永観堂から哲学の道へ行きました。
永観堂を出て右へ行って四辻を右へ。。。
途中にあったお店です。
町家を改造したのでしょうか。
まっすぐ行くと若王子神社へ
左へ曲がると哲学の道へ。。。
哲学の道は若王子神社から銀閣寺まで続く約2キロの琵琶湖疏水沿いにあり、銀閣寺参道に架かる銀閣寺橋から、南へ琵琶湖疏水の支流に沿って上っています。
戦後はずいぶんと荒廃していたため、昭和45年に整備されるまでは、名もないただの道だったといいます。
名前の由来は、近くに京都大学があり、京大生や京大の教授でもあった哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけりながら歩いたことから、元々は「思索の小径」と呼ばれていましたが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになります。(1972年に正式な名称となったそうです)
哲学の道は、青白く光る美しい石畳の道となっており、御影石が使用されています。
実は、日本で最も古い電車である「京都市電」の路面に使用されていた石畳が市電の廃線後、哲学の道に使われました。
(ちょっと言いたくなる京都通を参照)
テクテクと歩いていたらお店が。。。いつの間にできたのでしょう。
振りかえると。。。
右へ行くと大豊神社です。
次は大豊神社へちょっと寄り道を。。。
※30数年ぶりに歩いた哲学の道はメチャ綺麗になっていました。
昔はただ歩くだけの何もなかったのに、お店はできているし、おうちがいっぱい建っていました。
桜並木も綺麗になっていました。
永観堂を出て右へ行って四辻を右へ。。。
途中にあったお店です。
町家を改造したのでしょうか。
まっすぐ行くと若王子神社へ
左へ曲がると哲学の道へ。。。
哲学の道は若王子神社から銀閣寺まで続く約2キロの琵琶湖疏水沿いにあり、銀閣寺参道に架かる銀閣寺橋から、南へ琵琶湖疏水の支流に沿って上っています。
戦後はずいぶんと荒廃していたため、昭和45年に整備されるまでは、名もないただの道だったといいます。
名前の由来は、近くに京都大学があり、京大生や京大の教授でもあった哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけりながら歩いたことから、元々は「思索の小径」と呼ばれていましたが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになります。(1972年に正式な名称となったそうです)
哲学の道は、青白く光る美しい石畳の道となっており、御影石が使用されています。
実は、日本で最も古い電車である「京都市電」の路面に使用されていた石畳が市電の廃線後、哲学の道に使われました。
(ちょっと言いたくなる京都通を参照)
テクテクと歩いていたらお店が。。。いつの間にできたのでしょう。
振りかえると。。。
右へ行くと大豊神社です。
(2006.10 撮影)
次は大豊神社へちょっと寄り道を。。。
※30数年ぶりに歩いた哲学の道はメチャ綺麗になっていました。
昔はただ歩くだけの何もなかったのに、お店はできているし、おうちがいっぱい建っていました。
桜並木も綺麗になっていました。