物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20210211-13 京都 花園・北野

2021-02-23 | 行った所

花園 待賢門院・上西門院墓

JR花園駅の北側に法金剛院という寺があり、待賢門院が出家した寺だという。彼女の墓もあるはずである。
ところが法金剛院の入口が分からない。それらしい樹木の茂りは遠望できるのだが、その周りは住宅地が連なっているようである。
ぐるりと回りかけ、上西門院墓の方を先に見つけた。待賢門院の娘、即ち崇徳・後白河の姉妹である。少年源頼朝が仕えた人でもある。


上西門院墓の左手の小路から、待賢門院墓らしいものが見えたのだが、この道からはアクセスできないようになっている。

上西門院墓の前を通り過ぎ、左折ししばらく行くと、漸く待賢門院墓の入口を見つけた。

待賢門院墓の逆方向、ぐるりと回って、南側に法金剛院の入口があった。

  門は閉じられ入れなかった。

 

北野 二条墓 北野天満・平野神社

北野天満宮から見て西大路を挟み、対称となるあたりに二条天皇陵と称するものがある。

平家物語第1巻「額打論」は二条のことを「御年二十三、つぼめる花の散れるが如し」と悼んでいる。「香隆寺のうしとら、蓮台野の奥、船岡山に納め奉る」とあるのだが、香隆寺という寺は失われてない。その東北方向の蓮台野の奥の船岡山に納めたというのである。蓮台野は鳥辺野・化野と並ぶ葬送の地である。船岡山もまたそうしたところであろうか。この文を素直に読めば、現二条陵の位置は不可解でしかないが、これは明治期に定めた陵墓ということである。(「平安王朝期の葬送」朧谷 寿)

二条陵から東へ、北野天満宮へ向かう。西大路を渡り東に一本入った通りを南下したのだが、なかなか東に入れる道がない。だいぶ下ってから入る道を見つけたが、そこに「二条天皇陵・花山天皇陵参道」の道標があった。二条天皇陵参道はどういう経路になっているのだろうか。


北の天満に入る。

伴氏の社というのがあった。道真の母親が伴氏の出だそうだ。

宝物殿に鬼切丸(髭切丸)があるようだ。展示会は延期になっていたが。源頼光の郎党渡辺綱が一条戻り橋で鬼の腕を切り落とした刀にそういう名がついていたと思う。

北の天満の境内をぬけ 北門に出る。


北門に松永伍作と云う人の顕彰碑があった。養蚕業に貢献した人のようだが、福井県今立の出身となっていた。

北門を出ると西側がすぐ平野神社だ。


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