ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ある看護師のつぶやき その1

2021-05-30 | アメリカ事情 人間性

rcni.com

 

【注】下記はアメリカのある看護士の手記からの抜粋である。この一年余りCovid−19との戦いの最前線で心身粉にして働いてきた彼女への感謝は尽きることはなく、また、その苦悩・苦難を私たちは知るべきかもしれない。長くなるので、二回にわたって載せる。

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つい最近CDC(合衆国の疾病管理予防センター)は、マスクなしで(ワクチン接種終了ならば)どこへでも行けると言いました。それに伴って様々な場所で「要マスク装着」というサインを取り除いているのを見かけます。ディズニーワールドは、米国での疾病率低下、死者が激減し続けている日数、ワクチン接種率などの数字が日々良い方向へ更新されているのを手っ取り早く利用して開園しています。私は、他の誰でもと同じように、通常のCovid-19以前の世界に戻ることにワクワクしていますが、それと同時に手放しで喜べない心境もあるのです。

マスク着用の義務がなくなり、プレキシガラスの仕切りが取り外され、社会的距離の要件が緩和されたとき、それは私が望むように古き良き時代に戻るという幸せな気持ちの到来を告げるだけではないのです。また間違った火が放たれ、好ましくない結果を生むような理論を永続させるのではないかと言う危惧も私にはあるのです。

COVID-19が政治的策略だと思っている人が、少なくないのです。同様に、パンデミックが政府による国民支配の試みであると確信しているFacebookフェイスブックの「友人」たちを合計するには、おそらく両手以外に、靴を脱ぎ両足の指が必要になります。2020年の行動の多くが政府の行き過ぎな支配である証明だと言う人たちも、真実を見ず、気付くことさえありません。しかし、私が以前に聞いたポッドキャストが、ソーシャルメディアを「悪魔の汚水溜め」と呼ぶのも不思議ではありません。

要点は、パンデミックが吹き払われると、その深刻さも風のように飛んでいくということです。もしあなたの知人の誰もがこの病の影響を受けていないのならば、ウイルスを減らすのは至極簡単です。遠いインドからの感染状況ニュース記事だけを知るならば、インドではない所に住む人々の安全を守るために民主党政権が必要以上に国民を支配しようとしたと非難するのはかなり簡単です。おそらくどこか遠い地にだけあったCOVID-19が本当は大したことではなかったとさえ信じることができたでしょう。でも実際にCovid-19は大したことであったのでした。少なくとも私にとっては非常にそうだったのです。

私は救命救急看護士であり、そのキャリアと経験のうちで2020年は最悪最低の年でした。9−11後の戦争の起こり始めた時、軍隊での任務期間を過ごした私は、両手や片足を失い、かろうじて片足だけが残った若い男性兵士たちが、何十人も私のいた医療施設へ担ぎ込まれたのを見たことよりもずっとずっと悪いことでした。少なくとも私が合衆国の地で見た勇敢な負傷兵士たちは生きていました。 Covidパンデミック渦中ではそうではありません。

個人的に言えば、私の働く医療施設だけで、数百人の死を見てきました。高齢者だけでなく、複数の健康問題を抱えている人もその死者の中にいます。特に私より若い3人の子供を持つ母親を覚えています。私は彼女が腹臥位にならなければ死ぬかもしれないと彼女に警告しようとしました。当時、それはCovid-19感染患者を最も助けると思われたやり方でした。翌日、彼女は症状悪化に陥り、重症呼吸不全患者または重症心不全患者のための体外式膜型人工肺が挿管されました。一週間後、彼女は亡くなりました。去年はあまりにも多くの患者がそうした経路を辿ったのでした。

私は同僚がPPE(Personal Protective Equipment=防護具ーマスク、フェイスシールド、キャップ、手袋等)を装着したままで、感染患者となった彼女の夫が亡くなる前に別れを告げるのを見ました。私は心が受け止めることができそうにないほど多くの家族の方々と電話する中、泣きました。普段は剛健な男性が症状の悪化に伴い、その瞳から希望の光が消えていくのを見ました。呼吸するために無駄に戦ってきたような毎日に、感染患者たちの瞳から輝きが失われ、薄暗くなっていったのを私は見てきました。それは彼らが勝てなかった戦いでした。そして悲しいことに、それはどんな病院も医師や看護士も勝てなかった戦いでした。

 

 

看護師としての私の仕事責任は、病人が治癒するお手伝いをすることです。私の20年間の看護師歴では、ホスピス看護で2年間の任務がありました。私はそれが大好きでした。困難な人生経験の終点に向かう患者とその家族の世話をすることは非常にやりがいがありました。私は患者を(世を去る前に)準備し、支援し、慰めることができました。言うまでもなく、遺体安置所がいっぱいになり、これ以上遺体を安置できない事態はこれまでありませんでした。

看護師として、私は死にゆく患者に対応することができます。昨年の問題は、患者全員が介護をし尽くしても亡くなってしまうことでした。集中治療室にどなたかが患者として入った場合、そこを退室するときは、その方は遺体バッグに入れられて、でした。救命救急室を生き残られた患者数を数えるのは片手でできました。なんとおぞましく、割り切れないことでしょうか。

介護・看護とは手助けをすることです。誰もCOVID-19で死にたくはなかったのです。患者たちは生きたかったのです! そして、看護士が医療施設で、まるでホスピス介護・看護士のようになったとき、私たちの士気は衰弱していきました。私は2020年からいまだに、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)の反応を示しているのです。私の行動は、Covid-19に関する統計の数値が改善されている今でさえ、毎日シフトごとに多数の患者が亡くなるのを見て経験したトラウマによる悪影響を受け続けているのです。

私は信仰を持つ女性です。教会が人々にその門戸を開け始めたとき、私は家族を連れて行きませんでした。悲しいことを見過ぎてしまったのでした。私の信仰が怖れに勝つことがあるのだろうかとさえ思いがちになるのが、私のトラウマ反応の一部でした。私はまだ家族を教会に連れ戻していませんが、家にいるときそっと私にささやき脅かすのはもはやコロナウイルスではありません。PTSDは 私に永続的な効果を与え続けているのです。ワクチン、時間経過、集団免疫があれば、COVID-19を乗り越えることができます。しかし、人々の不注意な言葉、憎むべき態度、ほとんど利己主義とさえ言える言動が、クリスチャンが良きクリスチャンであろうとするのを阻むのです。2020年と言う州公認看護士として人生で最悪の年に、毎日患者の死を多く見て、ウィルスを嘲り笑い、まるで仮想敵だとして、事実を見ない人々と交わりを共有するのは耐え難く難しいことです。私は夫と一緒に家にいて神を崇拝しているところです。神、私の配偶者、そして私の仲間の救命救急看護士は、私の心がこの1年でバラバラになった理由を理解している数少ない人だからです。

 

www.sheffield.ac.uk

 

 

その2へ続く

 

 

 

 

 

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