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世界大戦の主原因は石油 南米の独裁者・ゴメス

2023-03-22 03:00:01 | 麻薬・阿片・石油

世界大戦の主原因は石油 メキシコは燃えているか 血と金と女を求めるタンピコ
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からの続き

 

独裁者の国家

地質学者がいうには、南米ベネズエラの石油資源は、アスファルトとしての原料となる超重質油とはいえ、世界最大級といいます。

石油の発見と利用の人類史
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世界石油生産生産額を見ても、第一位は米国ですが、二位争いは、ベネズエラとロシアです。 ベネズエラの石油が発見されたのは、久しく石油戦に悩まされたメキシコのおかげということができます。

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石油争奪戦の怒涛が過ぎた後、その国の革命や国内不安が水泡のように消え去ることは、メキシコの例を見ても明らかです。 

 

1928年頃から、英米の大企業は、石油戦の矛先をメキシコからベネズエラに向け、それと同時にメキシコには久しぶりに席的に安定し、平和が訪れました。

メキシコの例をみると、べズエラのケースも、石油侵入者がベネズエラに入込、石油を積んだトラックが動き始めると共に、国内不安が訪れるところです。 しかし、ロイヤル・ダッチ石油の探検隊がマライボ湖畔に上陸したときには、既にベネズエラは独裁者によって統治されていました。 その名を、ファン・ビセンテ・ゴメス将軍といい、1910年以来、独裁大統領として権力をふるっていました。

懸命にも、彼は地下権を国有としていました。従って、外国資本の石油戦士が入ってきても、生産される石油の一滴から税金を徴収することができます。彼は、外国の採掘権所有者や資本が国内に流れ込んでくることを、むしろ歓迎しているかに見えました。それもおうです。石油会社から受け取る税金は、年間400万ドルにも達していたので、彼にとっては重要な財源となっていました。

20世紀における最も残酷な暴君というべきゴメスが、権勢を持ち続けることができたのは、石油政策であるといえます。 彼の独裁者ぶりは、カラカスにある地下牢に代表されていました。 ゴメスの政治的反対者は、捕らえられるとこの地下牢に叩き込まれ、その陰謀や共謀者を自白するまでは、死ぬような拷問にかけられました。この地下牢は別名を「唱歌学校」ともいわれ、拷問のために泣き叫ぶ声に満たされていました。 パリやニューヨークにベネズエラ人亡命者が多いのは、このゴメス将軍の暴君ぶりを示すものです。

道路建設や苦境事業のための強制労働も、ゴメス将軍の政策の一つです。彼の政治的スローガンは『平和、団結、労働』でしたが、彼の政敵は『墓地の平和、牢獄の団結、そして道路の労働』といっていました。 ゴメスが道路建設に異常な熱意を示したのは、別に自動車の道路を作って、旅行にのために、便利にしようととい意図があったのではなく、僻地の軍閥や地方長官をコントロールしていく上に必要だったからです。

僻地の知事で、自ら幣を養い、ゴメス大統領の命令に従わない知事がいました。大統領として、この知事を征伐せずにおくわけにはなりませんが、何しろあまりの僻地で軍隊を送ることもできません。 そこでゴメスは一作を案じ、先ずこの知事に大金を賦与し、通商を便利にするために大道路の建設を開始すべきと命じました。

その知事はゴメスの罠とは知らず、命令どうりに道路工事を進め、遂に首都に通じる国道に連結できました。 この道路が完成して間もなく、兵隊を満載したトラック軍が首都を出発。 トラック軍は新しくできた道路を突っ走り、知事の官邸に達するや、これを包囲。 知事は兵隊たちに首都に拉致されました。 そして彼の姿を再び見ることはありませんでした。

ゴメス大統領は、コスモポリタン的な雰囲気に包まれた首都カラカスに住むことを嫌い、奥地に入ったマラカイという村に、別荘というよりは、ベネズエラのベルサイユともいうべき私邸をもっています。 その邸宅はむしろ宮殿というにふさわしく、室数は200以上、浴室の数は数えきれないほどです。この地に6棟の近代的兵舎があり、多数の池や庭園が散在し、道路はアスファルト敷きで、ここの動物園は普通の動物のほかに、あらゆる種類の牛を集めていることは有名です。

