膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

入院、そして導尿

2012-11-07 12:50:05 | 闘病
2012年 11月7日(水)

尿が出ないので、午前入院となる。
腫れ上がった両足を見て
看護師さんが驚いていた。
痛そう・・・と

その後、泌尿器科の専門医が来て
導尿となった。
排尿のたびにトイレに行くたいへんさは
なくなったが、管をぶら下げて
気分悪いだろうな、と思う。

入院してくれたので、一応ホッとする。
家だと、彼がいろいろオーダーしてくることが
医療の専門的なことだと、私はできないし
言われるだけで、アタマがくらくらする
彼はいとも簡単に言うが
私は「えー?! それ、どうやってやるの?」
とおたおた、混乱!

だから、入院でひとまず安心!

尿を出すことができない!

2012-11-07 01:10:18 | 闘病
2012年 11月6日(火)

白浜から順調に帰ってきたが
夜、トイレで排尿しようとするが
どうしてもできない。

陰部まで、リンパ浮腫で腫れているためだ。
うんうんうなって、15分ぐらい頑張っていたが
ついに無理と判断。
尿が出ないのは致命的なので、入院するという。

あわてて、入院の用意をしたが
もうすでに、夜中の1時
当直に専門の泌尿器科医がいる可能性は低く
明日朝に入院することになった。

大学の友人と会食する

2012-11-05 22:37:20 | 普通の日々
2012年 11月5日(月)

宿の人に教えてもらって
“崎の湯”という絶景の露天風呂に行った。
温泉につかっていると、まるで海に飛び込めそう
すぐ横まで、海がきている。

幸い、誰もいなくて貸切だった。
リッチな気分を満喫する。

その後、宿で少し休み
夕方、会食に出かける。

彼の大学の同級生が、和歌山からわざわざ出てきて
夕食の場を設定してくださった。
友人の方々が、夫の身体を心配してくださっているのが
ひしひしと伝わる。

私も元気がなかったが、時々話しに入って談笑
3時間があっという間に経ち
お開きとなった。

古くからの友人はいいなぁ!
20代の時に撮ったビデオ再生をしてくださり
元気で若かった夫の笑顔が写っていた。

今の時期しか食べられない“天然クエ鍋”を
ご馳走になった。
夫に会っておこう、という
ご友人のお気持ちが、とても嬉しかった。





白浜へ

2012-11-04 12:07:44 | 普通の日々
2012年 11月4日(日)

温泉のある所で、転地療養したい
気分転換したい
あそこは? ここは?
といろんな土地を候補に上げて言うので
いろいろ検索してみた。
急なので、飛行機やレンタカーが取れず
結局、白浜に行くことになった。



両足がリンパ浮腫で、倍ほどの太さに腫れあがっており
腹部や臀部、左肩、左手にまで及んできた。

パンパンに腫れているので、痛い、痛いと言い
歩くのも、大変!



でも、行きは3分の1くらい運転をする。
痛み止めの飲んでいるし、止めたら?と言っても
助手席で、痛みと闘っているより
気が紛れる、運転に集中したら痛みもあまり感じない
と言う。
で、恐る恐るやってもらった。

夕方
名勝地 千畳敷に着く。
真ん前で車を停め
私に歩いて行って見て来い、と言う。
ボクは最近、病院のリクレーションで来たから
よく知ってる、と。

度重ねて言うので、海岸まで下りて行った。
ちょうど夕陽の時間
秋晴れの、美しい日だった。


そのあと、三段壁にも行く。
ここは、パーキングから絶壁まで
石畳で階段
今回、車椅子を借りようか検討して諦めたけど
車椅子があっても、到底絶壁までは行けなかったなぁ・・・
石畳で階段なんて、、、



予約しておいた宿は、そのすぐ近くで
サービス満点で、夕食が本当に美味しかった!!
夫も奇跡のように食べられた。
連泊なので、クエの一品もつけてくださり
最後はすきやきまで出てきて驚いた!
食材が新鮮で、味付けがよく、大満足!

立ち寄り湯にも寄って、こんな旅に来れたことが
不思議だった。
こんなに重病なのに!




