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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1410 桑山美術館 侘び茶とその展開

2014-11-30 | 探訪
名古屋
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桑山美術館
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所蔵茶道具展 侘び茶とその展開
期間:9月6(土)~12月7(日)
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色紙 一休宗純筆
金銀泥の料紙に「雲はやみふりくる雨のあし引きの わたるひとこゑ山ほととぎす」の歌と山々を書いた作品。
箱書きは小堀遠州筆。
竹一重切花入 千利休作
つやのある肌で姿は末広がりで安定感がある。裏に利休のケラ判が朱書きされており、脇に「利休作」と孫の宗旦が添書きしている。
三島茶碗
縄目のような文様がぐるりと廻る茶碗。面白いのが半分に割れたためか金繕いをし、さらに底には鎹をうっているところ。姫路藩主・酒井宗雅の箱書きあり。
法語 春屋宗園筆
臨済宗の開祖・臨済禅師が弟子に与えた4つの喝「臨済四喝」を書いた墨蹟で、俗人の男(一俗漢)に与えたそうです。
春屋宗園は臨済宗の僧。茶人とも親しく利休は孫の宗旦を春屋に預けているし、織部の「金甫」や遠州の「孤篷 も春屋に授けられたものです。

その他、茶杓では利休・道安・少庵の千家父子のものがありました。利休作は蟻腰と櫂先の造形が強調されているもので、道安作はやや細身、逆に少庵作がやや大ぶりでした。

桑山美術館、はじめて訪れましたが小さな美術館ながら過不足無く道具が揃っていると感じました。
またこちらの美術館は庭園も見所のようで「庭園散策ガイド」なる冊子も用意されています。
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織部形燈籠
別名キリシタン燈籠
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利休形燈籠
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 珠光形燈籠
この他様々な形の燈籠を鑑賞することが出来ます。
 

岐阜県現代陶芸美術館 大織部展

2014-11-24 | 探訪
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岐阜県現代陶芸美術館(セラミックパークMINO内)

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古田織部四〇〇年忌 大織部展
期間:9月6日(土)~10月26日(日)

前・後期拝見しました。

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古田織部 肖像画
京都・興聖寺蔵。豊後岡藩家老・古田広計が寛政9年(1797)に作らせた肖像画。梅鉢紋の入った萌黄色の羽織姿で右手に扇子を持つ。上部賛は春屋宗園が与えた「金甫」号の偈を広計自身が書き写している。
この他に豊後・高流寺旧蔵(現・大阪城天守閣蔵)の肖像画も展示されており、こちらも古田広計が作らせ着賛しています。
どちらも織部死後200年近く後の作品で、どれだけ本人に似ているのかは不明です。
御所丸茶碗 古田高麗
沓形の茶碗で口縁は玉縁、胴には箆目が一周する。
「御所丸」の名は織部のデザインを元に朝鮮半島で作られた茶碗を日本に運んだ「御所丸」船から採られている。古田織部所持とされ「古田高麗」の箱書きは小堀遠州筆。
萩茶碗 銘 是界坊
三角に近いゆがみ茶碗で高台は3つに割れた割高台となっている。全体渋めの枇杷色をしている。
萩焼は萩藩主・毛利輝元が命じて作らせたのが始まりとされています。その輝元の養子でもあった毛利秀元は茶の湯を織部に師事した人物。この是界坊のようにゆがみ・割高台の意匠からは織部が最初期の萩焼に関係したかもしれないと思わせるものが有ります。
薮内家五代竹心が箱書きに「織部ヨリ来」と書いており織部より初代剣仲に贈られたものでしょう。
消息 島津義弘宛 古田織部筆
(慶長十七年)十一月二十二日付。織部が惟新様(島津義弘)に宛てた書状。
薩摩での陶磁器製作のため弟子の上田宗箇を派遣した織部が出来上がった陶磁器を見て感想・意見を述べているが、宗箇が焼かせたものはヒドイ出来だと酷評している。また釉がよくない黒釉を多く、所々に白釉入れるのがよい、背は高く底はすぼまないようにと指導している。
この薩摩焼だけでなく織部好みの焼き物は各地で作られていました。直接・間接的に織部が指導した一端がこの書状からうかがえます。
竹茶杓 古田織部作
五島美術館蔵。櫂先やや幅広で露は右肩上がりににすぱっと削られている。節上にひび割れが生じている。
筒は堺の商人で茶人あった伊丹屋宗不作で「古織公」と記されている。
織部百箇状
京都・興聖寺蔵。巻子本で織部が千利休より伝授された茶法を記したもので107条よりなる。
巻末に大修理殿と宛名が記されているが、これは豊臣家家臣・大野治長のこと。
宗湛日記
博多の商人で茶人であった神谷宗湛が記した茶会(の写本)
ここに有名な一節が記されている。
「一 ウス茶ノ時ハ セト茶碗 ヒツミ候也 ヘウケモノ也」
この茶碗を評した言葉、現代では織部その人を評する言葉となっているのが面白いです。
黄瀬戸建水 銘 大脇指
建水とは湯水を捨てる際に使う器で、こぼしとも呼ばれています。この建水は大ぶりで上部に黄色の釉が掛かり下部は素地がのぞく初期の黄瀬戸焼とされています。
大脇指の銘は姿が水指に似ているので、並んだ様子が太刀(水指)と脇指に見えるところからとも、常に腰の脇に置かれていたからとも云われています。
利休所持で芝山監物、千少庵から宗旦に伝わり、宗旦の時息子・江岑宗左が紀州藩に出仕する際に「利休大脇指」と箱書きし徳川頼宣に献上された。

