ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

スペシャルオリンピックス

2019-01-05 | アメリカ事情

 http://clipart-library.com

 

 

 こんな話をお聞きになられたことがおありでしょうか。

 

数年前、シアトルスペシャルオリンピックでは、身体的または精神的に障害を持つ9人の選手が、100ヤードダッシュのスタートラインで揃いました。スターターピストルが鳴らされて、彼らはすべて走り出しましたが、それはレースに勝つための突進ではなく、ゴールまで終わりまで走り切って勝利するためのレースでした。


そうして皆は走っていたのですが、一人の少年は、アルファルト上に転び、数回転倒し、泣きだしました。(走っていた)他の8人は少年の叫び声を聞きました。彼らは減速して後ろを振り返りました。彼らすべてはくるりと向きを換えて、戻っていきました。8人すべてが、です。


ダウン症候群のある少女は(転倒して泣いている少年のそばに)腰をかがめて、彼にキスして言いました、 「さあ、これであなたは大丈夫よ。」


9人全員は腕を組んで、一緒にフィニッシュラインへ歩いていきました。


スタジアムの全員は総立ちし、その声援は数分間続きました。そこに居合わせた人々は未だにこの話をしています。何故でしょう? それは、私たちは心の奥底でこ一つを知っているからです。


この人生で重要なことは、自分達が勝利を得る以上のことです。


この人生で本当に重要なことは、たとえそれが遅くなり、コースを変えることになっても、他の人が勝つのを助けることです。



参考:スペシャルオリンピックス・日本 http://www.son.or.jp/


 

この話の補足:

この話は、その本質的な点が非常に誇張されているが、絵空事ではなく、真実ではある。ワシントン州スペシャルオリンピックス・オフィスの関係者によると、この件はワシントン州スポケーンで1976年に行われた陸上競技会のイベントで起こった。ある競技者が転倒し、一、二名の選手たちが、その転倒した選手を助けるために引き返し、一緒にゴールラインを越えた。つまりそれは一、二名の選手だけで、他の選手たちはそのままレースを続けたのだった。


したがって、話は、転倒した競争相手を助けるために、勝利の金メダルという自身の夢を自発的に捨てた「特別な人々」全員に関するものではなく、むしろ別の人の援助に行くことを選んだその二、三名の人たちに関するものである。残念なことに、この話は、知性の欠乏が子供のような純粋さと、子供の素直さで補われている、という世間一般の(間違った)固定観念をさらに助長している。実はスペシャルオリンピックス選手たちは、他のどのようなスポーツでも活躍する選手たちと同じくらい、レースのために長時間、献身的に自己訓練・鍛錬をしている。


スペシャルオリンピックスは、地域社会の恵まれないメンバーに社交の機会を与えるための、ほんの少々かけっこをする、というカジュアルな集まりではない。各競技者が最善を尽くすよう努め、非常に組織的なスポーツイベントである。そしてそれは真摯に試みられ、成功してきている。


スペシャルオリンピックスの宣誓文の基本は、「勝ちましょう。でも勝てなかったら、勇敢に挑戦しましょう」というものである。

 




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