ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

四季

2019-01-13 | アメリカ事情

 

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夫の叔母は、北アリゾナの小さな町で、広い敷地内にフルーツの木々を植え、そのフルーツを栽培収穫しては、プリザーブやジャムやジェリーを作り、メイソンジャーに入れて人々にあげていた。私たちもそのおすそ分けに預かり、毎年きれいなピンク色の梨のジャムを楽しんだものである。上品な甘さで、長年主婦として培った様々な料理や調理の技が必ず感じられた。その叔母が90歳で天寿を全うしてからもう7年経つ。そしてあの上品な梨のジャムも叔母と一緒になくなった。彼女の作るジャムは、その人柄のような慎ましさがあり、いつも家族や友人は、殊の外そのジャムを楽しんだ。私も季節の果物でジャムだのジェリーだのを作るが、彼女のジャムの域には到底行きつかない。そんなことを考えていたある日、下記の話に辿り着いた。読みながら、ふとあの小柄な、いつも控えめで、自分を後回しにする叔母を思い出した。


*******


四人の息子を持った男がいた。彼は息子たちに物事をあまりにも早く判断しないように学んで欲しいと望んでいた。それで彼は遠く離れた場所にある梨の木を息子たちひとりひとり順番に見に行かせた。


長男は冬に、次男は春に、三男は夏に、そして末息子は秋に行かされた。


息子たち全員が四季節にわたっての梨の木の観察から帰ってきた時、その男は、息子たちを呼び集めて、それぞれが見たことを説明させた。


長男はその木は醜く、曲がっていてねじれていた、と言った。


次男は「いいえ、」と言った。梨の木は緑の蕾で覆われており、将来実をたくさんつけるだろう期待がいっぱいだった、と続けた。


三男はそれに同意せず、木は甘い香りがする美しい花でいっぱいで、彼が今まで見た中で最も優雅なものだった、と言った。


末息子は、先の三人に反対した。彼は木にはたくさんの熟した実でいっぱいで、生き生きと充実感に満ちていた、と言った。


男は息子たちが、それぞれその梨の木のひとつだけの季節を見たに過ぎず、彼らのどの答えも正しいと息子たちに説明した。


彼は息子たちに言った:木や人をひとシーズンだけで全体を判断することはできず、彼らが誰であるかという本質、その人生から来る喜び、そして愛は最後の時、すべての季節が終わった時にしか測定できないものである。


冬にあきらめると、春の約束、夏の美しさ、秋の充実を見逃すことになる。


難しい季節ひとつで人生を判断しないこと。そのひと季節の痛みで、他のすべての喜びを損なうことがないように。



 

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