島原大門
幕府公認の花街であった島原の正門。
高麗門形式で、現在の門は慶応3年(1867)に建てられたもの。
現在島原には、「置屋」や「揚屋」と呼ばれる建物が当時のままに残されています。
今回は 「京の夏の旅」で公開の建築を拝見。最初は
島原開設当初の寛永18年(1641)から続く揚屋建築の遺構。
揚屋とは、江戸時代の書物の中で、客を「饗すを業とする也」と定義されており、現在の料理屋・料亭にあたります。
「長州藩士久坂玄瑞の密議の角屋」の碑
長州藩士・久坂玄瑞は、この角屋で同志と密儀を重ねていました。
角屋には他に西郷隆盛、坂本竜馬らも通っていたとされ、幕末志士たちのたまり場のようになっていたのでしょうか?
さらに角屋には
新選組の刀傷
近藤勇ら新選組が宴席を持った場所でもあります。
玄関
それでは中へ
松の間
新選組筆頭局長であった芹沢鴨が最後の晩餐をした場所。
角屋での宴会の後屯所である八木家に戻った芹沢鴨は近藤派により暗殺されている。
この後新選組は近藤勇一派による新体制に移行していく。
主庭 臥龍松の庭
こちら庭先には表千家六代・覚々斎好の「曲木亭」、藪内竹心門の安富常通清隠斎の一畳台目席「清隠斎茶席」、そして江戸中期の表千家9代・了々斎好の「囲の間」という3つの茶室があります。
網代の間
内庭
移動します。次は
輪違屋
元禄年間創業の置屋です。現在の建物は安政4年(1857)に再建されたもの。
主座敷の床
近藤勇書の屏風
主座敷前庭
織部灯籠があります。
二階(撮禁)には「傘の間」があり桂小五郎の書など拝見できました。部屋は傘を襖に貼り込んだ大胆な意匠で見所です。
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