物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20210219 小浜 西組

2021-02-24 | 行った所

小浜湾の朝

小浜市の西組と呼ばれる地区は風致地区だ。北に海、南に後瀬山が迫る地域には古い街並みが多く残る。

これは大正時代の建物で国の登録有形文化財だが現役の歯科医院だ。

 八幡神社 後ろにある山が後瀬山

「紙」の看板がある店の前を東西に走るのが丹後街道。


丹後街道は丹後から見ると若狭街道になるようだ。
丹後街道沿いに、祭や町内の説明板が出ている。 

 放生会が小浜の代表的お祭りだが祇園祭と似ているようだ。

 空印寺

椿が植えられているがほとんど散っていた

 ハ百比丘尼 後瀬山

小浜湾に面しマーメードテラスと称し、あまり風情の無い人魚像があったりするのだが、その脇に、堀川改修記念碑という地味な石碑がある。昭和50年代の物だから読むのに労はない。それによれば、幕末の小浜大火に際し、小浜町奉行武久権十郎は、町中央に新川を開削し、防火線とすることを提言した。藩の許可は下りなかったが、町役人等と協力し、工事を断行。
この武久権十郎野墓も空印寺にあると碑にはあった。

 武田屋敷跡 いつか整備する予定だろうか、空き地のようになっている。

瀧天神  瀧天神

小浜線の下を通って常高寺へ。

 この奥の階段は通れない。滝天神の脇を回っていく。


この寺は参道の階段の途中を線路が横切っていることで知られていたのだが、現在その道は通行できない。
珍しいことかと思っていたが、あちこちのあるようだ。少なくとも鎌倉の満福寺、駿河の清見寺がそうだった。
常高寺は小浜線で鉄路で分断されているだけでなく、後ろ側は国道27号線によっても切られている。墓地へ行くのは後瀬山トンネルの上道をを回るのだ。

 後瀬山トンネル

 常高院墓へ

常高寺境内に放哉の碑がある。ここで寺男をしていた時期があるそうだ。

 

西組の街並み↓


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