ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

おめでとうの季節

2021-05-20 | アメリカ事情

The Collegian - File Photo

 

 

今年も卒業シーズンがやってきて、我キャンパスも、先週末無事に終えた。今年度だけではなく、去年の卒業生も加えての学位授与・卒業式となった。卒業生は、学士も修士も博士もそれぞれに感慨深い一年だったことだろう。これは小学校、中学校、高校を卒業する人々にも言える

 

卒業までの道のりは最後の一年で険しい道となったが、それを終えた喜びはひとしお、よく頑張りました!

 

 

思えば昨年2月末頃、パンデミックらしきがパンデミックとなり、非常に慌ただしく教授陣や職員は、Emailに於てカリフォルニア州政府から「お達し」があり、既往症などのある者は、直ちに自宅勤務に入った。それからしばらくしてキャンパスには収容人口の65%だけが実際にオフィス勤務することになり、多くの職員は自宅勤務となった。

最小限数の対面授業になり、多くはオンラインクラスとして、文字通り手探りで教授陣から学生からより良い授業を模索してきたのだった。大学管理運営オフィスのある建物では、即時に特別室が設けられ、そこで学生、教授、職員対象に無料でCovid-19のPCRテストが毎週行われ始めた。ポツポツとキャンパス人口の中から感染者も出始めていた。

一年前は、先の見えぬ暗いトンネルにいきなりこのように閉じ込められ、中共以外の世界では、皆不安を抱え、マスク着用と手指の消毒、頻繁な手洗い、人との接触を避け、そんな最小限のことでしか身を守れないことに鬱々とした日々が始まったのだった。

一年たった今、幸いなことにこの国の多くの人々は2回のワクチン接種を受け終え、このキャンパスでも一気に心の重石が取れ、秋からの対面クラスや、長い間ズームでしか会えなかった仕事仲間や学生、教授陣との再会に、心を踊らせさえしている。最高学府とは言え、コッホやパスツールも卒倒するような非常に原始的な不安をワクチンに持つ恐ろしくVaccine Hesitancy(ワクチン忌避)な人々もいるが、秋の新学年からは、この予防接種は、入学条件に入っている。

およそ学生と呼ばれる5歳から大学院生までの学業の徒は、この一年余、本当に困難な中、たくさんの我慢や不便を持ちながらも、なんとか学業を進め、修学した。そうした学生に対して、私は心からの敬意を表したい。はれて対面で行われた今年の学位授与・卒業式は、去年と今年の卒業生にとって、生涯忘れ得ない物だと思う。多くの制約をこなし、乗り越え、証書を手に取るその喜びは、学生だけではなく、大学職員の私でさえ、目を拭うほどである。社会能力・社交術を習い始めるキンダーガーテンから2年生くらいまでの子供達も、なんとか閉鎖されながらも乗り越えた。大きな拍手と共にこの子供達の将来を願いたい。みんな本当に頑張った。

 

Hooding Ceremony(修士・博士号授与は、恩師や学部長が卒業生にフッドを後ろから首にかける儀式)教育学博士となる卒業生ー彼女の笑顔は素晴らしい。

 

在学中、農学部家畜科のある学生は、学業と仕事をしながら、子供を育て、卒業する年に末の子を出産し、卒業論文にかける時間が不足し、どうしたら良いのか、とオフィスにやってきたことがあった。彼女はやつれ、頬を涙で濡らし、思わず私は机を離れて、彼女を抱きしめた。それだけで彼女は落ち着き、さらに論文コンサルタントが丁寧に様々なオプションを紹介し、彼女は見事やり遂げて卒業して行った。このパンデミックで、私は学生に心から敬意を持っている。そして言いたい、おめでとう、You made it!と。

 

 

 

 

 

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遅いことはない

2021-05-18 | アメリカ事情 人間性

 

 

GUS CHAN

カール・アランビー医師

 

 

カール・アランビーはある問題を抱えていた。それは彼の自動車修理事業についてだった。彼は19歳の若さで修理業を始め、友人のガレージの一部を借り、一人で働いてきた。何年かの間に、11人の従業員を抱え、2つのショップを持つまでに成長したが、アランビーはもっと何か他に遣り残したしたことがあったのではなかったかと思い始めたのだった。最初、彼はそれが自分のビジネスをさらに成長させることに関係しているに違いないと思った。そのため、34歳のときに、オハイオ州ビーチウッド住民の彼は、経営学の学士号を取得することにした。

次の5年間にパートタイムでクラスを受講した後、アランビーは学位を取得するために生物学を受講する必要があると言われた。彼が受けた最後の生物学のクラスは9年生の時だった。アランビーは、生物学を何のために取る必要があるのか​​と考えた。

結局のところ、それは起こり得た最高のことだった。生物学の授業は、彼が自分の奥深くに隠れていた子供の頃の夢を再燃させた。 「初日の後、私は若い頃に持った医者になりたいという気持ちを思い出しました」とアランビーは言う。 「私は高校や人生のどこかでその夢を失いました。若いときは、何でもできると感じます。そうすれば、世界はあなたにまったく違った方法で教えてくれるようです。」

