教会にはいろいろな方がいらしてお話をされたり、お祈りをされたりして帰っていかれます。今日も20台中ごろの青年がやってきて一時間くらいお話をいたしました。
もう洗礼をうけて教会員になっておられる方だけではなくて、まだ教会の礼拝に出たことがないとか、洗礼を受けてないという方も沢山いらっしゃいます。
内容は、深刻なお話から、教会や聖書についての質問、嬉しかったこと、良かったことの報告まで色々です。
先日教会である方にこんな質問をされました。「先生、よく雨が降りますねぇ。ところで、梅雨っていうのはどうしてあるのか分りますか?」
梅雨ってどうしてあるんだといわれましても答えに窮してしまいます。だいたい牧師のところにくる質問というのは、聖書は何が書いてあるんですか?とか、困ったときよく効きそうな聖書の言葉はないですか?とか、そんなことが多いです。ですので梅雨はどうしてあるって言われても困ります。真面目に考えて「何ででしょうねぇ~」と申し上げたら、「to you」と言われました。梅雨はto you 、あなたのためにあるんですっていうのが答えだそうです。
ガクッと致しました。でも梅雨があなたのためにあるっていうのも、まんざらまちがいでもないなぁと思いました。雨の季節があって収穫の季節があるのですし、いろいろな時期があって、それは神様がわたしたちにお恵みとして与えてくださっているんですね。それは梅雨に限ったことではなくて、人生の明るい季節も暗い季節も、いろいろありますけれど、やっぱり色々な時が後になって、なるほど、お恵みだったなぁと感じるようになるのではないかと思いました。
今日は短い聖書の箇所を読みました。ここにイエス様は幼子のようになれと言われるんですね。幼子のようになれというのは、まさしくその通り、幼子のように、お父さんお母さんに嬉しい!楽しい!嫌だ!やりたくない!困った!こんなの嫌だ!お腹すいた!、そう言うように、神様の前に、素直に自分の心を差し出したらいいんだということでしょう。
わたしたちは大人になると色々なことに知識を蓄えて、色々なことが分るようになって、心配したり、不安になったり、余計な心配をして生きることを自分で暗くしていったりしていることがあります。でも、親に任せて安心している幼子のようになれとイエス様が言っておられる。
この過ごしにくい世の中にあって、心配しないでいいんだよ。大丈夫だからやってごらん、そう神様が語りかけておられるような気が致します。
教会には主の祈りというのがあります。「天にまします我らの父よ」と祈ります。神様は天の父でいらっしゃると言うのです。言い換えればわたしたちは神様の子供なんだということです。
神様がわたしたちの将来を、わたしたちの毎日を養い、しっかりと守っていてくださるのだから、さぁ勇気をだして、安心して生きていけばいい。そんなふうに聖書を通して、イエス様はいまここに生きるわたしたちに語りかけておられるのです。
もう洗礼をうけて教会員になっておられる方だけではなくて、まだ教会の礼拝に出たことがないとか、洗礼を受けてないという方も沢山いらっしゃいます。
内容は、深刻なお話から、教会や聖書についての質問、嬉しかったこと、良かったことの報告まで色々です。
先日教会である方にこんな質問をされました。「先生、よく雨が降りますねぇ。ところで、梅雨っていうのはどうしてあるのか分りますか?」
梅雨ってどうしてあるんだといわれましても答えに窮してしまいます。だいたい牧師のところにくる質問というのは、聖書は何が書いてあるんですか?とか、困ったときよく効きそうな聖書の言葉はないですか?とか、そんなことが多いです。ですので梅雨はどうしてあるって言われても困ります。真面目に考えて「何ででしょうねぇ~」と申し上げたら、「to you」と言われました。梅雨はto you 、あなたのためにあるんですっていうのが答えだそうです。
ガクッと致しました。でも梅雨があなたのためにあるっていうのも、まんざらまちがいでもないなぁと思いました。雨の季節があって収穫の季節があるのですし、いろいろな時期があって、それは神様がわたしたちにお恵みとして与えてくださっているんですね。それは梅雨に限ったことではなくて、人生の明るい季節も暗い季節も、いろいろありますけれど、やっぱり色々な時が後になって、なるほど、お恵みだったなぁと感じるようになるのではないかと思いました。
今日は短い聖書の箇所を読みました。ここにイエス様は幼子のようになれと言われるんですね。幼子のようになれというのは、まさしくその通り、幼子のように、お父さんお母さんに嬉しい!楽しい!嫌だ!やりたくない!困った!こんなの嫌だ!お腹すいた!、そう言うように、神様の前に、素直に自分の心を差し出したらいいんだということでしょう。
わたしたちは大人になると色々なことに知識を蓄えて、色々なことが分るようになって、心配したり、不安になったり、余計な心配をして生きることを自分で暗くしていったりしていることがあります。でも、親に任せて安心している幼子のようになれとイエス様が言っておられる。
この過ごしにくい世の中にあって、心配しないでいいんだよ。大丈夫だからやってごらん、そう神様が語りかけておられるような気が致します。
教会には主の祈りというのがあります。「天にまします我らの父よ」と祈ります。神様は天の父でいらっしゃると言うのです。言い換えればわたしたちは神様の子供なんだということです。
神様がわたしたちの将来を、わたしたちの毎日を養い、しっかりと守っていてくださるのだから、さぁ勇気をだして、安心して生きていけばいい。そんなふうに聖書を通して、イエス様はいまここに生きるわたしたちに語りかけておられるのです。