ちょっと引っ張りすぎましたが、これで最後です。
「命日に彼がいないことを悲しむよりも、
誕生日に彼が地上にいてくれたことを喜ぶ方が、ポジティブだから」byオノ・ヨーコ
(2005/12/28朝日新聞夕刊“ビートルズの時代⑫夜明け信じ前向きに”より抜粋)
“彼”というのはもちろんジョン・レノン。
毎年、オノ・ヨーコは12/8にセントラルパークに行かずに、ダコタハウスで静かに過ごす。
そのかわりに、ジョンの誕生日、10/9にコンサートなどを開くのだそうです。
彼女らしいなと思いました。
(ただ、去年の12/8は、ジョンの25回目の命日という1つの区切りということもあって、ファンの集まるセントラルパークの“ストロベリーフィールズ”に出かけて、花を供えています)
5/11は土方歳三が死んだ日。
5/5は土方歳三が生まれた日。
彼を偲んで涙を流すちょっと前に、「今日はトシさまの171回目の誕生日」でケーキ食うのもアリかな
ジョンのファンからは「世界のジョン・レノンと土方と一緒にするな」と叱られそうですが、愛するひとへの想いは、そのひとが有名だろう無名だろうが関係ありませんから。
(ちなみに、土方が無名って言ってるわけじゃないですよ)
てなわけで、余談、というか前置きが長くなりました。
では本題。
もしかしたら……
“桶狭間”、ありだったのかも。
史実に詳しくないので間違ってること言ってたら訂正願います。
1869年5月11日の土方の行動って、死ぬその瞬間まで全てが記録に残ってるわけではないですよね。
五稜郭を出て一本木関門へ向う間に、「何かあったかも」と勘ぐってもいいような、空白の時間があるように思います。
記録に残せない味方にも隠密の作戦か、あるいは土方が独自の判断で展開しようとしていた作戦があったのか………“桶狭間”はどちらでもないけれど、史実に詳しい三谷さんのことだから、この“空白の時間”を充分加味しての奇襲戦法導入では?
って穿ちすぎ?
だって、あのジオラマ使って展開される軍議見てると、どきどきわくわくもしかして勝てるかも、ってな気持ちになってまるで本当にあった作戦のように見えちゃって
………ああまた三谷幸喜の思うつぼ(笑)
その手をもっと見たかった
黒田の本陣背後に着いて、すっと右手を上げて後ろに続く兵士を止める馬上の土方。
かっ、カッコいいーーーーー
いやもうミーハー心くすぐられまくり
木の枝を払うとことか、「いくぞ」ってときの横顔とか、兼定抜いてから、ほんのちょっと口の端をあげて「ニヤリ」の「二」ぐらいの顔とか。
………堪能
欲を出したらきりがないけど、こういうのいっぱいやってほしかったなー。
『組!』じゃ逆に、局長の手でよく制されてましたから(笑)
かっちゃんいないから
五稜郭へ戻る土方。
色々考えちゃうなあ。
箱館山に新選組が布陣してなかったらそのまま黒田の本陣へ突っ込んだのか、新選組に局長がいたらやっぱりそのまま黒田の本陣へ突っ込んだのか、新選組がいなくても箱館山に向うのか、局長がいても箱館山に向うのか………まあこんなのどうでもいいんですが
箱館山へ救援に向うのは、黒田ひっつかまえてからでも遅くはないと思ったけど、そこはそれ、三谷幸喜の新選組、山本耕史の土方歳三。
甘いと言われようとバカと言われようと(言われてない?)、昔の仲間を助けに戻るんだよねえ
冷静に考えれば、黒田を手土産に五稜郭に戻れば士気も高まるってのもあるかと思うんだけども、
もういいや……歴史は変わらない
やはり運に見放された榎本軍。
「土方は…土方はどこにいる!」
榎本は、“常勝”の土方に最後の運を見いだしたいかのように、大鳥に問う。
夜明けを信じて
「~昔の仲間を助けたら、その足で黒田の首をいただいてくる」
榎本軍の命運を託すに足る土方の言葉。
その土方は榎本に夢の国を託す。
榎本に語る言葉は、この先に起こることを知っている者にとっては遺言のように思えてしまうけど、まだ本人やる気満々ですから(笑)
振り返ったあの笑顔には、多摩で自分の夢を見つけた頃の心があるのかもしれません。
この先に何が待っているかはわからない。
自分にできることをするしかない。
だから前に進むだけ。
だから箱館に馬を走らせる。
“単騎、千里を走る”(パクリで失礼)
疾り続ける姿をずっと見ていたいと思いました。
そのとき
「俺といる限り死にはせん。土方歳三について来い!」
兼定を抜く土方。彼を信じて応じる兵士達。
この部分だけ切り取って、一編の漢詩でも添えて額に納めたい気分です。
以前の記事に書いたけど、土スタで見たときあまりのカッコよさに卒倒しそうでした
でもね、間違いなく銃声は響くわけで。
あの音を聞いた瞬間思ったことは「待ちやがれもう終わりかよ」(汗)
だって何にもしてないじゃん!
