物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

五位鷺

2020-08-06 | まとめ書き

鷺は身近な鳥でだ。コサギ、アオサギ、地方都市だと少し郊外の田圃にもいるし、街中の城址の堀端にもたくさんいる。見間違えることはあるまいと思っていたが、ゴイサギの画像を見るとにわかに自信がぐらつく。これが鷺か!見たことのある鳥なのか否や、すくなくともそれと認識して見たことはないはずだ。たまたま見た画像の首や足をちぢめているのかと、いくつか画像を漁ってみたが、やっぱりアオサギなどとはかなり違う姿だ。鷺がペリカン科に属するとも初めて得た知識だ。

平家物語第5巻「朝敵揃」に五位鷺が出てくる。延喜の帝、醍醐の時というから、寛平9年(897)~延長8年(930)、10世紀のはじめとみればいいだろうか。神泉苑に行幸し、六位蔵人に池の水際にいた鳥を捕まえさせた。蔵人は無茶だと思ったのだけれど、宣旨だからと言ってみる。鳥はひれ伏して飛び立たず捕まった。醍醐は喜び、神妙であると五位を与えた。何しろ「宣旨」と云えば枯れたる草木も花咲き実なり、飛ぶ鳥も従がひけり、というのである。醍醐は父宇多院が抜擢し重用した菅原道真を左遷させている。大宰府で死んだ道真は祟る。清涼殿に雷となって落ちる。雷・怨霊には宣旨は無力だったようである。
ところで、利仁将軍は醍醐に仕えた。今昔物語で、利仁が敦賀へ連れて行き御馳走するのは「五位」と呼ばれている男だ。芥川龍之介の「芋粥」の元話だ。情けないしょぼくれ切った小役人が五位なのだ。五位にも正従あってそれぞれに上下あるから五位だけでも4階級あることになるが、ただ五位とのみ呼ばれていることは実質的な差異は大きくはなかったのか。取敢えず五位以上は貴族、のはずなのだが、このしょぼくれぶりはどうしたものか。貴族の子弟は10代前半で六位になり、家柄その他の条件で昇進していくが、たぶんこの五位は生涯五位のままなのだろう。
余りうらやましいとも思えぬ五位だが、武者たちはたいそうこの官位が欲しかったらしい。頼朝は武者たちが朝廷から直接位階をもらうことを許さず、自分が推薦したものに限る、などと制限を設け、御門葉と特別に目をかけたもの以外昇進できないようにしている。
頼朝は最初上西門院の蔵人となった時六位だったのだろう。その後平治の乱の一時的勝利の後の除目で従五位下になり、それは平治の乱後止められていたが、平家の都落ちの後復位される。更に義仲追討後、正四位下、平家追討で従二位になる。
因みに、義仲、義経、範頼の官位は皆従五位下である。

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