オハイオ州イーストクリーブランドで生まれたアランビーと彼の5人兄弟は、専業主婦の母親と家庭用品を訪問販売していた父親によって育てられた。 「ご想像のとおり、あまり裕福ではありませんでした」とアランビー氏は言う。

貧しいアフリカ系アメリカ人の多く住む地域で育った彼は、自分の夢を追求することへの期待が多くの障壁に直面するのを経験した。黒人の多い学校は、彼を進学課程に導いたかもしれない高度な科学の授業を提供してはいなかった。たとえそうであったとしても、学校でうまくやっていく(勉学に励むこと)は危険に面することだった。 「クラスのオタクであるだけで、多くのトラブルに巻き込まれる可能性があります」とアランビー氏は言う。 「飛びかかられて殴られる恐れがあるため、教科書を家に持ち帰らないことがよくありました。」そこで彼は、より現実的な仕事の進路である車の修理を学ぶことにし、医者になるという考えを脇に置いた。

しかし、その時とは違い、大人になった別のカール・アランビーは39歳でその生物学のクラスに足を踏み入れた。今までチャンスは彼を一度か二度訪れたかもしれないが、彼の満足には至らなかった。彼は夢を生きる準備ができていた。妻と家族の支援を受けて、彼はビジネススクールを飛ばし、医療従事者としての人生2番目のキャリアに必要な理科の授業を優先することにした。彼が50歳に近づくときに医者になることは正気ではないように思えた。彼はそれでは代わりに看護師、医師の助手、または妻のような理学療法士になろうかと考えた。

しかし、クリーブランド州立大学のアランビーの化学教授は、ある日授業の後で彼を呼び止めた。 「カール」と彼は言った。「あなたはここで一番年上の男性のようです。あなたにとって最後のゲームは何ですか?」

アランビーは、自分がどのように医者になりたいか希望したことがあるが、医師というよりやや低い目標を設定する方が現実的だと思うと答えた。

「どうして医者だといけないんですか?」教授は尋ねた。 「あなたはその仕事に対して素晴らしい素質を持っています。あなたは医師になれば長い実りのある道を歩くことでしょう。」

教授は正しかった。アランビーは彼のすべてのクラスで上位になった。 「自分の外側に立っている人が、私自身の内にさえ見えなかったことを教えてくれました」と彼は言う。

そして2015年、アランビーは彼の過去との関係を断ち切った。2つのショップとそこにあったすべてのものを競売にかけた。 「私は積み上げた一生を数時間で売りました」と彼は言う。 「それは解放的なことでしたね。」そして彼は北東オハイオ医科大学へ行った。

2019年、47歳で、カール・アランビーは医学博士カール・アランビーになった。彼はクリーブランド・クリニック・アクロン総合病院で救急医療医学の研修医になった。アランビーが研修医2年となった今、仲間の研修医たちは、彼が部屋の「老人」であることを決して忘れさせない。 「80年代のジョークのいくつかは彼らにはあまり受けないんですよ」と彼は笑う。

彼が今リードするようになった人生に支払うのは小さな代償である。 「人生のこのような後期段階で、これほど真新しいことをし、多くの刺激と責任を持つことができる人は何人いるでしょうか?」 「私の子供たちは私を尊敬してくれています。私のコミュニティは私を尊敬してくれています。私が生まれ育った地域環境の統計から見て、私は医者になるべきではないと非常に多くの人々が言うでしょう。私の年齢、人種、育ち、過去のキャリアは、私が今ここにいるべきではないと言う理由になります。それでも私は今ここにいるのです。」

 

CHRIS SMANTO/COURTESY NORTHEAST OHIO MEDICAL UNIVERSITY

アランビー氏は医学部を医師として卒業。 「私の新しい人生は、長い間すでに(医師として)生きてきた人生のように感じます」と彼は言う。 「たまたま、車を修理する代わりに、人を修理しているのです。」

 

参考:Reader's Digest

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Bass Pro Shopsでのレッスン

2021-05-16 | アメリカ事情 人間性

Bass Pro Shop Logo 

 

 

 

友人がバスプロショップにいた時、店内で不意に大きな音を立てて何かが壊れ落ちるのを聞いた。大きな音だったので、何事かとその音のした方へ近寄ってみると、何人かがささやき、隣の通路の奥をのぞいていた。その通路を歩いていくと、年配の男性が棚にぶつかったので、多くのものが床に落ちて壊れてしまった様子だった。その男性は恥ずかしそうに床にひざまずいて、必死に片付けようとしていた。友人はその男性がとても気の毒になった。誰もが彼の動作を見つめてそこに立っていた。友人は彼のそばに行き、ひざまずいて、あまりご心配なさらぬようにと言い、壊れた破片を拾うのを手伝い始めた。約1分後、店長が来て友人と男性のそばにひざまずき、「そのままにして置いてくだされば、私共でこれを片付けますから。」と言った。男性はとても恥ずかしそうに言った、「私はこのすべての損害を賠償いたします」。店長は微笑んで男性が立ち上がるのを助け、言った、「いいえ、私共は店内の商品に損害保険をかけています。お客様は何も支払う必要はありません!」と言った。

