地球体験ゲームを味わいつくそう!! (旧 ライトワーカー)

良いところも悪いところも見えるこの世界。私達は神以外の体験をしに生まれて来たのだから、どんな感情も体験も味わいつくそう♪

2種類の願いと2種類の幸せ・・・   その2

2014-05-15 21:28:33 | Weblog
2種類の願いと2種類の幸せ・・・   その1
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/1ecf8217ebc12fd8608bc9486e860d92


多くの人は、「願いを叶えよう」「夢を実現させよう」「目標を達成させよう」「成功しよう」・・・と人は頑張ります。もちろんクリスもその一人でした。

それ自体良い事だし素晴らしいと思います。



で、そこで考えて頂きたいのですが、皆さんはどっちの願いを叶えたいと思っているのでしょう・・・??


「自分で思いついた願い(夢)」ですか?それとも「親か誰かに言われ続けてきた願い(夢)」ですか?? 皆さんの中で考えてみて下さい。


ま、こう言うと8割以上の方は「自分で思いついた願い(夢)です」と言うでしょう…。

ただ、答えをすぐに出す前に、少~し考えてみて欲しいのです。自分は小さい頃から親(保護者)にどういう育てられ方(褒められ方やしかられ方、愛され方etc)をしたのかなぁ…と。




小さい頃って、「お母さんお父さん大好き!」って言うのが子供の当たり前の心理なので、子供時代はどうしても親(保護者)の言う事に従おうと(好かれようと)しながら成長していきます。
そして、お母さんとお父さんの考えを吸収し、時には反発しながら自分のアイデンティティーを形成していきます。
それで、その作り上げられたっ自分のアイデンティティーの中にどれだけ親(保護者)の思いが影響しているか気づいているでしょうか??


こんな事を書いてもいまいちピンと来ない方の方が多いでしょう・・・。ですので、前回の日記の子供たちをたとえに話してみたいと思います。


注)今から書く内容はあくまで“たとえ話”です。彼女らの将来や真実では有りません。
Cutest Karate Kids Taekwondo Fight Ever - Martial Artist Battle


この子達(AちゃんとBちゃん)は楽しんで空手をして(遊んで)いました。

ある日、それを見ていたAちゃんの親が言いました。「何をたらたらやってる!真面目にやって勝たないといけないじゃないか!!」と。
それからAちゃんはは親の期待に応えようと必死にがんばる毎日を過ごしました。「親に勝って褒められたい(認められたい)」ただそれだけの為に・・・。そして成長するにつれ、「周囲の人に勝って褒められたい(勝てば認められる)」と思うようになっていきました。そうやって日々苦しい思いをしながらハードなトレーニングをする日々を送りました。

一方、Bちゃんは親から「空手楽しいんだね。楽しいなら続て良いからね」とだけ言われました。
当初のBちゃんはAちゃんと実力差は有りませんでしたが猛練習する訳ではないので試合に出ても時々負けちゃいます。それを見た親は「負けちゃったけどよく頑張ってたね~」と褒めてくれました。勝ち負け関係なく自分を認めてくれる親に見守られながBちゃんは楽しみながら空手を続けていきました。



この二人の様な例では
どちらが優秀な成績を上げるか…ほとんどはAちゃんでしょう。
社会的な評価を得られるのも…Aちゃんでしょう。



では


幸せなのは?


優秀な成績をAちゃんが挙げたとしたら世間的にはAちゃんと言われるでしょう。




皆さんはどう思われますか??





続きます。

2種類の願いと2種類の幸せ・・・   その1

2014-05-10 21:52:42 | Weblog
人生には大きく分けて2種類の願いと2種類の幸せがあります。


一つ目は・・・獲得して(比較によって)得られる幸せとその幸せを獲得することを願う事。

二つ目は・・・ただ“あるがまま”を全て受け入れる事で得られる幸せ。そして魂から湧いてくるかのように湧き出てくる願い。




ほとんどの人は一つ目の願い、幸せを求めて人生を生きています。

簡単に言えば「お金が入れば幸せになれる(だから大金を手に入れたい)」「自分にぴったりのパートナーが見つかれば幸せになれる(だからパートナーを得たい)」「成功すれば生活も豊かになり多くの人から認められる(だから成功したい)」などなど…。


ところで子供の頃私たちは、元々、誰もが“あるがまま”を全て受け入れる事で得られる(二つ目の)幸せを生きていました。

ちょうど動画の子供たちのように・・・

Cutest Karate Kids Taekwondo Fight Ever - Martial Artist Battle






動画に出てきた女の子たちは❝今、この瞬間❞を楽しんで生きています。だからキラキラした目をしていてキュートな笑顔なんです
そんな彼女たちに周囲の大人たちは❝戦う事❞を彼女に教えようとします。

