物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

伊勢・伊賀 3 伊賀

2020-12-03 | 行った所

伊賀上野は山間の盆地だ。山裾から霧が流れている。

上野公園で芭蕉記念館に入る。
伊賀上野城・俳聖殿をチラ見して、

鍵屋の辻へ行く。ここに伊賀越資料館なるものがあるが、休館中だ。コロナ禍かと思いきやその前からのようだ。伊賀街道の資料館と思いきやこれも違って、伊賀越えの敵討ちの話だ。日本三大敵討ちの一つと言われてもピンとは来ないが、荒木又右エ門という剣客が弟を殺された縁戚の助太刀をし、ここ鍵屋の辻で見事敵を討ち果たした、という話らしい。


公園になっている。

道標がある。文政の年号がある。左奈良道、右伊勢道

もう一つ近くに方向の違う道標がある。明治の物で、右奈良大阪、左月瀬みち とある。

 月瀬はどこだろう?

観光案内図によれば木津川がごく近くを流れている。

木津川と云えば山背の川という印象が強いが、伊賀から流れてきていたのか。この川で、京都奈良がぐっと近くになる印象だ。
木津川を渡って引き返す。引き返す橋の上から伊賀城が見えた。

芭蕉の生家というのも行ってみるが、工事中だった。

 

伊賀国分寺趾へ行く。

なかなか入口が分からずぐるりと回った。

調査保存はしてあるが。広大な草っ原という感じだ。これはこれで風情のあるものではあったけれど。

近くの友生ICから名阪国道で壬生野から下道を北上、新名神の甲南IC、草津から名神に乗換え帰る。

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伊勢・伊賀 2 安濃川・落合・多気玉城・須が瀬・産品

2020-12-03 | 行った所

平家物語第5巻「文覚被流」文覚は強引な勧進で後白河の怒りを買って伊豆に流される。この時、阿納の津から船に乗って下った、とある。私はこの話を読み飛ばした。伊勢から船に乗ったと見たとしても桑名から鳴海に渡るようなルートを想像したかもしれない。後の東海道のルートとは違うはずなのに、である。
安濃津、即ち津である。津市には三つの川の河口がある。北から志登茂川・安濃川・岩田川である。どれも大きな河口に見える。

 安濃川河口


昨日見た案内板の維盛の墓?がある成覚寺まで行ってみようと思うのだ。安濃川を遡る形で辿る。安濃川ダムを越え更に行くとバーベキュー場になっているが、落合という集落だ。これが平家の落人の隠里ということらしい。

 とはいえ、伊賀街道の抜け道にあたりなのか、家康の伊賀越に絡んだら話もあるようだ。

 女が絡むような呑気な山越えではなかったろうと思うのだが、もしここから東へ行ったとしたら、安濃川を下り、安濃津からの船出ではなかったろうか。どっちにしろ諸説ある話らしい。

 三重県のHPから

 成覚寺は維盛が開いたとか、墓もある。まずありえないが、そういう話ということで。

 安濃川ダム湖、錫杖湖。

「平家発祥の地」にあった案内板の地図はよくわからない。

縮尺・距離感がアバウトなのだが地元の人ならわかることなのだろう。人名もよくわからない。高橋昌明「清盛以前」の平家の系図はかなり詳しいのだが、それにも出てこない者も多い。


高橋昌明「清盛以前」の平家の系図

安濃川ダムから下ってきたところに戸島という地名を見つけたので集落をぐるぐる回っては見たが、城跡・館跡らしきものは見当たらず諦めた。戸島城に拠った高士氏とは何者だろう?その近くの久我の資盛はまさか維盛の弟の資盛ではあるまい。

伊勢自動車道に乗る。

南下、勢和多気で降り、下道を渡会町方面に走ると、熊野古道の幟が目に入る。寄ってみる。

女鬼峠、というのがあるようだ、

少し歩いてみる。途中で迷ってしまい引き返したが、いい散歩だった。伊勢から熊野に向かう道の最初の峠となるそうだ。玉城町の案内所でパンフをもらう。


玉城ICから一志嬉野まで戻る。

須が瀬という町名を頼りに盛国の跡を探してみるが、まるで分らない。

 須が瀬橋から西方

川は雲出川。河口は松坂市になるようだ。伊勢平野は広く豊かそうだ。平家同士でも取り合いがあったのだろう。維衡の一族は同族良兼流致頼一族との闘争に打ち勝ち、伊勢平氏を名乗る。維衡曾孫の正盛-忠盛-清盛と家格を急上昇させる。伊勢には郎党化した一族の者を置いたのだろう。平良兼は将門の叔父だ。良兼の兄国香の子貞盛と組み、将門と激しく会い争う。維衡は貞盛の子だ。平貞盛は将門の従弟で、藤原秀郷と組んで、将門の反乱を屠った。今昔物語には、この貞盛について奇怪な話が載っている。命に係わる怪我をした貞盛は、胎児から取った薬が必要といわれる。貞盛は妊娠していた息子の嫁の胎児を狙うが、息子は医者から血縁のある胎児は効かないと云わせ、難を逃れる。貞盛は他から胎児を調達するが、医者の口から洩れるのを恐れ、医者を殺そうとする。息子は医者を逃す。トンデモ話ではあるが、今昔の成立したころ、平安末期?に貞盛がどんな人物と思われていたかを示すものなのだろう。

忠盛塚の前を通り、産品集落の中に入る。

 旭昌寺

 

 置染神社

 正盛の墓

 一族の墓?

伊賀街道を西に向かう。

途中で163号線と合流したようだ。長野峠を越え伊賀に入るがトンネルだった。

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伊勢伊賀 1 日野(蒲生)・大黒屋光太夫記念館・伊勢国分寺・忠盛塚

2020-12-03 | 行った所

伊勢と云っても桑名へ行くなら米原から東に行って、大垣ICから南下するが、桑名・四日市間は酷く混むので、滋賀周りで行くことにする。

蒲生スマートで高速を降りる。蒲生氏郷の蒲生らしい。蒲生氏郷は信長・秀吉に従った戦国の武将で、キリシタン大名としても知られる。氏郷は後に福島に封ぜられ会津若松の若松はこちらの地名からとったそうだ。

日野町あたりをはしる。

あのこはだあれ、だれでしょね の碑をみた。 作者は細川雄太郎という日野の出身者だそうだが、あいにく知らない。
日野町は近江商人の街であり、かなり大きな神社がある。

馬見岡綿向神社。蒲生の総社らしい。猪にまつわる話がある。

  
そこから水口へ出て、1号線を東進、土山・関を経由し鈴鹿市に入る。

海岸まで出て、大黒屋光太夫記念館へ行く。今度また吉村昭でも読んでみよう。

伊勢国分寺址へ行く。

 屋上から

思いがけず立派な資料館が建っている。鈴鹿市立考古博物館だ。巫女の埴輪が目を引く。内外の考古学者を紹介しているコーナーもあって考古博物館らしいのだが、国分寺の脇に立っているだけあって、遷都の地図や壬申の乱の図などもある。

鈴鹿を出て津市へ向かう。意外に時間がかかる。一時間以上かかった。


津市産品には伊勢平氏発祥の地なる碑がある。

伊勢平氏の祖は平維衡とされるのだが、ここは忠盛生誕の地だそうだ。伊勢街道の案内板やこの近くの関連場所の案内板があった。

 忠盛産湯跡

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