスの死去でロチルド家の第3代当主となった。彼はロスチャイルド家第5世代によく見られる財産を食い潰す遊び人タイプであり、事業より趣味に走りがちだったという(彼の場合はとくに競馬)




1917年までに、モルガン家とクーン・ローブ商会は15億ドルの支援を得wん号哭に対して行いました。

銀行家たちも、世界大戦の継続に尽力したのです。 イギリス政府がモルガン商会や・グレンフェルなどから借り入れた戦争資金は、イングランド銀行にプールされました。

モルガン・グレンフェルの会長はヴィヴィアン・スミスで、父と伯父がいずれもイングランド銀行総裁。 従兄のエドワード・グレンフェルは、モルガン・グレンフェルの創業者です。

息子のランダル・スミスはモルガン・グレンフェル、シェル石油、そして兵器メーカーのヴィッカースの役員でした。





敵・見方双方に」融資するロスチャイルド家
ロスチャイルド家は、どの戦争でも敵・味方双方に融資しま例えば、傘下のクーン・ローブ商会は、イギリス/フランスの国債を買い入れたり、フランスの各金融機関へ融資し連合国を支援した一方で、巧みにドイツ帝国銀行へも融資していました。

クーン・ローブ商会のパートナーであるユダヤ人オットー・カーンは、主にイギリス・フランスへの武器の売り込みに尽力しましたが、ドイツにもオットー・カーン社を持ち、ヴィるヘルム2世を戦争を煽った元凶として知られています。



オットー・ヘルマン・カーン(1867年-1934年)


非ユダヤ教徒が荒廃する戦争によって、ユダヤ人が途方にもなく儲けているのです。 イギリス国内でドイツの恐怖を煽り、開戦をさんざん挑発したのは、ロスチャイルド家系の『タイムズ』紙でした。






世界の帝王ナサニエル逝去
ナサニエルは、所得税の税率を大幅に上げて大戦の軍事費に充てることを支持しました。 さらに、戦争のためには必要とあらば自身であらゆることをしました。

彼は陸軍で訓練用の銃が不足していると知って、自費でアメリカからライフルを大量に取りよせました。

1915年には、彼は指示を出して、中立に反してドイツへの物資の補給をしている船を曳き留めました。

しかし、その数日後、1915年3月に世界の帝王ナサニエルは74歳で息を引き取りました。最後まで戦争のことを考えていたようです。

ロンドン家では、彼が1915年に亡くなった後、末弟レオポルドが1917年、弟アルフレッドが1918年に相次いで亡くなりました。一挙に世代交代が起きました。


ヨーロッパでは、どこでも第一次世界大戦前後から税制が進化し、特権的な立場にあった貴族も過酷な税金から逃れることが出来なくなりました。

1913年、14年、15年と、さすがのロスチャイルド家も所得や相続に夜学の税金を払ったことが記録に残っています。

税金攻勢を前に邸宅を売却していったともいわれています。 然し、その後は、実態数字は明らかでありませんが、租税回避の策が功を奏していったと考えられています。




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