と憤ったのも束の間
まだ前に進もうとする土方がいました。
深手を負った身体には、さぞや刀は重いことでしょう。
その姿は、数時間前の七重浜で見せた軽々と兼定を振るう立ち回りとはほど遠く、最後の力を振り絞って敵兵を薙ぎ倒す。
新政府軍の誰何に
「新選組副長、土方歳三」
……ちくしょう、また三谷さんにヤラレたわーー
順番逆にしたのかーーー
おまけに「逃げろ」って……“われこの柵にありて…”はどこいったー
なーんてことは言えないなあ。だってこれは“三谷幸喜の新選組”
「…榎本さん、すまん」
土方が地上に残した最後の言葉は、生きて戻ると約束した男への謝罪。
榎本と共に新しい国をつくるのなら、まず生きて戻らないとね。
それがどうしてもできないのなら………土方歳三という男のことを解っている榎本武揚だから「ごめんなさい」でいいと思う。
もしその言葉を榎本が伝え聞いたらのなら「土方君らしいな」と呟いてくれると思う。
劇的でもない大げさでもない美化でもない、土方のあまりにもリアルなその死に方に、しばし呆然。
通常なら、一番の見せ場で一番の泣き所で一番格好よく描かれる場面。
それが一切の媚もない、“本当の死のような”死に方。
土方の死も幕末史の通過点に過ぎない。(通過点と言うより分岐点に近いかも)
その事実をつきつけられたような気がしました。
……三谷幸喜に完敗です もちろん山本耕史にも。
2人だけ…
近藤の声を聞いたときは、すでにこの世のひとではない土方。
だからホントは私たちは見れないはずなんですよね、あのシーン。
でもそれはTV的に見せないとおかしいので、しょうがないや。
正直、見ちゃいけないようで、「邪魔してごめんね」な気分でした。
「流山」の別れと同じ“侵すべからざる”時間というか領域というか……。
それでも、多摩のトシのような、かわいい(と思っちゃった)優しい笑顔が、最後に見れて幸せです
その後
普通なら土方の死で“完”でしょうが、『新選組!!』は『新選組!』の50話目なので、生き残るひとたちの物語があります。
彼らのその後を決めたような土方の死だけど、もし彼が生きていて勝ち続けたとしたら……。
「この戦さが永久に続くかもしれないという恐怖」……内戦の長期化という、新政府軍が一番避けたい事態に陥る可能性がある。
箱館政府は脆弱な地盤をどう保つかといえば、まずは力のある外国(例えばロシア)に頼らざるをえない。
油断をすれば、いや油断しなくても力任せに、箱館政府がその格好をつける前に、その外国は蝦夷地の植民地化を計る(謀る、でもいいかも)のは間違いない上に、他の列強諸国が指をくわえて見てるわけもない。
内戦の長期化、泥沼化の末、日本が辿る道は目に見えている。
榎本が、土方が夢見た“新しい国”の存在を、誰が認める?
