伊勢と云っても桑名へ行くなら米原から東に行って、大垣ICから南下するが、桑名・四日市間は酷く混むので、滋賀周りで行くことにする。
蒲生スマートで高速を降りる。蒲生氏郷の蒲生らしい。蒲生氏郷は信長・秀吉に従った戦国の武将で、キリシタン大名としても知られる。氏郷は後に福島に封ぜられ会津若松の若松はこちらの地名からとったそうだ。
日野町あたりをはしる。
あのこはだあれ、だれでしょね の碑をみた。 作者は細川雄太郎という日野の出身者だそうだが、あいにく知らない。
日野町は近江商人の街であり、かなり大きな神社がある。
↑馬見岡綿向神社。蒲生の総社らしい。猪にまつわる話がある。
そこから水口へ出て、1号線を東進、土山・関を経由し鈴鹿市に入る。
海岸まで出て、大黒屋光太夫記念館へ行く。今度また吉村昭でも読んでみよう。
伊勢国分寺址へ行く。
屋上から
思いがけず立派な資料館が建っている。鈴鹿市立考古博物館だ。巫女の埴輪が目を引く。内外の考古学者を紹介しているコーナーもあって考古博物館らしいのだが、国分寺の脇に立っているだけあって、遷都の地図や壬申の乱の図などもある。
鈴鹿を出て津市へ向かう。意外に時間がかかる。一時間以上かかった。
津市産品には伊勢平氏発祥の地なる碑がある。
伊勢平氏の祖は平維衡とされるのだが、ここは忠盛生誕の地だそうだ。伊勢街道の案内板やこの近くの関連場所の案内板があった。
忠盛産湯跡