ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

いつ

2019-01-10 | アメリカ事情

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遅すぎると知ることがどれだけ早くくるかわからないので、親切にするのに早すぎることはない。
〜ラルフ・ウォルド・エマーソン〜



何度私たちは、「ああ、明日やればいいわ」と言ってきたことでしょうか。 明日が来ないことがたびたびあり、「あーあ、それを延期すべきじゃなかった」と自分自身に言うのに気が付くことがあります。


私たちの家族は長い間ベティと友達でありました。
長年にわたり、私たちはお互いに電話を掛け合い、誕生日カードを送りあいました。ベティは、私たちの末息子に5ドル札を入れた誕生日カードを、息子が(高校を)卒業するまで毎年送ってくれました。


昨年の11月、私はベティが最近どう過ごしているのか、そして彼女の誕生日がどうだったのかを知ろうと、電話をかけました。 べティが電話に出なかったので、私はかなり驚きました。代わりに彼女の娘キャロルが答えました。キャロルは、母親が急に体調を崩し、容態が悪化し、ホスピスケアを受けていると言いました。 それからキャロルは電話器をべティに手渡してくれました。私は彼女にちょっと話をし、私たちが彼女を愛していることを言いました。


電話を切るとすぐに、私は息子のブランドンにテキストを送り、ベティの体調が悪いことを知らせました。ブランドンがその時自分のしていたことをただちにやめて、すぐ花をベティに送ったことは、私はその時は知りませんでした。


キャロルが次の日に電話をくれた時、べティがどれほどブランドンからの花束を喜んだか教えてくれました。ブランドンのことをどんなに私は誇りに思ったか御想像できるでしょう。二、三日して、べティは亡くなりました。


どれだけ早く遅すぎることを知るかわからないので、親切を行うのは、決して早過ぎはしません。


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著者について:ケイ・ハイシュは三児の母親であり二人の孫を持つ祖母です。 彼女の長男トッドは16歳の時に、車の事故で即死しました。トッドの死からしばらくして、彼女は神と個人的な関係を築くことにしました。それ以来彼女の人生は、良い方向へと大きく変わっていった、ということです。





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