………こんなことは散々語られ尽くされたことだけど、土方の「近藤勇が罪人ではない国」を夢見る姿を見ていると、哀しくって切なくって
話がそれたわ
生き残る人たちの悔しさはよくわかる。
まだ何もしていない、そしてこれからどうすればいい。
でも生きてそう思えることのほうが、どれだけ幸せか。
死んでしまった土方には、悔しがることも希望を持つこともできませんから。
「生きて見届けるんだよ。新選組を受け容れなかった新しい世がどんな世になるのか、
あいつはお前達に託したんだ!」
土方の激しい想いを知っている永井様だからこその言葉。
エンディング
ラストは新聞記事で思いっきりネタばれ喰らいましたねえ
戦場の状況を知らずに走る鉄之助。
不意に耳に届いた砲声に躊躇するも再び走り出す。
あなたが走らなかったら、私たちは“土方歳三”にこうして想いを馳せることができなかったかもしれない。
走ってくれてありがとう、鉄。
まとめ
総括文でも書こうかと思ったんですが、よく考えたら感想記事のしょっぱなに、それっぽいものを書いてたわ
一応リンク貼っときます→これとこれ
でも書いとこか。
『組!!』の山本土方に、山本土方を愛しつつも、さらに深く史実の土方歳三を愛する人たちの一部は、失望を感じたかもしれません。
何故なら、過去描かれてきた会津以降の土方歳三像とのあまりのギャップ(彼の晩年が大好きってひと多いし)
クールでクレバーでいつも冷静で(以下美辞麗句色々)な土方はどこへやら。
姿形はさておいて、一本芯は通ってるものの、心は揺れるわ焦るわ悩むわ、大鳥につっかかるわ榎本に子ども扱いされるわ泣きは入るわ、何もできずに死んじゃうわ……
でもこれって『組!』のときからの山本土方のままでしょ。
大勢の兵士達の前では、一軍を率いる者としての振る舞いはしてるけど。1年やそこらで、人間そうそう変われるもんじゃありませんて
だいたいが『組!』&『組!!』は“歴史再現フィルム”でもなければ、“歴史ドラマ”でもないんだし。たまたま題材が“新選組”なだけであって、三谷さんが描きたかったのは“男達の群像劇”そして“面白いドラマ”ですから。
史実の土方歳三は宗教的とも言える崇拝の対象になってますが、山本耕史の土方歳三は、等身大のひとりの青年として、血の通った人間としての温度を感じる愛すべきキャラだと思います。
これは他のひとにも同じことが言えますけどね。
まとめになってないかもしれませんが、これで終わります。
最後に、
いまだになんだかんだ言われる『組!』&『組!!』ですが、私にとっては近来稀に見る「素敵な作品」で「大切な作品」です。
三谷さん、耕史君、そして『組!』&『組!!』に関わった全ての方々に感謝です
もひとつ最後に、この記事を待っててくださった方々へお詫び。
皆様が期待された内容と違うものかもしれませんが、今の私に書けるのはこの程度です。
笑って許して(笑)
★余話
これでやっと他ブログさんの感想記事を読みに行けるわーーーーー
情報記事はこっそりいただいてましたが(汗)、ひとの感想を読むと自己嫌悪に陥りそうだったので、我慢。
ひたすら我慢。
でも読んだらやっぱり落ち込むかも
「命日に彼がいないことを悲しむよりも、
誕生日に彼が地上にいてくれたことを喜ぶ方が、ポジティブだから」byオノ・ヨーコ
(2005/12/28朝日新聞夕刊“ビートルズの時代⑫夜明け信じ前向きに”より抜粋)
“彼”というのはもちろんジョン・レノン。
毎年、オノ・ヨーコは12/8にセントラルパークに行かずに、ダコタハウスで静かに過ごす。
そのかわりに、ジョンの誕生日、10/9にコンサートなどを開くのだそうです。
彼女らしいなと思いました。
(ただ、去年の12/8は、ジョンの25回目の命日という1つの区切りということもあって、ファンの集まるセントラルパークの“ストロベリーフィールズ”に出かけて、花を供えています)
5/11は土方歳三が死んだ日。
5/5は土方歳三が生まれた日。
彼を偲んで涙を流すちょっと前に、「今日はトシさまの171回目の誕生日」でケーキ食うのもアリかな
ジョンのファンからは「世界のジョン・レノンと土方と一緒にするな」と叱られそうですが、愛するひとへの想いは、そのひとが有名だろう無名だろうが関係ありませんから。
(ちなみに、土方が無名って言ってるわけじゃないですよ)
てなわけで、余談、というか前置きが長くなりました。
では本題。
もしかしたら……
“桶狭間”、ありだったのかも。
史実に詳しくないので間違ってること言ってたら訂正願います。
1869年5月11日の土方の行動って、死ぬその瞬間まで全てが記録に残ってるわけではないですよね。
五稜郭を出て一本木関門へ向う間に、「何かあったかも」と勘ぐってもいいような、空白の時間があるように思います。
記録に残せない味方にも隠密の作戦か、あるいは土方が独自の判断で展開しようとしていた作戦があったのか………“桶狭間”はどちらでもないけれど、史実に詳しい三谷さんのことだから、この“空白の時間”を充分加味しての奇襲戦法導入では?