ここには、数百台の高級自動車が備えられ、無数の諜報部員がいました。しして住民は彼らによって厳重な監視下に置かれていました。
音楽好きの彼は、ここにダおい音楽隊をおき、それは彼を楽しませる役目のほかに、時計の役目もさせていました。 朝5時になると、この音楽隊は国家を吹奏しつつ街中を練り歩きます。 この音を合図に大統領も一般国民も起床するのです。

ゴメスは独身でしたが、子供の数は100人以上。 正妻こそいませんでしたが、彼は独権力によって、目に留まった美仁の娘を妾mしたのです。 これの子供はそれぞれ成長して、政府の重要な椅子えお占めますが、彼の子供に対する境域方針は極めて厳格で、命令に従わなかったり、不正を働くと、追放処分にしたり船乗りとして祖国に近づけないようにしました。

こうしたゴメスの方針は、国内の政治や経済にも良く現れていました。 彼は石油に別に興味を持っていませんでしたが、金と権力には執着しました。 金になりさえすれば、英国オイルマンから米国人オイルマンに乗り換えることなど平気な男でした。 よって、英・米オイルマンがこの身勝手な阿呆を操るに苦労したことはもちろんでした。

 

 

デターディングの高笑い

ベネズエラにまず現れたのは、石油業界のナポレオンこと、ロイヤル。ダッチ・石油のデターディングでした。  1918年、彼のダッチ・シェルがマラカイボ湖畔に上陸しました。 ついで間もなく、英国官営会社である英国監督油田会社(部rティッシュ・コントロールド・オイルフィールド)がやってきて、米国のスタンダード石油が乗り込んできたのは、それから4年ほど後で、最後には米国財界の巨頭で政治家のアンドリュー・メロンが、ガルフ・オイル会社を引っ提げて登場しました。   

油井の大部分はマラカイボ湖の周辺に集まっています。米国人はその伝統である「一滴でもたくさん取れ」の方針から、カリフォルニア海岸でもやっちょうに、湖の真ん中にまでデリック(クレーンの一種)お押し立てました。 

最初、英国は湖畔の土地を獲得しました。ついで米国が波打際に乗り出し、次に英国は浅瀬に進出し、遂に米国が湖心にまで手を伸ばしていきました。 地下の石油は流れる液体なので高いとろから低いところに流れます。 

従って、油田地帯の最低地の湖心にデリックをつくることが最も多量に石油をくみ上げることができます。最初、英国側の生産高が50%以上を占めていたのが、米国が60%以上奪ったのは凍原理によるものです。

英・米石油資本の進出とともに,湖口のマラカイボ市は、油井、送油管、そして異臭に満ちた典型的な石油都市となりました。 しかし、この汚い石油地帯の中心には、世界中で最も豪荘と言っていい程の別荘が軒を連ね、ゴルフ・リンクやコントリー・クラブがあります。

これらの別荘は特設のパイプによって山から澄んで冷大水を引いて、広大な庭の池に水を満たすことができます。石油によって得られた利益が、英米のオイルマンにこのような贅沢を許していました。 一方、石油汲みに従事する土着民の生活は惨めなものです。 彼らは別荘の英米人のように専用のパイプで水を運ぶことは出来ません。

井戸を掘れはm図の代わりに黒くて臭い石油が湧き出してくるこの地方で、水は貴重な存在です。ロバの背中に水を入れた石油缶を積んで、水を売り歩く商人から、石油缶一杯が10センタボ(約20銭)を出して生ぬるくて石油臭い水を買わなければなりません。

土着民達は、土を固めたレンガと萱(かや)でできた小屋のような家に住み、窓際に花を飾り、これをわずかな心の糧といて生きています。 市の中央には有名な植物園がありますが、ここに土着民が遊びにいくことは許されていません。

