地球体験ゲームを味わいつくそう!! (旧 ライトワーカー)

良いところも悪いところも見えるこの世界。私達は神以外の体験をしに生まれて来たのだから、どんな感情も体験も味わいつくそう♪

「人の為に生きる事」は立派な事では無い…。

2010-11-26 18:08:43 | Weblog
恋愛相談などで、よく「彼の為に今まで○○や××をして散々尽くして来たのに・・・(文句や不平不満が続く)」というケースがよくあります。

また

子供に対する相談で「色々してやってるのに子供は理解しない」「子供の為に『勉強しろ!』と言っているのにちっとも勉強しない

というケースもあります。

共通している事は「私(相談者)は他人(子供や恋人など)の為に生きている」です。…ココまでなら立派です。
ですが、その先に「だけど相手はそれに見合った対価を返してくれない!」という嘆きが裏に隠れているんですよね…。



止めませんか?「人の為」って言う言葉を使って他人を縛るのは…。一見すれば良い言葉に見えます。でもね、「人偏に為(ニンベンにタメ)」って書いて「偽」なんですよ。

人の為に生きる事は「偽り」なんです。

何故「偽り」なのか…。

確かに「人の為に生きる」、それだけで終わっている人は立派な方です。
ですが、そう自分で言っている人に限ってその後に「だけど相手は…(文句や不平不満)」が付いてくるんです。
「あなたの為」と言う人ほど自分の「愛している」という行為の見返りを求めているモノなんです。裏にある想いは「あなたに○○をしてあげたのだから私に○○して欲しい」」です。


見返りを求めない人は「あなたの為」という言葉を使いません。全て自分の自由意思、自己責任で生きているから。


本当は…

人が行っている生きている間にする事は全て「自分の為」にしています。
人に親切にする事も家族を大事にする事も異性を愛する事も、“打算と言う見返りを求めてではなく”「自分の気持ちに正直に」“自分がしたいからする”、ものです。



ただ、誤解して欲しくないのは故マザーテレサやダライラマが「他人の為に出来る事をしましょう」と言っている事を偽善だとは少しも思っていません。本質から出ている言葉だと感じています。
ダライラマの言われる「利他心」、キリストの言う「愛」がデタラメだとか言っているのではないです。本当の事を伝えているのだと思います。

ダライラマや故マザーテレサが「私がこんな事をしてあげているのに何故あなた方は理解してくれないのですか?」と言ってましたか?言っていないと思います。全て自分で望んでしている行為だから…。
周囲の評価とかは気にしていなかった(ノーベル賞をもらった後のパーティーでマザーテレサが何て言っていたか知ってます??)


彼らの言う「利他心」、「愛(特定個人ではなく全てに対しての愛)」等と言う本質は「他人にする行為と自分自身にする行為は同一。何故ならあなたも私も同じだから…」という深い確信に基づいて言っているから説得力があるんです。

スピ系の人は素晴らしい方々の言葉を知っているから「人の為に生きよう」「肉食を止めよう」「質素に暮らそう」と頑張っている方が多い。
ですが、その本質を知らず言葉の表面の部分しか見えていないで「人の為に生きる」行為をするとどうしても他者に対して不満が出てくる。
自分が正しいと思っている事をしない人に怒りが湧いてくる。
他人に対して「あいつは分かっていない!」「魂レベルが低いから…」などという言葉を他人に使う人が出てくる。

怒りの源泉は「自分は『人の為に生きねばならない』と頑張って(無理して)いるのに何故アイツは好き勝手してるんだ」という不満から来る他者への怒りです。

苦しくないですか?自分を抑圧して…他人に対しても不満を投げつけて…
自分も縛ったうえに他者も縛ろうとする…。

だからこそ敢えて言います。


「自分の為の人生を自分の為に生きましょう」 と。


自分をジャッジせず、「自分の声」に忠実に生きて、心を一つ一つ満たしていると「自分」が拡大していきます。
「自分の肉体」だけが大切だと思っていた人も「自分の家族や知人」を大事に思えるようになり、「自分のいる地域」→「日本」→「地球全体」・・・と広がって行きます。

別に、すぐにダライラマのように成る必要は無いんです。
ただ「今の自分」である事が自分にとって大切な事だから、その自分をどんどん満たしていけば良い。


結果として自分も周囲も調和的な方向に流れて行きますから…。

ミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話 その5

2010-11-22 03:09:38 | Weblog
ミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話 その4
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/975e865c52ee56eb8e3a5c93785316de
の続き。


 今回は早いね~

 そうだね、前回のまんま時間が経つとかなり中途半端だからね

 それにしても中々話が先に進まないね~

 作者自身もジレンマ抱えててね、「早く色々書きたい…けど絵文字とかが多いと選ぶのに大変で進まない…」「とは言え、今更止める方が中途半端すぎて絵文字を止める事が出来ない」ってぼやいてたよ