ここでふと気がついたように友人は、言った。

「しばし目をお閉じになり、神があなたのために同じことをなさってくださることをご想像ください!あなたや私の過ちの破片や、人生が投げかけるすべての打撃が与える心の痛みをご想像なさってください。みな、すべての破片を集めて自分で直そうとなさるに違いないです。けれども、神がいらしてあなたのすぐそばに膝まずかれ、微笑んであなたに『そのままにしてお置きなさい、私がこれを片付けて差し上げましょう。』とおっしゃることをご想像なさってください。」

「神はあなたをとてもお愛しになり、神がそうなさるのをあなたがお許しになれば、全ての破損、散らばった破片を元通りにさせられるのです。 私たち全ての人類はこの『保険』を持っており、それが『神の恩寵』と呼ばれています。そしてそれは無料でさえあるのです。そのために人がしなければならない事は、神があなたをお許しになられ、あなたをお助けになり、あなたを癒すように願い頼むことだけです。神は忠実で、それは約束されており、神はあなたや私のためにそうなさり、あなたのためにそうなさるのですから。」

 

 

*Bass Pro Shopsバス・プロ・ショップスとは:(ウィキより抜粋)

アウトドア用品の巨大小売店、BASS PRO SHOPS “Outdoor World”(アウトドアワールド)を全米で約60店舗(カナダ2店)以上 チェーン展開している企業。 スポーツ用品販売業としては世界第3位。。。各店舗では商品レイアウトや店内ディスプレイにこだわり、巨大な滝や水槽、動物の剥製などが飾られ 大自然の臨場感をかもしだしている。そこにありとあらゆるアウトドア・スポーツ用品を取り揃え、大型プレジャーボート(水上レジャー用に使用される船艇の総称:ヨット、モーターボート、水上オートバイなど)やATV(モーター付きの全地形対応車両)までもが多数 店内で販売されており、レストラン、ゲームセンター、ギフトショップ、実弾射撃場など完備され、店舗によっては理髪店や旅行代理店もあるなど、アメリカ型の一店でほとんど全ての買い物が済ませられるワンストップ・ショッピングの典型である。1970年代に、創業者(現:CEO)のジョン(ジョニー)・モリスが米国ミズーリー州で父親の経営する酒屋の裏で始めた釣り餌販売業から始まった。

 

内部はこのように大人にも子供にも楽しい作りになっている。

 

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横断歩道での優しさ

2021-05-14 | アメリカ事情 人間性

Popsugar.com

 

 

 

今日、断歩道で一人で渡るのを躊躇しているようなお年寄りを見かけた。

通常の大人の一歩に、彼はおよそ10の小さなステップを踏まなければならないようだった。

車の行き交う道路には中央分離帯があった。

その分離帯まで彼はその約3/4の距離を歩いた...すべての運転手は彼が渡るのを辛抱強く待っていた...すると反対車線にいた若い青年が道路脇に車を止め、降りてきてそのお年寄りのそばへ駆け寄った。

青年は片方の膝をひざまずいて、その膝でお年寄りがそこにほんの少しでも休めるようにし、やっと二人が分離帯まで到達したとき、その交差点で待っていた車の中で誰もが感謝の気持ちを持った。

この時点で人々は感謝の気持ちを呼びかけながら、通り過ぎる時、涙を流して、この二人が素晴らしい一日を過ごすことを願った。人々にとってそれは何年にもわたって目撃したことの最も本物で、思いやりのある瞬間だった。

 

 

 

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薬局のカウンターで

2021-05-12 | アメリカ事情 人間性

freepik.com

 

 

 

見知らぬ人からの本物の優しさほど美しいものはない。

ある友人は抗うつ剤の処方箋を薬局に持って行くと、うら若い女性の薬剤師が応対してくれた。この新しい薬剤師は友人の投薬歴や投与量をチェックし、その投与量の多さについて心配した。その多さを友人に述べつつ、彼に尋ねた。「この薬の摂取量が気になりますが。」 友人は言った。「それだけ私の症状には必要なのです。」

処方箋を調合している間、友人は自分の銀行口座をチェックし、その処方薬に支払うに十分ではない残高なのに気がついた。カウンターに戻って早速薬剤師に、この処方薬に支払うに十分な残高がないことを伝え、次の給料日に受け取りに来ると告げた。

この薬剤師の若い女性は、その手を伸ばして彼の手に触れ、彼の目をまっすぐに見つめ、「それをお受け取りください、大丈夫です。支払いのできる日にお支払いくださって結構ですよ。この摂取量の多さは、あなたがとてもこれを必要としているとわかります。だから今日お支払わずとも、お出来になる日にどうぞ又いらしてください。」

友人は涙を堪えるのに精一杯だった。若い薬剤師は、彼にハグをしてもいいか彼に尋ね、彼は、はい、と答えた。彼はその日薬局で、美しい魂に出会い、人間愛への信仰を少し回復させてくれたことにとても感謝した。彼の薬剤師への感謝は人の想像以上の物だと言った。

 

 

dreamstime.com

親切な心は綺麗な顔よりも良い。

 

 

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