ロシアと二位争いをするほどの石油を算出するマラカイボ油田ですが、個々の欠点は眼の前に水がありながら、油層が不便なことです。 マラカイボ湖は、湖と言いながら、細い川にょってカリブ海につながっていますが、この糊口は湖から押し出される砂のために浅瀬をなしているので、大きな油槽船(タンカー)は出入りすることができません。

よって、外海への輸送のためには、フナ底の浅い船をつくり、物資の輸入や石油の積み出しをしなければなりませんでした。しかも陸路による連絡は更に困難な条件で遮られています。 こうした地理的理由からマラカイボ湖を抱いているスリア州の知事ペレス・ソート将軍は、あたかも独立した小国の元首のような立場にありました。

彼は外国資本と固く結びついているのを誇りとして、時にはゴメス将軍の権力を嘲笑するかのような素振りを見せました。 米国の石油業者の中には、ソート将軍をそそのかし、スリア州をベネズエラ国から分割させ、自ら事実上の支配権を獲得しようとした者もいました。

しかし、この画策は実現するのは至りませんでしたが、ゴメス将軍に対する脅威はマラカイボ湖からではなく、国外からやってきました。 マラカイボ湖からマラカイボ湾に出て、さらにカリブ海に出ると、オランダ領のアルバ、キュラソー島が横たわっています。

このキュラソー島はデターディングの管理下に置かれ、ベネズエラの地下から汲み出された石油は、この島の製油所で精製されることになったのです。ゴメス大統領は有利な製油業がベネズエラ領外に持ち出されたのを大変悔しがりました。 それを国内に設置できれば、ベネズエラの国庫はますます豊かになるからです。

デターディングは勝ち誇りました。英国会社はいうに及ばず、米国系の会社ですら、石油をキュラソー島に送って、デターディングの製油所で精製してもらわねばなりませんでした。原油のままで本国に輸送していたのでは、とても高くついてしまうからです。

キュラソー島にはデターディングが造った立派な施設があり、熟練して忠実な労働者がいて、しかもオランダ政府の力を背後に控えているのです。 

現在でこそベネズエラを支配しているゴメス大統領ですが、彼の死後はどうなるか分からないような国に、費用のかかる製油所を置くようなデターディングではなかったのです。 米国のオイルマンは、キュラソー島のダッチ・シェル製油所の件で無念がりました。 それは競争相手に莫大な料金を支払わなければならないばかりでなく、パナマ運河に対する直接の脅威となったためです。

パナマ運河に向かう船はことごとくここに停って、燃料補給をするし、多量の石油製品はパナマ地帯に販売網をひろげていきました。 この英蘭の二重国籍たるデターディングは米国の勢力圏であるカリブ海の航路の中央に頑張っていて、燃料供給者の地位にあったのです。

 

 

 

カリブ海の石油基地

キュラソー島に対抗するために、米国はゴメス大統領のご機嫌を取り結び(金と女など)、デターディングを参らせるような特殊利益を獲得しようとしました。 そこで、ベネズエラ国内に製油所を建てることを建言したのですが、その代償としてゴメス大統領は米国対して優先的に開発権を与えなければならないというものです。

しかし、ゴメスには彼の考えがありました。もちろん、国内に製油所を設置するのは大きな誘惑ですが、これから上がる利益よりも、英米両国を嚙み合わせておいて、漁夫の利を得た方がよいと考えたのです。米国の策謀は成功しませんでした。 そこでスタンダード石油は、キュラソー島の隣にあるオランダ領のアルバ島に眼をつけました。

そして、早速活動を開始し、一大貯油庫や製油所を建設する準備を開始しました。 デターディングの後押しがあるので、オランダ政府はスタンダード石油の計画に対して種々の妨害を加えました。 これに対し、米国政府は強硬な外交手段を講じます。 キュラソー島は、当時酒類密貿易の根拠地みたいになっていたので、オランダ汽船と見れば、密輸船との嫌疑をかけ、米国諸港入港について厳重な制限と規定を設けました。 そして国務省では、オランダ側で相談に乗ってさへすれば、これらの制限を緩和するとうそぶきました。

