ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

祖母のコート

2019-01-27 | アメリカ事情

Andrey-Arkusha/Shutterstock

 

 

 

 

ミズーリ州エルドラドスプリングスに住むブレンダ・ラヴウェルさんが、カウントリーマガジンに語った話。

 

私のおばあちゃんベラクレイマーは女の子が持つことができる最高のおばあちゃんでした。彼女は親切で、思いやりがあり、誰についても悪いことを言うことはありませんでした。どんな人にも良い点を見つけることができる祖母でした。


私が若い頃、おばあちゃんは冬用に新しいコートを買うために春と夏を通して一生懸命働きました。コートを買うのに十分なお金のために、彼女は卵、ベリー類、なんでも庭で作ったものを売りました。彼女の古いコートはとても使い古され、ところどころにあるすり切れた部分に数回祖母はそれをかなり数回継ぎ当てをしていました。


ついに十分なお金が貯められた時、私たちはいさんで町へ行きました。祖母に新しいコートは良く映えてとてもきれいでした。そして私は、彼女がそのためにどれだけ懸命に働いたかを思い、それを誇らしく思いました。


その冬、彼女が住んでいたミズーリ州ハーウッドの小さな町で、3人の小さな女の子のいる家族が火事で家を失いました。その家族は、衣服、食べ物、そして家庭用品を必要としていました。祖母は彼女の新しいコートを切って小さな女の子たちのために三着のコートを作ることにしました。私はそうしないようにと祖母に懇願さえしましたが、彼女は私の涙をキスで拭い去りました。その幼い女の子達は、自分よりももっとずっとコートを必要としているのよ、と祖母は私に言いました。


コートが出来上がると、祖母は、赤いワゴン車にコート、母親用のエプロン、毛布、食べ物、そして三つの小さな人形を積みました。私は祖母が彼女の古い足踏みミシンで人形、コート、そしてエプロンを作るのを見ました。その家族がワゴンの中にあるものを見た時、その母親は泣き始めました、そして、女の子たちはそれぞれの人形を抱きしめました。


日曜日に、祖母は教会に彼女の古いコートを着て行き、彼女はそこで最も美しいおばあちゃんでした。祖母は私の親友であり、二番目の母であり、そして私は心から彼女を恋しく思っています。

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