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鈴木財閥(鈴木商店)

2023-02-14 20:52:01 | 日本・天皇・神道・文化・思想・地理・歴史・伝承


鈴木商店記念館


初代・鈴木岩次郎1837年(天保8年)- 1894年(明治27年)の経歴

「鈴木商店」と聞けば、近くの酒屋さんのイメージですが、明治時代から大正時代にかけて急成長し、一時は三井・三菱財閥を凌ぐほどの一大勢力を誇った財閥です。 

しかし、積極的な拡大戦略が裏目に出て、1927年に倒産してしまいます。 その後、その系譜を引く企業は、戦後に急成長を遂げ、三和・一勧グループの主力企業として活躍することになります。


鈴木商店は、明治時代に初代・鈴木岩次郎(いわじろう)によって創設されました。 鈴木家は、代々武蔵(現・埼玉県)川越藩の下級武士で、貧窮により初代・鈴木岩次郎は幼児期に魚屋に養子に出され、兄は流浪の末に長崎で修業し、菓子職人になりました。

しかし、江戸への帰途、岩次郎は神戸の発展を目にして同地に留まることを決意し、大阪の砂糖商であった辰巳屋(たつみや)恒七が経営する神戸出張所に雇われました。

 岩次郎は、長崎で培った砂糖鑑識眼と商才で、1874年頃には神戸出張所の番頭へと出征していきました。


辰巳屋恒七は病気で引退するにあたり、大阪本店を嫁婿に、神戸店を岩次郎に与えました。 この神戸店こそ。鈴木商店の前身です。 

その後、岩次郎は砂糖の輸入販売で頭角をあらわし、1887年頃には神戸の有力八大貿易商の一人に数えられるまでになり、神戸の貿易会所副頭取、神戸商業会議所常員を歴任しました。




金子直吉の抜擢と鈴木商店の大躍進

1894年、岩次郎が急逝すると、妻のよね(1852-1938)が店主となり、鈴木商店の経営を二人の番頭・金子直吉の采配により、鈴木商店は三井・三菱と並ぶまでに急成長を遂げていきます。

金子直吉(1866-1944)は土佐(現高知県)の貧しい農家に生まれ、学校にも行かず、11歳から紙屑拾いを始め、乾物屋に丁稚奉公に出ました。 その後、高知の砂糖商の番頭になりますが、商人として成功することを夢み、1886年に神戸に出て、鈴木商店に入社しました。 

金子は初め、砂糖、鰹節、茶、肥料の国内取引に従事指定ましたが、樟脳(しょうのう、防腐剤・医薬品・セルロイドなどの原料)取引の可能性に気付き、世界最大の生産地であった台湾に赴き、台湾総督府民政長官・後藤新平の信頼を得ました。

後藤は。樟脳を専売制度に移行することによって、台湾統治の財源を捻出しようとしていました。 金子は後藤とともに、専売制度実施に尽力した結果、1899年に樟脳油入って販売権を取得し、鈴木商店(1902年に合名会社に改組)が大発展を遂げる結果を作りました。

1914年7月、第一次世界大戦が勃発すると、金子は海外から打電してくる報告や、国内で収集した情報を総合的に判断し、同年11月に「すべての商品船舶に対する一斉買い出動」という大方策に打って出ました。 

その後、3,4ケ月後、大戦による需要で銑鉄、鋼材、船舶、砂糖、小麦などが大暴騰し、鈴木商店は1億数千万円の巨利を博しました。


金子がイギリスの銑鉄に目を付け、ロンドン支店長・高畑誠一宛てに「Buy any steel,any quantity, at any price」(鋼鉄と名のつく物は,何でもいいからカネに糸目をつけずに買いまくれ) という異例の電文を打電したことは有名です。

高畑誠一(1887-1978)は神戸高商を首席で卒業し、鈴木商店に入社。 1912年にロンドン支店に派遣され、のちに20代の若さでロンドン支店長に就任。 

第一次世界大戦が勃発すると、縦横無尽に詳細を発揮しました。 

船舶・食糧不足に悩む大英帝国政府・連合軍に、北海道の豆類・デンプン・雑穀などを満載した船を、船ごと売却するという離れ業をやってのけ、「カイゼル(皇帝)を商人にしたような男」との評判を得ました。


1917年、鈴木商店は三井物産、三菱商事の年商を凌ぐまでに成長し、金子はロンドンの高畑宛に「三井三菱を圧倒するか、彼らと並んで天下を三分するか、是、鈴木商店全員の理想とする所也」と「転訛三分の宣言書」を記し、拡大路線を明言しました。



鈴木商店の倒産

しかし、鈴木商店の天下は長くは続きませんでした。 1918年に米価高騰を原因とする民衆運動(米騒動)が起き、新聞の誤報により鈴木商店が米買い占めの元凶と誤解され、神戸本店が焼き討ちにあってしまします(その状況を所言う説にしたものが城山三郎の『鼠-鈴木商店焼打ち事件』です)。

