平家物語第5巻「文覚被流」文覚は強引な勧進で後白河の怒りを買って伊豆に流される。この時、阿納の津から船に乗って下った、とある。私はこの話を読み飛ばした。伊勢から船に乗ったと見たとしても桑名から鳴海に渡るようなルートを想像したかもしれない。後の東海道のルートとは違うはずなのに、である。
安濃津、即ち津である。津市には三つの川の河口がある。北から志登茂川・安濃川・岩田川である。どれも大きな河口に見える。
安濃川河口
昨日見た案内板の維盛の墓?がある成覚寺まで行ってみようと思うのだ。安濃川を遡る形で辿る。安濃川ダムを越え更に行くとバーベキュー場になっているが、落合という集落だ。これが平家の落人の隠里ということらしい。
とはいえ、伊賀街道の抜け道にあたりなのか、家康の伊賀越に絡んだら話もあるようだ。
女が絡むような呑気な山越えではなかったろうと思うのだが、もしここから東へ行ったとしたら、安濃川を下り、安濃津からの船出ではなかったろうか。どっちにしろ諸説ある話らしい。
三重県のHPから
成覚寺は維盛が開いたとか、墓もある。まずありえないが、そういう話ということで。
安濃川ダム湖、錫杖湖。
「平家発祥の地」にあった案内板の地図はよくわからない。
縮尺・距離感がアバウトなのだが地元の人ならわかることなのだろう。人名もよくわからない。高橋昌明「清盛以前」の平家の系図はかなり詳しいのだが、それにも出てこない者も多い。
高橋昌明「清盛以前」の平家の系図
安濃川ダムから下ってきたところに戸島という地名を見つけたので集落をぐるぐる回っては見たが、城跡・館跡らしきものは見当たらず諦めた。戸島城に拠った高士氏とは何者だろう?その近くの久我の資盛はまさか維盛の弟の資盛ではあるまい。
伊勢自動車道に乗る。
南下、勢和多気で降り、下道を渡会町方面に走ると、熊野古道の幟が目に入る。寄ってみる。
女鬼峠、というのがあるようだ、
少し歩いてみる。途中で迷ってしまい引き返したが、いい散歩だった。伊勢から熊野に向かう道の最初の峠となるそうだ。玉城町の案内所でパンフをもらう。
玉城ICから一志嬉野まで戻る。
須が瀬という町名を頼りに盛国の跡を探してみるが、まるで分らない。
須が瀬橋から西方
川は雲出川。河口は松坂市になるようだ。伊勢平野は広く豊かそうだ。平家同士でも取り合いがあったのだろう。維衡の一族は同族良兼流致頼一族との闘争に打ち勝ち、伊勢平氏を名乗る。維衡曾孫の正盛-忠盛-清盛と家格を急上昇させる。伊勢には郎党化した一族の者を置いたのだろう。平良兼は将門の叔父だ。良兼の兄国香の子貞盛と組み、将門と激しく会い争う。維衡は貞盛の子だ。平貞盛は将門の従弟で、藤原秀郷と組んで、将門の反乱を屠った。今昔物語には、この貞盛について奇怪な話が載っている。命に係わる怪我をした貞盛は、胎児から取った薬が必要といわれる。貞盛は妊娠していた息子の嫁の胎児を狙うが、息子は医者から血縁のある胎児は効かないと云わせ、難を逃れる。貞盛は他から胎児を調達するが、医者の口から洩れるのを恐れ、医者を殺そうとする。息子は医者を逃す。トンデモ話ではあるが、今昔の成立したころ、平安末期?に貞盛がどんな人物と思われていたかを示すものなのだろう。
忠盛塚の前を通り、産品集落の中に入る。
旭昌寺
置染神社
正盛の墓
一族の墓?
伊賀街道を西に向かう。
途中で163号線と合流したようだ。長野峠を越え伊賀に入るがトンネルだった。