共倒れの、がん患者の家庭

2012-11-01 19:54:57 | 闘病
2012年 11月1日(木)

11月に入った。
今日は、とても風が強く
季節の移ろいを感じる。


昨年再発してから、1年半以上経った。
がんは、再発してしまったら負け、という話が多いので
5年以上経過しての再発は、物凄いショックだった!!
彼も「ガーンときた」と友人のDrに電話で話していた。
5年以上も、我々はがんを忘れて過ごしていたのだ。


昨年は、なんとか明るく頑張り
今年になって、どんどん悪くなってきて
それに従い、私の免疫も落ちて落ちて
今では、抗がん剤を繰り返している彼より
私の白血球数の方が少ない。


私が元気で、夫がどんな要望を出してきても
ニコニコ叶えてあげたい!
何でも軽々とやりたい。
長年パワフルに、いっぱいのことをやってきたのだ
だから、元気でありさえすれば、できる
でも、今は限りなくウツっぽく
元気が全く出ない。

彼に  ~して  ~取って  ~行きたい ~食べたい
と言われるたびに
目はぐるぐる廻るし、耳なりや
吐き気はするし
夜は目覚めてばかりで、最悪の睡眠の質

突然どしゃー!っと汗が出るかと思えば
ゾクゾクして寒い
果てしなくしんどい

車の運転をしても、常にぼぉ~っとしていて
いつの間にか家に帰り着いている。
こんな状況では、運転も危ない。
だからよけい、彼が福井県に行きたい→長野に行きたい→
九州に行きたい→白浜に行きたい→
とどんどん言うと、頭がフリースして
クラクラする。
大学病院に、付き添って運転して行くのでさえ
自信ない。


この3週間苦しめていた抗がん剤の副作用は
やっと少しマシになったようで
ここ2~3日、だいぶ食べられるようになってきた。
食べられると、彼の表情も少し明るい。

地図や本を読む気もおきてくるわ
と言う。




でも私は、元気を取り戻せない。
親友から、目が死んでいる、と言われた。
元気を出して、先を考えず、明るく楽しく
日々生かされていることに感謝して
と解っているのだけれど、頭では。
でも、身体がしんどくて、しんどくて
どうにも動かない。

仕事でも、頭は働かず
苦痛の時間。
仕事先にも
申し訳なく
また、彼にも申し訳ない。
元気が出なくて


日々是好日
解っている
いるけれど、心のコントロールができない。
人間とは弱いものだ、としみじみ感じる。


わかりもしない先を考えるから悪い!
わかっちゃいるけれど・・・



神仏にすべてゆだねる
そう本当にできれば、楽なんだろうけど・・

彼は立派に生きているのに、、、
ほんとに夫は強い



なんとか踏ん張り、頑張って
乗り切らないと!
そう強く思い
がんばれ、がんばれ!と
夜にベッドに入って
声を出さずに絶叫している



一日一生!!

明日になったときに、明日をどう生きるか考える

現在のいま・ここ、に集中して過ごしていく


努力しよう!
がんばろう!






今日一日だけ

2012-10-31 00:29:05 | 闘病
2012年 10月31日(水)

今日一日だけ
やってみよう



一日できれば
三日できる



三日続けば
一年続く



一年続けば
三年続く

いまを、精一杯!

2012-10-30 23:52:03 | 闘病
2012年 10月30日(火)

マイナス感情は
10秒まで
と決めたらいい
との提唱がある


今がいちばん悪い
と考える

明日は今日より
良いのだ
と信じる


この世には
恐れるものなど
ない

いつもニコニコしよう、と




先を考えず
いまを
精一杯生きよう

生命が終わるということ

2012-10-30 23:44:15 | 闘病
2012年 10月30日(火)

生命が終わるということは
宇宙へ帰る、ということだそうな


安らかに
私たちが生まれた古里へ
帰り着く


生も死も
宇宙を旅して
帰ってくるだけ
特別なことじゃない




辛いことがあっても
すべて
生命の大河の流れに
ゆだねよ
と仏教は教える



目頭に涙

2012-10-29 22:01:51 | 闘病
2012年 10月29日(月)

今日、大学病院での診察から帰った夜
目頭に、なみだが溜まってた




「なにか、言われたの?」
「頑張りましょう、頑張りましょう!
 とばっかり言う」



次の治療は未定とのこと







もうこれ以上の治療は出来ないと
言われたのか

追い詰められた
とても苦しそうな顔だった





長い時間、黙って傍にいた
私ができるのは
それくらい





苦しい毎日続く、、、

2012-10-26 18:03:37 | 闘病
2012年 10月26日(金)


3週間前
10月初旬には、夫婦で駒ヶ根から中央アルプスを見ていた。
快晴で、山並みがくっきり美しかった。

宿での食事はさっぱり食べられなかったけれど
もう歩けなかったけれど
運転は、かなり長距離できた。

美しい湖をどんな思いで見ていたのだろう。

翌日10月8日は、西神戸へ100km以上走り、運転もした。



それから毎日
食事はほんの少ししか食べられず
ほとんど歩けず
しんどい理由を“副作用”と称し
ゾウのようにパンパンに腫れた両足をさすりながら
寝たり、座ったりして過ごしている。