 その割には絵文字使うね

 まぁ、ボヤキながらもやりたいんじゃない

 そだねじゃあ本題(前回の続き)に入りま~す


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 前回、ミカエル君は「新しい時代を迎える為には人間の欲をなんとかしなくてはいけない…。」って言っていたよね。その通りだと思う
暴走した人間の欲が創り出した様々な問題がこの世には沢山あるよね。

 多分ね、その点ではこの記事を読まれた方は最後の君が言った意見に疑問に思った人が結構多かったと思うよ「人間の欲を満たそうとしたらキリが無いし、あらゆる問題が解消どころか増え続けるんじゃないかとね。
宗教やスピ的な事を勉強している人の中には「欲は無くす(減らす)べきだと思ってる方が圧倒的に多いと思うし…。

 もっともだよ。ある側面では「欲を満たす」よりは「足る事を知る」方が大切だと思ってるよ
ただね、欲にも色々ある事はミカエル君も知っているよね。欲と言うより「欲求」と言い換えた方が誤解が生じにくくて良いんだけれど…。

 うんうん、それで

 わしゃ~メイドさんと仲良くしたいんじゃが、どうしたらええかの~~

 いつから居たの
 とりあえず、(メイドカフェに)通い詰めて色々お話して下さい

 わしゃ、シャイでの~、一人だと上手く話せんのじゃ~。一緒に(メイドカフェに)行ってくれんか

 し、しょうがないな~~東京行くついでにバニーさんのお店にも行くなら一緒に行っても良いよ

 オイ(話の途中で)逃げるな

 じ、冗談だって…(相変わらず頭固いなぁ…)おじいちゃん、話が終わるまで待っててね

 早く本題に戻って

 りょうかい

動物は生命を維持する為に欲求を持っている。生理的欲求である食欲、睡眠欲、性欲などは人間に限らず他の多くの動物も持っているよね。

 もちろん。

 その欲求で人間以外の動物が環境破壊とか、動物同士で殺し合いとかする?

 しないね。基本的に他の動物は欲求が満たされればそれ以上の行動はしない。
食欲が満たされればライオンだって他の動物を襲ったりしない。
動物がメスを巡ってオス同士が争っても縄張りをめぐって争っても、勝敗が付いた時点で終了するから殺し合いまで発展しない…。人間で言う「殺人」は起こらないね。
でも人間は生理的欲求が満たされない事から殺人と言う他の動物がやらない「同族殺し」に発展する事があるよ。

 そうなんだ、つまりは「“欲”が原因で様々な問題が起きる」は大間違いって訳でもないけれど、正解では無いって事さ

 じゃあ、それを説明してよ

 いいよ。一区切りついたから続きは次回ね

 もう次回に回すの

 いや、だっておじいちゃん待たすのも悪いしさ~~

 分かったよ。ルシフェル君が行きたいんだね…

 ま、まぁいいじゃん またね





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ミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話 その4

2010-11-21 05:14:05 | Weblog
気まま連載(開き直り)のミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話の続編でございます~~

前回までに書いた記事です。

ミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話 その1
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/82a59c57cc2e4a362d1696e23cdc3609

ミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話 その2
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/0a5746212b0ccf3734d0acdba7aab5ce

ミカエルさんとルシファー(ルシフェル)さんの対話 その3
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/8f3b9b555608cc35ada5740f17bf0a37


ただ、今回の話を読まれる前に「二極性(ミカエルとルシファー)の統合
http://blog.goo.ne.jp/qzkqzk/e/6a172b820e0833c162f4a98424acad6a)」をご覧になって頂ければと思います。


登場人物紹介

ミカエル(という名のウサギ)…陽気で真面目なウサギです今回からは司会者?
ルシフェル(という名のウサギ)…元ルシファー()の着ぐるみを着ていたおちゃめなウサギ今回も解説者が主な役割かな
サンタ…見たまんまサンタ。とりあえず人間代表として質問者としてお試しに登場させてみる(作者の気まぐれで次回から居なくなる可能性あり。季節的にね…)。


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 お久しぶり~~ 今回、新メンバーのサンタさんを迎えて話を進めて行こう

 じゃあ、早速前回の続き…なんだけど、以前作者が書いた「二極性(ミカエルとルシファー)の統合」にほとんど書いてあるんで一度目を通してみて
それ以外の部分を書くとね…。そろそろ僕とミカエル君が一つの方向に向かう方向にある訳だけど(それって巷に言うアセンションの事)。ただね、それは現在の肉体のある世界が消滅するという意味では無いの。全てと一つになりたい魂はむしろ「死」を通して一つに帰る選択をする。
言いかえれば「多様性を持ちつつ2極で(良い悪いで)分けない世の中になるって事」だよ。

 そりゃ良い事聞いたの~。わしゃ~新しい世の中を待つよりも早く(あの世に)帰りたいから寿命待たずに帰る事にする(自殺する)かの~

 おじいちゃん、極論過ぎ今話した事は、そうじゃなくってね、自我意識の部分では無く「魂の選択」の話なんだよ。自殺する人って大体は未練残して死んじゃうから、結局は同じ事を体験する為に戻って来る事になるよ
おじいちゃんは年に一度しか子供たちに会えないから寂しくて(自我意識で)そう思うのかもしれにけれど、魂(本心)の部分では一年中子供たちの幸せの為に動きたいと思ってるんじゃないの

