恋愛相談などで、よく「彼の為に今まで○○や××をして散々尽くして来たのに・・・(文句や不平不満が続く)」というケースがよくあります。
また
子供に対する相談で「色々してやってるのに子供は理解しない」「子供の為に『勉強しろ!』と言っているのにちっとも勉強しない」
というケースもあります。
共通している事は「私(相談者)は他人(子供や恋人など)の為に生きている」です。…ココまでなら立派です。
ですが、その先に「だけど相手はそれに見合った対価を返してくれない!」という嘆きが裏に隠れているんですよね…。
止めませんか?「人の為」って言う言葉を使って他人を縛るのは…。一見すれば良い言葉に見えます。でもね、「人偏に為(ニンベンにタメ)」って書いて「偽」なんですよ。
人の為に生きる事は「偽り」なんです。
何故「偽り」なのか…。
確かに「人の為に生きる」、それだけで終わっている人は立派な方です。
ですが、そう自分で言っている人に限ってその後に「だけど相手は…(文句や不平不満)」が付いてくるんです。
「あなたの為」と言う人ほど自分の「愛している」という行為の見返りを求めているモノなんです。裏にある想いは「あなたに○○をしてあげたのだから私に○○して欲しい」」です。
見返りを求めない人は「あなたの為」という言葉を使いません。全て自分の自由意思、自己責任で生きているから。
本当は…
人が行っている生きている間にする事は全て「自分の為」にしています。
人に親切にする事も家族を大事にする事も異性を愛する事も、“打算と言う見返りを求めてではなく”「自分の気持ちに正直に」“自分がしたいからする”、ものです。
ただ、誤解して欲しくないのは故マザーテレサやダライラマが「他人の為に出来る事をしましょう」と言っている事を偽善だとは少しも思っていません。本質から出ている言葉だと感じています。
ダライラマの言われる「利他心」、キリストの言う「愛」がデタラメだとか言っているのではないです。本当の事を伝えているのだと思います。
ダライラマや故マザーテレサが「私がこんな事をしてあげているのに何故あなた方は理解してくれないのですか?」と言ってましたか?言っていないと思います。全て自分で望んでしている行為だから…。
周囲の評価とかは気にしていなかった(ノーベル賞をもらった後のパーティーでマザーテレサが何て言っていたか知ってます??)
彼らの言う「利他心」、「愛(特定個人ではなく全てに対しての愛)」等と言う本質は「他人にする行為と自分自身にする行為は同一。何故ならあなたも私も同じだから…」という深い確信に基づいて言っているから説得力があるんです。
スピ系の人は素晴らしい方々の言葉を知っているから「人の為に生きよう」「肉食を止めよう」「質素に暮らそう」と頑張っている方が多い。
ですが、その本質を知らず言葉の表面の部分しか見えていないで「人の為に生きる」行為をするとどうしても他者に対して不満が出てくる。
自分が正しいと思っている事をしない人に怒りが湧いてくる。
他人に対して「あいつは分かっていない!」「魂レベルが低いから…」などという言葉を他人に使う人が出てくる。
怒りの源泉は「自分は『人の為に生きねばならない』と頑張って(無理して)いるのに何故アイツは好き勝手してるんだ」という不満から来る他者への怒りです。
苦しくないですか?自分を抑圧して…他人に対しても不満を投げつけて…
自分も縛ったうえに他者も縛ろうとする…。
だからこそ敢えて言います。
「自分の為の人生を自分の為に生きましょう」 と。
自分をジャッジせず、「自分の声」に忠実に生きて、心を一つ一つ満たしていると「自分」が拡大していきます。
「自分の肉体」だけが大切だと思っていた人も「自分の家族や知人」を大事に思えるようになり、「自分のいる地域」→「日本」→「地球全体」・・・と広がって行きます。
別に、すぐにダライラマのように成る必要は無いんです。
ただ「今の自分」である事が自分にとって大切な事だから、その自分をどんどん満たしていけば良い。
