*福井市郷土歴史博物館のXポスト画像
両方とも名高い絵でいろいろな本に載っているおなじみの肖像であるが、実物を見たのは初めてで、しかも両方並べて見れる機会がそうそうあったとは思えない。
義景像は孝景(英林)像を意識して画いているのだろうが、絵師の力量が劣るのか、筆は些か荒くなっている。その分モデルの人物も品下がって見える。もっとも朝倉家中興の祖、戦国大名としての祖と仰がれる孝景と、義景とでは先入観の差もあるが。
品格の違いはともかく、二人は似ている。頭のかっこう、鼻などそっくりである。
系図によれば、孝景(英林)-氏景-貞景-孝景(宗淳)-義景、であり、孝景は義景の祖父の祖父、曽曽祖父とでもいうのだろうか、5代前の人物である。それにしては似すぎているような気がする。似ていない父子もいる。父には似ていないが祖父にはそっくりの孫もいる。しかし5代前の人物の遺伝子は単純に考えると16分の1に過ぎなくなる。
おそらく絵師は義景像をできる限り孝景によせたのであろう。しかし全く違った面貌をしていたとも思えない。今川義元・武田信玄・織田信長・羽柴秀吉・柴田勝家・前田利家などの肖像はそれなりの個性を移しているように見える。信長の肖像は複数あっても丸顔の信長像はない。
義景は文化的素養のあった人物らしいのだが、この像からは教養がに染み出るという風には見えない。大変気難しく、癇癪持ちでもありそうだ。朝倉孝景(英林)像に感じられる威厳、知性は感じにくい。
二つの肖像画は軸装で足羽山麓の心月寺所蔵だが、ここに収まるまでいくつかの変遷があったと、解説にあった。