こうして、アルバ島には米国人都市が出来上がり、林立する煙突からは黒い煙が立ち上がり、スタンダード・オブ・ニュージャージーのタンクは製油で充たされ始めます。しかし、キュラソー島は地の利を占めているばかりか、オランダ領西インドの首都があったために、依然としてベネズエラ石油に対する重要な港である地位を失っていません。

毎日、マラカイボから多数の小油槽船が入港し、精油を充たした大油槽船(タンカー)は出港していきます。キュラソー島のシェル従業員は、1万2千人です。 黄色、赤、銀色に塗った色とりどりのタンクが立ち並び、一種異様な光景を呈しています。 これらのタンクの数は6百に上っていますが、これこそ英国の世界制覇の重要な与点の一つです。 飲料用の水を得るには、100フィート以上掘らなければならない、このサンゴ礁からなる島は、オランダ本国政府とって重要な財源です。 そして、それは同時に重要な石油港であると共に、英国の作戦上の拠点ともなっています。

s化し、島の住民自身が受ける利益はたいしたものではなく、大部分は搾取されている形です。 この弱点につけ込み、米国はキュラソー島の独立を暗示し、本国政府による利益を島民自身で分配せよと宣伝します。 島民の中には、この宣伝に耳を傾けるものも少なくありません。

尚、米国の一部では、その勢力圏内に多数の米国領あらぬ島峡の散在することの不合理を打鍵でいる人がいます。次の欧州戦争の結果は、恐らくこの問題に関する整理が行われるだろうことは明確です。 既にその一歩は英米間に於いて協定が成立してさえいます。

このオランダ領石油諸途に於いて、反ゴメス革命が勃発しました。 デモクラシー礼賛者のベネズエラ人、ラファエル・ウルビナは、一時マラカイボにおいてゴメス政権倒壊を画策していました。 しかし、多数のスパイが入り込んで警戒に当たりだしたので、本国外で反旗を翻すことになりました。

ウルビナ一味の者は密かにキュラソー島にむけて出帆。 マラカイボ湾のコロからキュラソー島のウィレムスタットまでは7時間とはかかりません。 この小都市では巡査の数はわずかに100人、総督はすっかり油断していました。 しかも、ここに住む数千名のベネズエラ人の中には祖国を追われて、シェル石油で働いている者もおおくいました。 

彼らは上うビナの傘下にはせ参じ、150人の志士が集まりうるビア軍を組織しました。 うるビナ軍はまず総督を捕虜とし、数名の巡査を射殺し、港内に停泊中の米国汽船を徴発(ちょうはつ:取り立てること)しました。 総督及び数名の官史を人質として上船させ、船長にピストルを突き付けて、ベネズエラ海岸まで行かせました。

ベネズエラに上陸すると共に、総督および米国汽船を釈放し、売るビナ軍はキュラソー警察で奪い取った武器を取って上陸したのです。 革命は順調に進行しました。 そしてウルビナの革命は成功するかに見えましたが、元来売るビナは夢想的である上に、ゴメスほどの富も残忍性も持っていませんでした。

金を使って民衆を買収せず、いたずらに自由と開放について熱弁をふるい、民衆を惹きつけようとしました。これは農民に対して効果があったかもしれませんが、従来ゴメスの金の力に支配されている軍人や官史を手懐けるわけにはいきませんでした。 ウルビアナ軍は、次第に影が薄くなり、再びキュラソー島へ逃亡したところを、捕虜とした総督に捕らえられ、投獄されてしましました。

しかし、ウルビナは、亡命べネズエラ人にとっては、救世主のような存在でした。キュラソーのシェル製油所の労働者は、もしウルビナに危害を加えられるようなことがあれば、サボタージュを起こす気勢をみせました。 そこで、総督はウルビナをサンタ・ドミンゴに追放して、ウルビナは難を逃れました。

こうしてゴメス大統領は依然としてベネズエラの独裁屋の地位を保ち続けることが出来ました。 石油が、彼に金と権力を与えていたのです。 1936年、彼は78歳で他界しました。 彼の後継者としてはコントレーラス将軍が大統領として選挙されました。


