日本へやってくる外国人は、もしかして日本には、まだ侍もいて、ゲイシャもいて、人力車もあって、などと勝手に想像してくることもあるらしい。確かにゲイシャさんはいらっしゃるし、浅草に行けば人力車も営業しているし、侍は、スポーツ界でカタカナにして活躍している。ニンジャにも期待してやってくるが、ニンジャは最近人手不足だとニュースで聞いた。
初めてデンマークへ赴くことになって、脳裏に浮かんだのははるか時空を飛んだことであった。オーデンセから首都コーペンハーゲンにやってきた若い若いアンデルセンが、今日の糧もおぼつかない困窮の中を、不安げに街を歩き回る姿。とっくのとうに亡いジョージ・ジェンセンが丈の長いスモックを着込んでスタジオで新しい銀細工はアール・ヌーボーだ、とスケッチをしている姿さえ目に浮かんだ。そんなはずは一切ないのに、あの冬の凍てつくクロンボー城の昼でも暗い一室をかのハムレットが苦悩を眉間にみせて行きつ戻りつしているのでは、とも。なんとステレオタイプな私。
初夏のデンマークは青空が深く澄み、海峡の水はキラキラとしていた。非常に能率の高い税関を抜け、迎えに来ていた息子たちと合流して、空港を出るとすぐ、駐車場の前にあるグロサリーストアへ入った。義母となるキリシティが、新鮮な野菜を売るそのコペンハーゲンの店を好み、特にスナップピーが好物なので、息子は買っていきたかったのだ。初めて行ったところのグローサリーストアを覗くことは、ほとんど趣味の私であるから、楽しかった。
空港にはもちろん、そのグローサリーストアにも、車で走りぬけた街中にも、若き悩めるアンデルセンも、妻と早々に死別して二人の息子を育てるために苦労していたジョージ・ジェンセンもいなかった。オーレスン橋をスエーデンへ向けて走った時には、すっかり21世紀に戻っていた私である。
息子達は翌日コペンハーゲンで挙式をしたのであるが、その次の日、再びコペンハーゲンへ繰り出した。聖母教会にあるクリスタス像と十二使徒像群と、カール・ブロックの絵画を別の教会で見学したかったのだ。時間の都合でカール・ブロック絵画のある教会へは立ち寄れずにいたが、市中のレストランで世界一と思えるトマトビスクに出会えたし、そのレストランの裏手の文具店で、筆記具やsealing wax( 封蝋 )に目のない私は、掘り出し物を得たのだから、十分嬉しかった。
ハムレット、ではないが、息子が散策しているクロンボー城
Tivoli Gardens (チボリ公園)を目の辺りにしながらも、寄れなかったが、息子が後日訪園して、楽しんできた。非常に限られた時間での慌しい訪問だが、コペンハーゲンの街は、北欧人特有の簡潔な清潔さのある都市だと十分にわかる。楽しげなトレンディな商店もたくさんある。Copenhagenという2014年の映画を観たことがあるが、若者受けするお楽しみの場所も多いようだ。もっともこの映画は綺麗な14歳の少女が18歳のように振る舞う現代のコペンハーゲン映画である。
コペンハーゲンは男女の性差がないに等しく、昼夜を問わずに楽しめるパーティの街といわれるそうだ。といっても老体には関係がない。小奇麗なレストランでおいしいディナーを取り、たくさんの個性的な店をひやかして、美術館や博物館で飽きもせずに展示物を堪能するに限る。あのトマトビスクが私を呼んでいる。
クロンボー城はこのNeptune (海神)が守っている