この動画に出てくる大人達は判りませんが、一般的には「戦って❝勝つ事❞が大事」と教えられます。「空手が楽しかったら負けたって良いよね」とはなかなか言って貰えません。勝ったときは褒められるけれど負けると怒られる…。

❝今、この瞬間❞を楽しんで生きている子供たちが…そういう事を何度も言われていくうちに❝今、この瞬間❞ではなく「勝った先に幸せがある」と思い込んで生きて行くようになる…。
そうしてキラキラした目とキュートな笑顔が、死んだ魚の目の無表情な顔になっていく…。(大げさに書くとね)


私たちの多くの人はよく「勉強しなさい!」「スポーツ頑張んなさい」と言われて育ちました。
その真意は「頑張って勝利者になった先に幸せがある。だから嫌でもやりなさい」って事ですよね。つまり、「❝今、この瞬間❞はどうでも良い!」と教えられて来たのです。



幸せって❝今、この瞬間❞には無いの??


続きます。






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(new) 素の言葉、素の自分でで語りましょう!

2014-05-07 02:16:03 | Weblog
あることが有って久しぶりに古い記事とは違った視点でを書こうと思いました。

(old)素の言葉、素の自分でで語りましょう!
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/b41e5f1589f74768b5ed3f6de1135091



よくある事ですが、
先達の方々が残したスピリチュアル的な知識をたくさん知れば知るほど“勘違い”が起き易い場合があります。

たくさんの知識を得た事で「分かった(悟った?)」と思い込んで相手の立場や状況を鑑みずに言いまくったり書きまくったり、得た知識を元に相手を分析してジャッジしまくったり・・・。そういう人がいます。

そういう人は「良かれ」と思って伝えているのでしょうがただの自己主張である場合が多いので相手にとって迷惑な場合も多いのです。
なぜなら、その人は先達の方々そのものではなくて「ただのコピー」だからです。
そういう方は宗教団体には多いですが、スピ好きの人にも多いのが現状。


先達の方々の言葉を見事(論理的)?に使って書いたり語ったりするので一見すると“意識が高まった人”に見えるのですが・・・よ~く観察すると語っている内容のほとんどが「知識の受け売り」と得た知識によって相手をジャッジ、分類する事に終始しているのがよく分かります。スピリチュアル的な事をよく知らない人になら“すごい人”と思われるんだろうな~とは思います。
知識を得た事で確かに他人を分類、分析が出来るようになるので自分が「意識レベルが高まった」と錯覚するのでしょう。心理学的に言えば「同一視による自我の拡大が起こっている状態」と言えるでしょう。子供がその状態になるのは発達段階における自然な事だし好きなスポーツ選手の勝敗で一喜一憂するような同一視も状態もOKだと思います。ですが、スピリチュアル的なご高説を語るなら止めた方が良いです。

知識での理解(左脳レベル)と体感レベルでの理解(知識や理屈では表現し切れない右脳レベル)は全く違うのです。



知識での理解に留まっている人はとにかく理屈や知識にこだわるのでどうしても知識の受け売り状態から離れられません。“他人に認められたい”と無意識で思っているので他人をジャッジしたりして自分が優れている事を見せようとしたり知識の披露をしまくります。
せっかく様々な良い知識を学んでも、左脳的理解に留まれば自分の言葉で語れません。小さい頃からの心の痛み、トラウマなどが「本当の自分」をさらけ出す事に恐怖を感じさせるから・・・。

そういうクリスはどうかって??心の痛み、トラウマ…色々有ったさ、だから前の記事で自分の恥晒したんだから
で、前回の記事読んでこのブログから離れていく人がいるのも覚悟してましたよ。Mixiにも晒したしね。ただ、本当の自分と繋がると他人の目ってどうでも良くなるらしい
ま~それでも完全に抜けたわけではないから自我(思考)があれこれ今も言って来るので日常生活である意味“修行中(想念観察中)”なんですよね


話戻します。

理屈や知識ではなく、本当に体感レベルでの理解がある人は知識の押し付けをしませんし他人をジャッジしません。先達の方々の言葉を例えに使ったとしても必ず自分の言葉で語れます。自分が得た知識に捉われることなく自由に表現できます。なぜなら他人から“どう思われるか、どう評価されるか”などと気にしていないから。
既成概念とか他者からの評価に捉われることなく、奥深くから湧いてくる本当の(魂からの)自分の思いや情熱を表現する体現者になっているからです。
そのあり方は千差万別でほとんどが“普通の人”として暮らしています。有名な「十牛図」の最後の状態ですね




自分は十牛図に照らし合わせると・・・と、遠いな~~

ま…いいか歩いていれば、いずれはたどり着くさ~ってね。