ゴメスが死んだ暁、ベネズエラは露骨な英米の石油争奪の暗闘のために、メキシコの二の舞となるのではないかと予想されていましたが、コントレーラス将軍によって国内は平穏を続けました。

しかし、ベネズエラの運命如何にかかわらず、英・米の石油戦は依然として継続しつつありました。 それは、カリブ海をめぐる英・米の抗争です。そして、そこには石油戦以外に、更に重要な作戦基地以外争奪の戦いが行われていました。太平洋と大西洋をつなぐ一本の水路であるパナマ運河に眼を向けてみましょう。

 

私は、カリブ海で泳いだことがります。 DuPont社の招待で、デラウェア州ウィルミントン本社に出張に行った際、カリブ海に浮かぶプエルトリコの事業所にも招待されました。日本王と違って暖かく、何時間でも泳いでいれそうな感じでした。 瀬戸内海、太平洋でも泳いだことはありますが、場所にもよるでしょうがカリブ海の方が暖かかったです。 また、イスラエルには仕事でしょっちゅう訪問し、いつも

地中海に面し、長いビーチのあるテルアビブにはヒルトンホテルアなど高級ホテルが建ち並び、なんかヨーロッパのの高級リゾート地域に来たのと錯覚するような風光明媚なところです。 テルアビブのホテルにいつも泊まっていたので、夜ビーチを散歩すると、欧米からの観光客、ビジネスマン、イスラエル人、そしてアラブ系の人達らしき人達が別々の場所で夜にも関わらず泳いでいました。 足つうけてみると夜にも関わらず、暖かかったので私も泳ぎました。 体感では最も暖かかったように思いました。死海でも泳いだことがありますが、それは昼間だったので暖かかったですが、夜は知りません。

カリブ海に浮かぶプエルトリコでは、まるでハリウッド映画のワンシーン出てきそうな超豪華ホテルを予約してくれて、豪華な食事でもてなしてくれました。ホテルの前にプライベートビーチがあり、そこでは、何本もある松明(たいまつ)に火がともり、プライベートビーチで食事をちるのですが、なんともいえない高級感があり、忘れることはできません。 日米欧の超高級ホテルでも、あの雰囲気はつくりだせないでしょう。 

ヤッパリ、カトリックの盟主、スペインのなせるデザインセンスでしょうか?合理性をtって井的に追及するプロテスタントには絶対出せないデザインセンスです。

また女性は全員黒髪で肌の色は浅黒いのですが、欧州や東南アジアでも肌の浅黒い人は、土着民でどこか労働者層にみえますが、プエルトリコでは、尾米の金髪女性に負けないくらいの超美人ぞろいでした。 身長もみんな日本人女性と同じくらいで、用紙もみんな同じ。街の中も会社の従業員もみんな同じ容姿で、同じ慎重に見え、不思議な感じでした。 スペインの植民地だったころ、スペイン人と後輩がかなり進んだのだと思われます。 そしてメンデルの法則よろしく、違った種との交配で一世代目は優生が生まれる。またアメリカの植民でもあったことから様々な人種の交配の結果かな?とも思いました。

 

 

 

(参考 本件、石油の話、今までの投稿)

 

世界大戦の主原因は石油 メキシコは燃えているか 血と金と女を求めるタンピコ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c329485e6b29a1f4fdabaefaa8fbe253
世界大戦の主原因は石油 米国市場に侵入する石油業界のナポレオン、そして日本https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/43f77fe5447587a3dcb8e93115b8c3db
世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機
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世界大戦の主原因は石油  英米 vs ソ連(ロシア)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/716c20c7e9b5f6da55384c38513cc0cd
第一次世界大戦の主原因は石油 死の商人ザハロフ
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第一次世界大戦 本当の主原因は石油
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d703a4b6c6cf41438a0dd8907308e261
日本市場でのロイヤル・ダッチ・シェル vs スタンダード石油 販売戦争
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極東における血みどろの石油販売戦争
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