痛みは、先日の入院で薬の量が増え
コントロールできているという。
時々痛そうに顔をしかめているが
前のように絶叫はしない。

一昨日、夜に急に酸欠になり
近くの病院に入院する、と言い出した。
呼吸困難で苦しそう
しかし、しばらくしたら落ちついたようで
明日の朝、様子をみて入院することになった。
結局、翌日入院はせず
リンパ浮腫のマッサージを受けに病院に行く。


自分でできなくなったものだから
いろいろな要望が多く
~して
という連続

突然言うし
次から次へ、要望が出されるので
こちらは果てしなく疲れる。


今まで、自分のことは自分でやってきた夫だっただけに
彼の分もやる、ということの大変さをひしひしと感じている。

こんな状況で、私が仕事を続けるにも、限界がある。
急に
「~に行きたい」
「~に車で送って」
「~したい」
「~食べたい」
とどんどん言われるので
こちらのスケジュールとの調整を考えると
アタマがクラクラする。

もうどうしていいかわからない。

がんばれ、がんばれ!!
と自分の心の中で叫んでいる。


夜は、仏教の本を読んで
心を落ち着かせている。
無神論者だった私が・・・








夜中の会話

2012-10-23 18:03:12 | 闘病
2012年 10月23日(火)

夜、痛みで1時間ごとに目覚めている。

先日、明かりがついているので入っていった。
夫婦で、少し話をする。



「こんな形で、退職することになるとは・・・

 残念や。。

 もっと働きたかったわ
 元気ならいくらでも働けるのになぁ」



そう言った直後


「ちょっと仕事辞めるの、遅かったわ
 もうどこにも、行かれへん
 体力、あらへん
 も少し早く、仕事辞めて
 あちこち旅行したらよかったなぁ」


いろいろの思いが交錯しているんだね。








極限の日々

2012-10-22 13:01:04 | 闘病
2012年 10月22日(月)

みんな、楽しそう
生き生きと、明るく生きているなぁ
久しぶりに陽の下を歩いて
別世界のように感じた


最近わたしは、すっかり免疫力が落ちてしまった
何をするのもしんどいし
頭がクラクラして、ちっとも働かない
ぼおっーとして、考えがまとまらない


夫は
毎日、麻薬などの強力な痛み止めを
飲んでも、うんうんうなり
ほとんど食べられず
数歩しか歩けず
夜も1時間ごとに目覚めて
目覚めるたびに、薬を飲み続け
少し食べたら、吐き気が襲う

お腹は、ガスで腫れ
食べなくても苦しがっている
両足は、ゾウのように浮腫み
あまり腫れてくると痛いと
マッサージしてくれ、と訴える

麻薬の副作用で、強烈な便秘になり
全く出ないので、昨日ついに
指でほじって掻き出してほしい
と言った

この先、どんな地獄が待っているのか
身も心も、例えようもなく重い

あんなに苦しいのに、生への意欲を
失わず、じっと堪えているのだから
わたしも頑張らねば、と
アタマでは解っているけれど
力が湧いてこない

極限に苦しい日々

先日、小さな力ない声で
「こんな病気、ならへんかったらよかった
仕方ないけど……」
と呟いた

来年はどうなるかわからん
とも









大学病院の教授と話す

2012-10-10 17:47:48 | 闘病
2012年 10月10日(水)

10月10日
サードラインの抗がん剤をするために
大学病院に入院した。

入院初日、教授からこっそり呼び出しがあった。

見せられたたくさんのCT画像には、いっぱいの矢印があった。
その矢印が、転移の箇所

肺には無数の大小の転移があった。
骨盤は左側の輪郭が、雲のように崩れていて
骨が崩れかけている、という説明だった。
これでは、激痛のはずです、と。

頸もたくさんの矢印があった。
リンパをぐるぐる廻って
肺転移、骨転移と広がってしまった
無情の画像だった。

サードラインの抗がん剤については
やった人の資料がないから
どのくらい効くのかわからない。
薬剤も、これからいろいろ考えて決める。
副作用については、今までより厳しい
との説明