 実はそうなんじゃ。最近は年に一度を待つのが苦しくての~~

 じゃあ、おじいちゃん、これからは本音で生きなきゃ
いいかい、アセンションって何も難しい事では無くって「心から喜びを表現して生きる」って事なんだよ。そんな人が増えて、世の中全体がそうなって行く事がアセンションな訳。だからまずはおじいちゃんが喜ばなくてどうするの

 この年になって出来ることあるかの~~

 何言ってんの季節に合わせてコスプレすれば良いじゃん
     バニーにナースにメイドに… 

 オイオイ、路線が違うだろ

 ゴ、ゴメン(つい趣味に走って…人間のウサギもカワイイし。とにかくね、楽しいと感じられる事は何だってやればいいよ
コスプレ(サンタ服)着なくても出来る事は沢山あるよ。おじいちゃん以外でも高齢の人で寂しい思いをしている人はいるからそういう人と保育園や幼稚園の園児をつなげる仕事をするとか…。

 そうじゃの、死ぬ前に色々チャレンジするかの

 そうそう、その意気

 ばあさんも死んだ事じゃし、アキバとやらのメイドカフェに通い詰めようかの~~

 そっち

 ま、まぁ、色々やると良いよ。おじいちゃんにはそれも必要かもね

 良いのか(読者が納得するか)

 じゃあ、ちょっと真面目に言うね
死ぬ前に、未練を残しちゃいけないんだよ

 色欲に走る事が良い事なの

 ミカエル君は真面目だね~~。人間は僕と君の両面をバランスよく生きてこそ人間なんだよ。
おじいちゃんはね、ずっと子供一筋に生きて来た人だよ。死ぬ前にメイドカフェで「ご主人さま~」とか言われて萌え萌えになる事なんて大した事ないって
それよりもね「死ぬ前に一度くらい若いメイドさんに会いたかった」とか言って死んでごらんまた現世に戻って来なければならなくなるよ

 色欲って魂の声なの違うでしょ

 その通り、違うよ。人間には必ず欲がある。
ただ、欲は人間にとってとても大切なんだ。でないと生命を維持する事が出来ないし子孫を維持出来ないからね、欲を満たす事も大事なんだ。
もちろん肉体を持たない存在にとっては欲なんか必要無いからミカエル君にも必要無いんだけれどね。

 でもね…、その人間の欲が暴走して現在の様々な世の中の問題が起きている訳でしょ??
だからこそ、新しい時代を迎える為には人間の欲をなんとかしなくてはいけない…。

 おじいちゃんのメイドカフェ問題が地球環境問題やアセンションにまで膨らんだね~~

 ココまで広がったからには話が続くんでしょ

 もちろん次回

とある存在からのメッセージ.

2010-11-15 03:17:15 | Weblog


とりあえず、波動で降りてきたエネルギーをクリスのボキャブラリー(知識、データー)で翻訳。それを()で分かりやすいように補足しました
興味のある方は読んでみてね


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間もなく新時代の流れがやってくる。

その波には誰もが乗れるわけでも無く、己が心の膿(過去からの不要な固定概念や想念など)を認めて正直に受け入れ、膿を出し切った者が次の波に乗れる。

故に全ての者が新たな転換が出来るわけでもない。しかし、逆に言えば全ての存在にその機会(変容のチャンス)が与えられる。
人である以上完全で完璧に出し切れる者はほぼ皆無。完璧である必要はない。
しかし日々の心掛けがある者とそうでないものとは大きく流れが変わって来るであろう。



世に迷う者は他人とは違う物(力や知名度やスピリチュアル的な能力)を求めるが、その結果得られる物事によって次の波に乗れるわけではない。どんな特殊な力を手に入れても代用品にすらならない。
常に己を見つめ、受け入れ、過去を癒し(手放し)、今を生きる者だけが次の波に乗れる。

迷わせる者とて、その者自身が魂と繋がっていないから良かれとしているので他者を責める意味は無い。見つめる相手は常に他者では無く己自身。



今後、そなた達が従う者は己の魂のみ。外の神を崇める(自分の意志、選択を放棄し他者の言いなりになる。先生や教祖を盲信する)事の無い様に。

 
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“とある存在”が誰かとかはここでは書かない(書く意味が無い)です。
と言うのは巷に「天使のメッセージ」「神様の・・・」とか有りますが、それが本当かなんて誰にも分からないのと同じように自分に降りた名前が本当かどうかは誰にも分からないし、書いたら書いたで先入観を与えるので意味が無い。


それよりも読んでそれぞれが感じて下さり、必要と言う方は受け取って下さい。
メッセージで大切なのは「誰から」ではなく「内容」だと思っていますので。



自分は自分自身に必要だから受け取ったと思っています。自分自身、今現時点では“次の波に乗れる”かどうかは分かりません
日々の心掛けが出来るかどうかは自分次第