基本的に紹介するのは初見のものが中心になる為紹介出来ていませんが、利休作の泪や園城寺。織部縁の破袋・老僧・勢高。光悦作の時雨に利休や織部の消息が沢山。さらに織部時代のやきものとして国宝・卯花墻(志野)、小原女(瀬戸黒)、冬枯(黒織部)や各地のものがどどーんと展示していました。これだけのモノを集めるのはかなり苦労された事と思います。
2015年は織部没後400周年(2014年は400年忌)に当たりますが果たしてこの展覧会に匹敵するものが出てくるのかどうか?なにか違うアプローチじゃないとこれだけ揃える事は無理だと思いますが、楽しみに待つ事としましょう。

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1409 古田織部美術館 古田織部と京・堺の茶人たち

2014-11-20 | 探訪
またまた京都

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古田織部美術館

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秋季展「古田織部と京・堺の茶人たち」
期間:9月6日(土)~ 12月14日(日)

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共筒茶杓 銘「洗耳」 山上宗二作
シミ竹、露は丸形で蟻腰の利休形茶杓。共筒には号の瓢庵と記されている。銘の「洗耳」は世の中の汚れた事を聞いた耳を洗い清めると言った意味だそうで、 天正18年小田原征伐のおり豊臣秀吉の怒りをかい耳と鼻を削がれ斬刑に処せられた宗二には、なんだか皮肉な銘です。
共筒茶杓 銘「五祖・六祖」 津田宗及作
二本入でどちらも止節となっている。筒は変った形状で挽物加工が施されている。銘の「五祖・六祖」とは中国禅宗の始祖・達磨大師から数えて5番目・弘忍、6番目・慧能の事。二本入茶杓が何時頃から登場したのかは不知ですが、かなり早い時期のモノではないでしょうか。
共筒茶杓 大富重伝作
無節、櫂先が匙のように丸くなっている。筒の表には「茶杓 竹田隼人佐殿 まいる 大富重傳作」と彫られており裏には「天正五年正月廿三日」とあるそうです。
大富重伝は珠光の弟子で京の茶人大富善好とされています。さてこれは贈筒な訳ですが 「天正五(1577)年」の年記だと珠光の弟子が贈ったとするのは少々無理があるようです。正木美術館にも重伝作で「永禄八年(1565)」の年記のものがありますが、どちらも後の時代の茶人が贈ったものなのでしょうか。
竹茶杓 古田織部作
節がやや下にあり櫂先は左肩下がりで、節より上の色が左右で違う片身替りとなっている。
追筒は京の釜師初代・名越浄味。
さてこの美術館は、今年の春開館し三度(春・夏・秋)展示会を開いているが3回とも違う織部茶杓が展示されています。果たして後いくつ織部茶杓が出てくるのか楽しみです。
共筒茶杓 丿貫作
露は三角形で撓はほとんど無く、肉厚の茶杓。他の丿貫茶杓と比べて奇抜で素人作りのような作品。
丿貫は独自の茶の湯を行なった人物ではあるが、利休も認める茶人でありこの茶杓は少々感心しない。

1409 北村美術館 秋更の茶

2014-11-16 | 探訪
京都

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北村美術館
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秋季取り合わせ展「秋更の茶」
期間:9月12日(金)~12月7日(日)
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佐竹本三十六歌仙絵 藤原仲文像
ご存知秋田佐竹家伝来の
三十六歌仙絵巻よりの1幅。平安中期の歌人・藤原仲文の似絵で片膝を立てた姿で描かれているのが珍しい。
後京極摂政太政大臣像 俵屋宗達絵 烏丸光広筆
平安時代の摂政・九条良経を宗達がさらっと描く。歌の部分は烏丸光広筆で珍しくまともな字。
色絵瓢形扇面文香合 仁清作
小さく可愛らしい瓢箪型の香合に 扇の絵が描かれた仁清の作品。金森宗和筆の「瓢箪香合」の箱書き有。
織部写茶碗 銘 田毎 道入作
ゆがみを持った茶碗で、全体うす赤茶色に緑釉が一部かかる。ノンコウが織部焼を模して作った珍しい茶碗。
共筒茶杓 
常修院慈胤法親王作
露は一文字、やや下り節で節下にゴマが生じる。
近衛家熙が収集した茶杓を納める「予楽院茶杓箪笥」の内の1本とされており、嘉永六(1853)年に貸し出されて戻ってこなかった茶杓がこれに当たるのだろうか。