結果として自分も周囲も調和的な方向に流れて行きますから…。
また
子供に対する相談で「色々してやってるのに子供は理解しない」「子供の為に『勉強しろ!』と言っているのにちっとも勉強しない」
というケースもあります。
共通している事は「私(相談者)は他人(子供や恋人など)の為に生きている」です。…ココまでなら立派です。
ですが、その先に「だけど相手はそれに見合った対価を返してくれない!」という嘆きが裏に隠れているんですよね…。
止めませんか?「人の為」って言う言葉を使って他人を縛るのは…。一見すれば良い言葉に見えます。でもね、「人偏に為(ニンベンにタメ)」って書いて「偽」なんですよ。
人の為に生きる事は「偽り」なんです。
何故「偽り」なのか…。
確かに「人の為に生きる」、それだけで終わっている人は立派な方です。
ですが、そう自分で言っている人に限ってその後に「だけど相手は…(文句や不平不満)」が付いてくるんです。
「あなたの為」と言う人ほど自分の「愛している」という行為の見返りを求めているモノなんです。裏にある想いは「あなたに○○をしてあげたのだから私に○○して欲しい」」です。
見返りを求めない人は「あなたの為」という言葉を使いません。全て自分の自由意思、自己責任で生きているから。
本当は…
人が行っている生きている間にする事は全て「自分の為」にしています。
人に親切にする事も家族を大事にする事も異性を愛する事も、“打算と言う見返りを求めてではなく”「自分の気持ちに正直に」“自分がしたいからする”、ものです。
ただ、誤解して欲しくないのは故マザーテレサやダライラマが「他人の為に出来る事をしましょう」と言っている事を偽善だとは少しも思っていません。本質から出ている言葉だと感じています。
ダライラマの言われる「利他心」、キリストの言う「愛」がデタラメだとか言っているのではないです。本当の事を伝えているのだと思います。
ダライラマや故マザーテレサが「私がこんな事をしてあげているのに何故あなた方は理解してくれないのですか?」と言ってましたか?言っていないと思います。全て自分で望んでしている行為だから…。
周囲の評価とかは気にしていなかった(ノーベル賞をもらった後のパーティーでマザーテレサが何て言っていたか知ってます??)
彼らの言う「利他心」、「愛(特定個人ではなく全てに対しての愛)」等と言う本質は「他人にする行為と自分自身にする行為は同一。何故ならあなたも私も同じだから…」という深い確信に基づいて言っているから説得力があるんです。
スピ系の人は素晴らしい方々の言葉を知っているから「人の為に生きよう」「肉食を止めよう」「質素に暮らそう」と頑張っている方が多い。
ですが、その本質を知らず言葉の表面の部分しか見えていないで「人の為に生きる」行為をするとどうしても他者に対して不満が出てくる。
自分が正しいと思っている事をしない人に怒りが湧いてくる。
他人に対して「あいつは分かっていない!」「魂レベルが低いから…」などという言葉を他人に使う人が出てくる。
怒りの源泉は「自分は『人の為に生きねばならない』と頑張って(無理して)いるのに何故アイツは好き勝手してるんだ」という不満から来る他者への怒りです。
苦しくないですか?自分を抑圧して…他人に対しても不満を投げつけて…
自分も縛ったうえに他者も縛ろうとする…。
だからこそ敢えて言います。
「自分の為の人生を自分の為に生きましょう」 と。
自分をジャッジせず、「自分の声」に忠実に生きて、心を一つ一つ満たしていると「自分」が拡大していきます。
「自分の肉体」だけが大切だと思っていた人も「自分の家族や知人」を大事に思えるようになり、「自分のいる地域」→「日本」→「地球全体」・・・と広がって行きます。
別に、すぐにダライラマのように成る必要は無いんです。
ただ「今の自分」である事が自分にとって大切な事だから、その自分をどんどん満たしていけば良い。
結果として自分も周囲も調和的な方向に流れて行きますから…。