って穿ちすぎ?
だって、あのジオラマ使って展開される軍議見てると、どきどきわくわくもしかして勝てるかも、ってな気持ちになってまるで本当にあった作戦のように見えちゃって
………ああまた三谷幸喜の思うつぼ(笑)
その手をもっと見たかった
黒田の本陣背後に着いて、すっと右手を上げて後ろに続く兵士を止める馬上の土方。
かっ、カッコいいーーーーー
いやもうミーハー心くすぐられまくり
木の枝を払うとことか、「いくぞ」ってときの横顔とか、兼定抜いてから、ほんのちょっと口の端をあげて「ニヤリ」の「二」ぐらいの顔とか。
………堪能
欲を出したらきりがないけど、こういうのいっぱいやってほしかったなー。
『組!』じゃ逆に、局長の手でよく制されてましたから(笑)
かっちゃんいないから
五稜郭へ戻る土方。
色々考えちゃうなあ。
箱館山に新選組が布陣してなかったらそのまま黒田の本陣へ突っ込んだのか、新選組に局長がいたらやっぱりそのまま黒田の本陣へ突っ込んだのか、新選組がいなくても箱館山に向うのか、局長がいても箱館山に向うのか………まあこんなのどうでもいいんですが
箱館山へ救援に向うのは、黒田ひっつかまえてからでも遅くはないと思ったけど、そこはそれ、三谷幸喜の新選組、山本耕史の土方歳三。
甘いと言われようとバカと言われようと(言われてない?)、昔の仲間を助けに戻るんだよねえ
冷静に考えれば、黒田を手土産に五稜郭に戻れば士気も高まるってのもあるかと思うんだけども、
もういいや……歴史は変わらない
やはり運に見放された榎本軍。
「土方は…土方はどこにいる!」
榎本は、“常勝”の土方に最後の運を見いだしたいかのように、大鳥に問う。
夜明けを信じて
「~昔の仲間を助けたら、その足で黒田の首をいただいてくる」
榎本軍の命運を託すに足る土方の言葉。
その土方は榎本に夢の国を託す。
榎本に語る言葉は、この先に起こることを知っている者にとっては遺言のように思えてしまうけど、まだ本人やる気満々ですから(笑)
振り返ったあの笑顔には、多摩で自分の夢を見つけた頃の心があるのかもしれません。
この先に何が待っているかはわからない。
自分にできることをするしかない。
だから前に進むだけ。
だから箱館に馬を走らせる。
“単騎、千里を走る”(パクリで失礼)
疾り続ける姿をずっと見ていたいと思いました。
そのとき
「俺といる限り死にはせん。土方歳三について来い!」
兼定を抜く土方。彼を信じて応じる兵士達。
この部分だけ切り取って、一編の漢詩でも添えて額に納めたい気分です。
以前の記事に書いたけど、土スタで見たときあまりのカッコよさに卒倒しそうでした
でもね、間違いなく銃声は響くわけで。
あの音を聞いた瞬間思ったことは「待ちやがれもう終わりかよ」(汗)
だって何にもしてないじゃん!