さらに、第一次世界大戦の反動恐慌、関東大震災後の不況により、鈴木商店の傘下企業や事実上のメインバンクである台湾銀行が経営不振に追い込まれてしまいます。 

台湾銀行は、鈴木商店が台湾の樟脳油一手販売権を取得した1899年に設立され、設立当初から鈴木商店とは深い関係にありました(1926年末には台湾銀行の貸し出し5億4000万円のうち、その三分の二にあたる3億6000万円が、鈴木商店関連事業で占められるまでに膨らんでいました)。


一方、鈴木商店は莫大な運用資金を台湾銀行に依存していました。 台湾銀行は債権保護のため、1922年に副頭取・下坂藤太郎を鈴木商店へ役員派遣して、金子直吉のワンマン体制を是正するように求めました。 

翌1923年に合名会社鈴木商店に特殊会社機能を遺して、新たに株式会社鈴木商店を設立して貿易部門を移管しました。



1926年に傘下企業の日本製粉株式会社を日清製粉株式会社(現・日清製粉グループ本社)に合併させ、窮地を凌ごうとしましたが、日本製粉の財務内容の悪さが露見して合併が破談となりました。 

資金繰りの行き詰った日本製粉と鈴木商店は、台湾銀行の緊急融資で辛うじて命脈を保ちましたが、その過程で鈴木商店の内情と台湾銀行の癒着ぶりがあらわになりました。


1927年1月に震災手形の未決済分を処理することが通常国会で話し合われましたが、未決済額の半数が台湾銀行によるもので、全体の44.5%が鈴木商店関連であることが明らかとなり、貴族院は法案を通過させるにあたって台湾銀行調査委員会を設置します。

台湾銀行はコール(短資、銀行間での短期間の資金取引)市場で資金調達し、急場を凌ごうと考えました。 

しかし、コール市場に資金を供給していた株式会社三井銀行などは、鈴木商店と関わりの深かった台湾銀行に対する警戒感から、資金を引き揚げてしまいました。 


ここに至って台湾銀行は資金繰りに陥り、鈴木商店への資金援助を停止。 1927年4月2日、鈴木商店は倒産しました。



(参考)

・世界最強の財閥・ロスチャイルド家より古い歴史を持つ住友家
  https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/851659949fd3bf4aa65d9f6c0a13940a
・三井財閥
  https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6d0bb2d7f4aaf01429a8671faf7d590b
・三菱財閥
  https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ff1869da00b5825eccba224f6c98762c
・安田財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ff4cf875e7466eb19734a2c6c077012d
・鈴木財閥(鈴木商店)
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f28770d8c80ee52eddb9d94bb80af35a

・鴻池財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a011e884647a86f6ff75144d711ff4f9
・浅野財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4cbff696220c5713b1e1458b65ff4564
・古河財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e943423625680ee36969aab2d9a6eec
・鮎川財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a6d561d0a90a8310ac3ac4513492ba2a

・財閥とコンツェルン
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7f98f17fa96ef7161bd46f65e316c9fe



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昭和金融恐慌

2023-02-14 17:32:46 | 日本・天皇・神道・文化・思想・地理・歴史・伝承


1927年(昭和2年)3月23日当時の取り付け騒ぎ  wikiより引用



第一次世界大戦での日本財閥の躍進
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/489dbbbef5806bf0907898d02735281c

からの続き




第一次世界大戦の反動で、勝ち組と負け組の格差が広がりました。 それを決定的なものにしたのが、1927年の昭和金融恐慌です。

関東大震災(1923年)の震災手形整理の法案審議中、大蔵大臣・片岡直温(なおはる)が「ただいま東京渡辺銀行が休業しました」と失言して、不安心理を煽り、庶民が預金取り付けに銀行に殺到しました。 

恐慌で疲弊した銀行は、この取り付け騒ぎで軒並み破綻しました。


さらにそれら銀行に多くの資金を依存していた企業が、破綻の危機に追いやられました。 台湾銀行の一部休業で、鈴木商店が破綻しました。 

また、十五銀行の破綻で、薩州財閥の川崎造船首脳は引責辞任に追い込まれました。 



一方、取り付けにあった預金は安全な銀行に預けられ、強い銀行はますます強くなり、三井・三菱・住友・安田・第一銀行の五代銀行体制が確立します。 

後に、大阪の鴻池・山口・三十四銀行が合併して三和銀行が誕生し、六大銀行体制となります。この合併により、鴻池・山口財閥は主力銀行への影響力を失い、埋没していきました。


この六大銀行が、第二次世界大戦後、それぞれ六大企業集団を形成してゆくのです。



(参考)

・世界最強の財閥・ロスチャイルド家より古い歴史を持つ住友家
  https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/851659949fd3bf4aa65d9f6c0a13940a
・三井財閥
  https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6d0bb2d7f4aaf01429a8671faf7d590b
・三菱財閥
  https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ff1869da00b5825eccba224f6c98762c
・安田財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ff4cf875e7466eb19734a2c6c077012d
・鈴木財閥(鈴木商店)
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f28770d8c80ee52eddb9d94bb80af35a

・鴻池財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a011e884647a86f6ff75144d711ff4f9
・浅野財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4cbff696220c5713b1e1458b65ff4564
・古河財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e943423625680ee36969aab2d9a6eec
・鮎川財閥
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a6d561d0a90a8310ac3ac4513492ba2a

・財閥とコンツェルン
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7f98f17fa96ef7161bd46f65e316c9fe




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