この北村美術館もはじめて訪れた美術館。展示室は小さくあまり展示品は多くありません(なので見たい道具がなかなか展示されないですが)。
また訪れたい所ではあります。
 

1409 京都国立博物館 京へのいざない 第1期

2014-11-11 | 探訪
京都

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京都国立博物館

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平成知新館
9月13日にオープンした平常展示館です。

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平成知新館オープン記念展 「京へのいざない 第1期」
期間:9月13日(土)~10月13日(月)

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銹絵水仙文茶碗 仁清作
白濁釉の下に銹絵で水仙を描く。仁清と云えば鮮やかな色絵の作品で知られるが、この茶碗はいたってシンプル。金森宗和が母親の菩提寺・天寧寺に寄進した茶道具のひとつ。
伝源頼朝像
伝平重盛像

国宝。京都・神護寺蔵。この2幅と東博寄託の伝藤原光能像を合わせて「神護寺三像」と称される。
ほぼ等身大に描かれており黒色の束帯姿で手に笏を持ち佩刀している。
ところでこの三像は現在では別の人物を描いたものとされています。源頼朝は足利直義、平重盛は足利尊氏、藤原光能は足利義詮であると・・・
他にも足利尊氏像や武田信玄像などなど別人説があり、何がなんだか分からなくなりますねぇ。
布袋図  牧谿筆
東山御物。「眠布袋」と称されるように袋に寄りかかって眠る布袋が描かれています。
足利義満時代倉の管理を行なっていた善阿弥の善阿印が押されている。
豊臣秀吉が所持し、後に木下家定、高台寺と伝わった。
遠浦帰帆図  牧谿筆
東山御物。元々は瀟湘八景を描いた巻物であったが足利義満により切断されたモノのひとつ。大軸と小軸があり大きさから大軸の一図とされています。
伝来は珠光・織田信長・荒木村重・徳川家康・田沼意次・松平不昧。
達磨図 牧谿筆
東山御物。天龍寺蔵。横向きの達磨像で大きな耳輪が特徴的。
六代将軍・足利義教の「雑華室印」が押されている。西本願寺伝来。
牡丹図
高桐院蔵。二幅からなり赤・白・紫の牡丹を伸びやかに描いた作品で銭選筆と伝わる。
豊臣秀吉が催した北野大茶会で使われたとされています。

1409 滴翠美術館 利休と樂焼

2014-11-06 | 探訪
兵庫は芦屋市

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滴翠美術館

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秋季展 開館50周年記念 山口吉郎兵衛コレクション「利休と樂焼」
期間:9月16日(火)〜12月14日(日)

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赤楽茶碗 銘 勾当 長次郎作
口縁部がそっており形は熊川に似ている。長次郎作の茶碗としては異形であり色も茶に近い。利休の花押(ケラ判)が高台にある。銘の「勾当」とは長次郎(利休)七種の楽茶碗「検校」に次ぐことから(盲官(盲人の役職)では「検校」の次位に「勾当」があたる)。
赤楽茶碗 銘 有明 本阿弥光悦作
口部はスパっと切り取られたような光悦独自のもので、内外に2本の金繕がみられる。
赤楽であるが青窯変により全体が薄緑色で、中央の亀裂付近だけほんのり赤く銘はそこから付いたと思われる。
黒樂茶碗 銘 本法寺 本阿弥光悦作
ツヤのある肌で「時雨」系の作品だが口縁は薄く反った形をしています。
光悦の孫(光甫の弟)で本阿弥家の菩提寺である本法寺の僧日允上人が所持した事から銘が付けられた。
竹茶杓 武野紹鴎作
節が無く露は蓮弁形20.1cmと長く象牙茶杓を手本に作られている。千少庵・宗旦が所持した。
竹茶杓 北向道陳作
双樋で丸撓。止め節で長さは20.5cmとかなり長い。筒は松平不昧作。
共筒茶杓 銘 太子屋休把殿参 藪内剣仲作
双樋で丸撓で中節。節上にシミがある。筒書の「太子屋休把」は堺の茶人である太子屋宗高・宗有その人かまたは縁者であろうか。
共箱茶杓 珠光写 千宗旦作
シミ竹、露は右肩上がりで丸撓、櫂先は非常に幅広である。共箱(筒ではない)は一閑張で黒漆塗りとなっている。
珠光写の茶杓であるが中節があり、これは宗旦のオリジナルであろう。全体的には有名な茶瓢ではなく福岡市美術館で拝見した珠光作とされる茶杓に近い形をしている。
面白の歌入消息 千利休筆
神無月三日付藪内剣仲宛。前日茶会の礼状。道具ばかりに拘るのは侘び茶ではないとし「有人のあるにまかする茶湯より なくてそ出す侘ひはおもしろ 一笑一笑」の歌が記されている。利休の考える茶の湯の一端が垣間見える消息です。

その他茶杓では古織作「鶴」に高山右近の「御坊へ」・細川三斎の作と利休七哲のうち三者の茶杓が並べて展示されておりました。楽茶碗も初代長次郎から13代までがずらっと並んでおり壮観。
滴翠美術館、名前は知っていたのですが中々訪れる機会がなく、今回はじめて行きましたが結構充実した展示でした。