物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

飛騨巡り 高山市

2021-07-16 | 行った所

せせらぎ街道を北上、高山市内にはいる


http://www.seseragikaido.org/_spring/spring_top.htmlせせらぎ街道を愛する会HPより

高山は盆地だ。
 風土記の丘公園から高山市内を見下ろす

 縄文から古墳の建物が復元されてある。

この場所が時代を越えた複合遺跡だったわけではない。あちこちのものを持ってきたようだが、割とよくできている。

 学習館という名の資料館がある。
コンパクトで悪くはないが、もう少し、飛騨の歴史・地理を俯瞰的に示す工夫が欲しい。
近くに飛騨国分寺の瓦を焼いた窯跡があったようだ。

 

飛騨国分寺

聖武天皇の国分寺建立の詔により、行基によって建立されたという伝承を持つ。8世紀半ばのことである。無論当時の寺が残っているわけではない。創建当時は七重の塔を持つ大伽藍だったという。

 その心礎は境内に残っている。


本堂前の文化財看板にかなり驚いたのである。小烏丸だって! 残念ながら非公開とか。ただ皇室の御物に小烏丸の太刀があるそうだ。ここのも重文というからそう悪いものではなかろうが・・

平家物語第3巻 「無文の沙汰の事」
治承3年(1179)重盛は病気である。嫡子維盛を呼び、酒を出し、引き出物を取らす。太刀を見た維盛は家伝の小烏かと胸を躍らすが、小烏ではなく葬式用の無文の刀だった。

たぶん平家物語で小烏丸が出てくるのはここだけだ。重盛が持っていたらしいから、維盛か資盛が相続したと思われるが、刀の行方は知りようもない。
平家の家宝とされる刀には他に抜丸があるが、これは忠盛から清盛ではなく頼盛に渡された。

大銀杏
樹齢800年程度の古木は見たことがある。しかし1200年級となると初めての気がする。

  大銀杏と鐘楼

 

高山を流れる宮川。

 赤い欄干の中橋上から
高山の売りは古い街並みだ。街並み自慢の街はたくさんあるが、高山のそれはなかなか広い範囲にわたって街並みが残っていることだ。風情があると言えばあるが、幾分単調でもある。

高山陣屋付近は観光地だ。朝市もあるらしい。
高山の歴史など白紙だったのでなかなか新鮮でもあったのだ。
陣屋門

戦国末、金森長近が飛騨を領する。江戸時代になっても6代まで金森家が領するが、金森は新潟へ転封され、飛騨は幕府の直轄地となった。幕府は高山に代官を送り込み、直轄地を支配する。代官は家族・使用人込みでやってきて、陣屋の役宅に住む。幕末の山岡鉄舟の父親は飛騨の代官で、鉄舟もここに住んでいたことがあったらしい。陣屋は元は金森家の別宅だった。明治以降は役場として使われ、なんと昭和40年代まで岐阜県庁飛騨庁舎であったという。

役宅の庭、中央に見える塀の向こうが米倉

 お白洲もあった。

隣接して大きな米蔵がある。蔵の中が展示場になっており、資料が面白かった。

 飛騨の産物としては何といっても材木で、これが欲しくて幕府は飛騨を直轄地にしたのだという。

 江戸からの代官の道中、中山道から入る。

 大原彦四郎という名が見えるが、かなりの曲者代官だったらしく、苛政であった。大原騒動という一揆が度々起きる。騒動にもかかわらず代官職が息子にまで世襲されているのは、幕府から見れば職務に忠実だったということだろうか。

 一揆の笠連判

山から切り出した木材を加工し、水運を利用し運び出す。加工の仕方、検収の仕方、なかなか厳格だったようだ。

飛騨のもう一つの産物、鉱山

神岡鉱山くらいしか思いつかなかったが、あちこちにあったようだ。
以前四国の別子銅山の規模の大きさに驚いたことがあるが、神岡はどんな規模だったのだろう。

蔵自体も面白い造りだ。


非常に大きな庇を持っている。


屋根は全て板葺きだ。蔵だけでなく陣屋全体が板葺きだが、葺き方は違うようだ。

 役宅の屋根
葺き板は榑(クレ)という。

 かなり頻繁に補修しているのか、山のようなクレの束もあった。


蔵の火防ぎ:通風孔を石でふさぎ密閉する。
土蔵は漆喰を塗っていないむき出しだ。


出入口の戸には漆喰が塗ってある。

 

 

 

 

 

 

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