膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

生きること

2012-06-01 07:13:21 | 生きること、死ぬこと
2012年 6月1日(金)

がんブログを、いろいろ読んで
考えさせられた。

若くして、突然余命告知をされた人
最愛の子供や伴侶を失った人
これから!という若いいのちを
無念に散らした人


一旦、がんと言われたら
治療、治療の毎日だ。

がんと闘っているのか
抗がん剤と闘っているのか
わからなくなる

がんを治すために
ハードな治療をやり
その副作用で、死ぬほど苦しむ

それでは、何のために生きているのか
わからなくなってしまう
と多くの人が書いている。

しかし、医師は言う
あなたが今、生きているのは
治療しているからですよ
治療していなければ
あなたは今、ここにはいないでしょう

確かにそうかもしれない
しかし、余命告知をされてから
全く何の治療をせず
旅行し
家族で、楽しいネ
おいしいネ
と、ときを過ごし
サッと風のように去ってゆく
そんな人もいる。

知り合いのドクターは
そんな人生の終い方をする人は
えらい!という。
凄い!という。

でも、、、、

誰しも、生きることへの執着がある
いくら余命半年と言われても
治療したら治るかもしれない
と希望を捨てられないだろう

たったひとつのいのち
そうサバサバと
簡単に
死と折り合いをつけて
終(しま)えるとも思えない


医師も、神さまじゃないから
絶対的なことは言えないだろう
予後も、余命も

患者側からしたら
医師にいくら絶望的な告知をされようが
死の瞬間に、後悔したくない
もっと、なにか治療があったのではないか
と、後ろ髪を引かれる思いで
この世とおさらばしたくない

だから、人は
いくら苦しくても
抗がん剤に挑むのだネ


一番思うことは
抗がん剤治療とは
がん細胞も叩くが
正常細胞も犠牲になること


だから、治療前の
体力ある、健康的な日々は
もう戻らない
重篤な副作用を抱え
いのちを永らえてゆく

いくら体力が、半分になっても
ずうっと生きていけるなら
まだいい

しかし、徐々にラストに近づいていく


どこまでが根治治療なのか
どこからが延命治療なのか
医師だって、判らないのだろう

あるとき、追い込まれて
治療の選択肢が、どんどん狭まり
やっても、やっても
苦しいだけで、効果は上がらない。

そのときから、延命治療なんだな
と思う



そこで、スパッと治療を止める!
私自身がそうなったとき
その勇気をもちたい




夫は淡々と治療を続ける
苦しい副作用を得て
あまり効果が上がらなくても
淡々としている。

リンパの大きさが変わらんかったわ
というが
さらに、大きくなってないから
治療の効果が出ている
と考えるべきなのかもしれない

昨日、私の病室にきて
今度の月曜から
新しい抗がん剤治療に入るという

同じのを使ってたら
効かなくなるねん、と


今のGT療法が効いていたから
夫は、腹部のガスもなく
食べられ、お酒も飲み
仕事も続けてこれたのかも、、、

私の病室のソファーに座って
ズボンのベルトを広げながら
ふぅ・・
とため息をつく

お腹、苦しいの?

腹のガスで、腹も腰も
痛いねん
舌が荒れてるから
食事の味もわからんわ



それでも彼は
また新たな治療に挑む