と憤ったのも束の間
まだ前に進もうとする土方がいました。
深手を負った身体には、さぞや刀は重いことでしょう。
その姿は、数時間前の七重浜で見せた軽々と兼定を振るう立ち回りとはほど遠く、最後の力を振り絞って敵兵を薙ぎ倒す。
新政府軍の誰何に
「新選組副長、土方歳三」
……ちくしょう、また三谷さんにヤラレたわーー
順番逆にしたのかーーー
おまけに「逃げろ」って……“われこの柵にありて…”はどこいったー
なーんてことは言えないなあ。だってこれは“三谷幸喜の新選組”
「…榎本さん、すまん」
土方が地上に残した最後の言葉は、生きて戻ると約束した男への謝罪。
榎本と共に新しい国をつくるのなら、まず生きて戻らないとね。
それがどうしてもできないのなら………土方歳三という男のことを解っている榎本武揚だから「ごめんなさい」でいいと思う。
もしその言葉を榎本が伝え聞いたらのなら「土方君らしいな」と呟いてくれると思う。
劇的でもない大げさでもない美化でもない、土方のあまりにもリアルなその死に方に、しばし呆然。
通常なら、一番の見せ場で一番の泣き所で一番格好よく描かれる場面。
それが一切の媚もない、“本当の死のような”死に方。
土方の死も幕末史の通過点に過ぎない。(通過点と言うより分岐点に近いかも)
その事実をつきつけられたような気がしました。
……三谷幸喜に完敗です もちろん山本耕史にも。
2人だけ…
近藤の声を聞いたときは、すでにこの世のひとではない土方。
だからホントは私たちは見れないはずなんですよね、あのシーン。
でもそれはTV的に見せないとおかしいので、しょうがないや。
正直、見ちゃいけないようで、「邪魔してごめんね」な気分でした。
「流山」の別れと同じ“侵すべからざる”時間というか領域というか……。
それでも、多摩のトシのような、かわいい(と思っちゃった)優しい笑顔が、最後に見れて幸せです
その後
普通なら土方の死で“完”でしょうが、『新選組!!』は『新選組!』の50話目なので、生き残るひとたちの物語があります。
彼らのその後を決めたような土方の死だけど、もし彼が生きていて勝ち続けたとしたら……。
「この戦さが永久に続くかもしれないという恐怖」……内戦の長期化という、新政府軍が一番避けたい事態に陥る可能性がある。
箱館政府は脆弱な地盤をどう保つかといえば、まずは力のある外国(例えばロシア)に頼らざるをえない。
油断をすれば、いや油断しなくても力任せに、箱館政府がその格好をつける前に、その外国は蝦夷地の植民地化を計る(謀る、でもいいかも)のは間違いない上に、他の列強諸国が指をくわえて見てるわけもない。
内戦の長期化、泥沼化の末、日本が辿る道は目に見えている。
榎本が、土方が夢見た“新しい国”の存在を、誰が認める?
………こんなことは散々語られ尽くされたことだけど、土方の「近藤勇が罪人ではない国」を夢見る姿を見ていると、哀しくって切なくって
話がそれたわ
生き残る人たちの悔しさはよくわかる。
まだ何もしていない、そしてこれからどうすればいい。
でも生きてそう思えることのほうが、どれだけ幸せか。
死んでしまった土方には、悔しがることも希望を持つこともできませんから。
「生きて見届けるんだよ。新選組を受け容れなかった新しい世がどんな世になるのか、
あいつはお前達に託したんだ!」
土方の激しい想いを知っている永井様だからこその言葉。
エンディング
ラストは新聞記事で思いっきりネタばれ喰らいましたねえ
戦場の状況を知らずに走る鉄之助。
不意に耳に届いた砲声に躊躇するも再び走り出す。
あなたが走らなかったら、私たちは“土方歳三”にこうして想いを馳せることができなかったかもしれない。
走ってくれてありがとう、鉄。
まとめ
総括文でも書こうかと思ったんですが、よく考えたら感想記事のしょっぱなに、それっぽいものを書いてたわ
一応リンク貼っときます→これとこれ
でも書いとこか。
『組!!』の山本土方に、山本土方を愛しつつも、さらに深く史実の土方歳三を愛する人たちの一部は、失望を感じたかもしれません。
何故なら、過去描かれてきた会津以降の土方歳三像とのあまりのギャップ(彼の晩年が大好きってひと多いし)