それでも、まだやるのか
まださらに厳しい副作用だなんて・・・




大腸がんで、38回もの抗がん剤をやり続け
亡くなった人の話を聞いたが
彼女の体調がよかったのは
抗がん剤が終わり、次の抗がん剤に入るまでのたった1週間だけ。
苦しい副作用からやっと抜け
次の抗がん剤に入る前のわずか数日だけ、少しマシな体調だったという。
何年も何年も、抗がん剤と闘った日々。




教授は、我々は治療を決してギブアップしません!
今後はどのようにするのがご希望ですか?
と聞いてくださった。

ずっと入院していただいてかまいません
とも

でも、彼は
1日でも長く、家にいたいだろう。

この数日
今まであまり入らなかった応接間で
本を読んだり、家のあちこちの部屋に
身を置いている。

我が家との
別れを惜しむかのように












支え

2012-09-29 23:10:24 | 闘病
2012年 9月29日(土)

今年は、あっという間に
夏が過ぎ
ふと周りを見渡したら
長袖の人が多い。



夫が日に日に悪くなっていく中で
支えとなっているのが
親族、友人。


彼と楽しい、おいしい時を
共に過ごしてくれて
私の重たい思いも聞いてくれる。
いつも、彼のことを気にかけてくれている。
それが大きな支え!

ちょっと電話で、話を聞いてくれるだけで
潰れそうな荷を背負っているのが
軽くなる。




先日は、私の同業の親友が
夫にチョコレートケーキを持ってきてくれた。
その日は、特に何ひとつ食べられない日で
とても苦しそうだった。

末期がん患者の体調は
海の波のように
日変わり、時間変わりする
と言われている。


そんな最悪の日にいただいた
チョコレートケーキだったが
おいしい! と喜んで食べることができた。
こういうのは、おいしいから不思議や
と本人も首をひねる。
理由はどうであれ、口に入れられる
何か一つでもあったら嬉しい。

点滴をしなければならないのでは、、、
と思うくらいに食べられないから。

ほろ苦い、まったりとしたチョコレートケーキ
我々もおいしくいただいた。

皆さん、心配してくださっているんだ
と思うと勇気がわいてくる。

がんばらねば!



彼の頬がこけていたのが、胸に突き刺さって
帰る間中、頭から離れなかった
そう言った親友の話が
私の心に残った。









お父さん、いつまで生きられるか

2012-09-27 21:38:11 | 闘病
2012年 9月27日(木)

お父さん、いつまで生きられるか
わからん
だから、おまえたちもしっかりしてな


今朝、夫は2人の子どもたちに
そう言った

長男には、自分が本当にやりたい仕事に
就いて頑張れ

長女には、いい伴侶を探せ



彼の口から初めて聞く
“いつまで生きられるか”
という言葉



いつも
揺るぎなく
生きようとしていて
死を認めない彼だった

でも
心の奥底には
死ぬかもしれないという思いが
あったのだろうか




人間は死ぬもの
みんな死に向かって歩いている

死はひとりぼっちで迎えるものだし
逝ってしまったら
誰も帰って来れないから
怖い
出来れば、死にたくない
死ぬことも考えたくない

でも、みんな必ず死ぬ
それも、死は徐々に近づいてくるとは限らず
突然襲ってくる(らしい・・・)

みんなが思っているより
ずっと早く訪れる
だから、日々
準備をしなくてはならない
といろいろな本に書いてある




夜、夫に
おやすみと言ったあと
私は、必死になって
本を読む

生きるとは?
死ぬとは?

アタマでは解るけど
本を読んで
感心はするけど
でも
たぶん
受け入れるのは
とても難しいこと
きっとアタマで解っても
心では
わからないんだろう

み~んな、苦しんで
だからこんな本がいっぱい
あるんだネ

荘子いわく

自然は
我々を大地に乗せるために肉体を与え
我々を労働させるために生を与え
我々を安楽させるために老年をもたらし
我々を休息させるために死をもたらす




十、二十代は、学び、努力し
三十、四十代は、飛躍・発展し
四十後半から、身体が変わってきて
いろいろな病になり出す
五十代は、充実期の最終時期で
子供も、はばたいて行く
六十代になると、もはや老境?

60歳から、新しいことを創めたらいい
との提唱があるけど
夫は、そんな60代に入る少し前から
病を得て、数年後再発してからは
どんどん悪くなった

今まで
仕事に、人生の大半の時間を割き
やっと、自分のやりたいことを
叶えられる時がきたと言うに
痛みで、うんうん苦しんでいる



人生も甘くないなぁ。。。


私も、新たな生きがいを見つけなくちゃ!
何ならやりたいのか
自分探しをしなくちゃ!



自分のやりたいことに出会った老人は幸せだって~