クールでクレバーでいつも冷静で(以下美辞麗句色々)な土方はどこへやら。
姿形はさておいて、一本芯は通ってるものの、心は揺れるわ焦るわ悩むわ、大鳥につっかかるわ榎本に子ども扱いされるわ泣きは入るわ、何もできずに死んじゃうわ……
でもこれって『組!』のときからの山本土方のままでしょ。
大勢の兵士達の前では、一軍を率いる者としての振る舞いはしてるけど。1年やそこらで、人間そうそう変われるもんじゃありませんて
だいたいが『組!』&『組!!』は“歴史再現フィルム”でもなければ、“歴史ドラマ”でもないんだし。たまたま題材が“新選組”なだけであって、三谷さんが描きたかったのは“男達の群像劇”そして“面白いドラマ”ですから。
史実の土方歳三は宗教的とも言える崇拝の対象になってますが、山本耕史の土方歳三は、等身大のひとりの青年として、血の通った人間としての温度を感じる愛すべきキャラだと思います。
これは他のひとにも同じことが言えますけどね。
まとめになってないかもしれませんが、これで終わります。
最後に、
いまだになんだかんだ言われる『組!』&『組!!』ですが、私にとっては近来稀に見る「素敵な作品」で「大切な作品」です。
三谷さん、耕史君、そして『組!』&『組!!』に関わった全ての方々に感謝です
もひとつ最後に、この記事を待っててくださった方々へお詫び。
皆様が期待された内容と違うものかもしれませんが、今の私に書けるのはこの程度です。
笑って許して(笑)
★余話
これでやっと他ブログさんの感想記事を読みに行けるわーーーーー
情報記事はこっそりいただいてましたが(汗)、ひとの感想を読むと自己嫌悪に陥りそうだったので、我慢。
ひたすら我慢。
でも読んだらやっぱり落ち込むかも
なんとか1月中にUPです
なんか最後は端折っちゃいましたね。ごめんなさい
>ある意味離れていたものを取り戻せた気もするのですよ。大げさでなく。役者さんたちの演技で。
そうですね。
新選組や土方に対しての想いだけでなく、若い頃の情熱とか好奇心といったものも蘇ってきたと思います。
>レミゼ名古屋観劇は不可能になってしまいましたが
それは残念~
でも4月までの3回の観劇、楽しんでくださいね。
>靴とかバッグとかがまんなんてしないで
>どんどん記事をアップしてください(好きなのよー)
うわあ、非情(笑)かつありがたいお言葉痛み入ります
まだまだダウンコートが要るのに、もう春夏もの出てるわー
三谷さんの描く物語って、基本的に絶望感がないんですよね。
いつもどこかしらに、希望というかまだ何か可能性を残しているように思います。
>いくら冷静沈着を装っても・・彼も普通の人間なんですから、揺れて当然しょう~。
そうなんですよね。
でも今まで、こういう部分をここまできちんと描いてくれた作品はなかったように思います。
だからとても身近に感じることのできた、美化されることのない等身大の土方歳三だったのではないでしょうか。
私は「新選組(と言うよりも「燃えよ剣」」フリークの友人たちと高校時代からかなり濃い付き合いがありながら全く興味がなかった人なので、三谷さんがいなければまだ知らなかったはず。
その意味でもこの出逢いに~優しいキスを~♪
と言う気持ちです。
ある意味離れていたものを取り戻せた気もするのですよ。大げさでなく。役者さんたちの演技で。
そのリード線の役を果たしてくれたのは間違いなく
山本土方なので、早く舞台の上の彼に会いたいです。
そして火をつけられてしまった私は、この2月と4月で
三回観劇予定を入れてあるのでした。
レミゼ名古屋観劇は不可能になってしまいましたが
見たいものを見ることが少しはできそうなので楽しみです。
すっごい長いコメントになっちゃいましたが
これからも記事楽しみにしてます。
靴とかバッグとかがまんなんてしないで
どんどん記事をアップしてください(好きなのよー)
>書簡や史料の中に垣間見られる、人間らしさが好き。
こういう部分を、上手く見せてくれている小説や映像作品てそれほど多くないように思います。
三谷さんはこの部分をきちんと拾って、またそれを表現しうる力と心をもった役者を探してくれました。
あの土方像は、山本耕史以外ではありえません!
あてがきの域を超えてますよね
お返事遅くなってしまってごめんなさい
>三谷さんと山本耕史さんは、そういう「生身の人間:土方歳三」を素晴らしく魅力的に見せてくれたと思います。
既存の様々な土方像は、カッコイイ部分を押し出したものが多く、それが定番となっているように思います。
今回、『組!』&『組!!』でそのセオリーを見事に打ち破った、三谷さんの度胸と潔さには感服ですね。
もちろん、耕史君の存在がなければ不可能だった土方像でもあるんですが
>よかったらうちの感想も読んでみて下さい。
近いうちに必ずお邪魔させていただきます!!
>こういうの三谷さん上手いんだよなあ
確かに。
こんなのどう?って感じで色々な可能性をぶつけてくるんですよね。
そしてそれに期待する私たちがいるわけで
やっぱり三谷幸喜の思うつぼ(笑)
>どの店でケーキを買うかも、決めました/笑
早いな!(笑)
サンドウィッチとワインでもいいかも
他ブログさんでは、こーじ君情報だけいただくだけいただいて、感想記事は徹底的にスルーでした
読んでしまうと自分の感想が書けなくなりそうで
彼の最期の斬り合い場面も、確かに言われてみれば、最初の頃のような軽やかさはなかったですね! 彼の最期の場面のかっこよさに目を奪われてて・・他のところに目が行かなかったです。
新選組!!の土方さんの気持ちの揺れ方? いくら冷静沈着を装っても・・彼も普通の人間なんですから、揺れて当然しょう~。
京時代は、近藤さんという心の拠り所があったから、冷徹に鬼にもなれた。でも、今は 隊士はいても、拠り所はない状態。その状態でも隊士には 弱みをみせてはいけない。軍神でいなければいけない。
そのフレッシャーの中で言われた榎本さんの言葉に、心が緩んだとしてもしょうがない気がしますよ☆
私もずっと、ブログ巡り断ちしていましたよ。
いや、私の場合は、皆さんの感想を取り込んでしまいそうで・・・。(苦笑)
私もファン歴は長くなりますが、土方さんを英雄視するつもりも、崇拝するつもりもないんですよね。
書簡や史料の中に垣間見られる、人間らしさが好き。
だからそういう意味で、山本土方に惚れたし、「組!」も「組!!」も最高だったと思ってます。
基本に忠実でいながら、すごく豊かで新鮮な土方歳三を、三谷さん描いてくれましたよね。
私も自分の感想を書き上げるまでは他の方の感想を読むことができませんでしたよ。よかったらうちの感想も読んでみて下さい。長々失礼しました!
新選組を素材にした三谷幸喜の作品、なのであって、あくまでも。
「桶狭間」がありえたかも、って、ほんと思っちゃいましたよね。
こういうの三谷さん上手いんだよなあ……思えば本編でも、判っているにもかかわらずつい本気で、「河合くん助かってくれ!」とか「局長、言い抜けてください!」とか願ってしまっている自分がいました。
感想最終章、おつかれさまでした!
>「今日はトシさまの137回目の誕生日」でケーキ食うのもアリかな
賛成~(どの店でケーキを買うかも、決めました/笑。)
>だいたいが『組!』&『組!!』は“歴史再現フィルム”でもなければ、“歴史ドラマ”でもないんだし。
そうそうそう!!!そうなんですよね~
ドキュメンタリーではないんです。
>これでやっと他ブログさんの感想記事を読みに行けるわーーーーー
えーーーー!?
今までお読みになっていなかったんですか?
そりゃスゴイ!!
私なんぞ、放送を観る前から(先行放送が終わった直後から)、某巨大掲示板を読みに行った…
確かに、あのまま生きていても土方には死あるのみでしょうね。
それも近藤勇と同じく、武士としてではなく罪人としての死。
こういう言い方はしたくないんですが、あの戦死が土方歳三としての正しい死に方だったかもしれません。
>去る者は歳三、三尺の剣にて斬る!
これを山本土方でやられたら……カッコよすぎてやっぱり卒倒しそうです
あの生き様・・・おそらく五稜郭で降伏をしても
土方は京都時代薩長を恐れさせた新撰組の副長。
榎本・大鳥は存命されても、おそらく土方は死罪・
そんな後は以下に武士としての誇りを見せるかに
かかっていたんでしょうね!
去る者は歳三、三尺の剣にて斬る!
この台詞も聞きたかったですね!