モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

罪の棘

2019-05-22 23:10:32 | 福音について
高慢にならないようにわたしの肉体に一つの棘が与えられた。(2コリント12:7)

パウロは改宗する前に、イエス・キリストの信者を迫害し、
ステパノの殉教の場にも立ち会っていました。
そのことは改宗後の彼に何をもたらしたのでしょう。

パウロはそのことを生涯忘れることができなかったでしょう。
もちろんそれは彼にとって大きな痛みとなったはずです。
その苦しみを取り除いてほしいと願うのは当然のことでしょう。

程度の差はあれ、わたしにも似たような思いがあります。
「バプテスマによってそれまでの罪は赦される」といいますが、
福音を理解するにつれ、その苦しみは増しました。

悔い改めに苦心し、赦しを請い願いました。
肉体(この世的)によって歩んでいたときの罪が、
霊(御霊)によって歩もうとするときに「棘のような痛み」をもたらすのです。

その痛みが甦るたびに心はへりくだるのですが、痛いのは苦手です。
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罪の赦し

2019-05-22 22:43:41 | 福音について
子供の頃、悪さを見つかるとひどく叱られたものです。
その時、赦されるための条件はいつも決まっていました。
「もう二度としません」と誓わせられるのです。

神の赦しを受けるための条件も同じで、
二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うことです。
主にその誓いを認められたなら赦しがもたらされます。

「神は赦した罪を忘れる」と言われますが、
この「忘れる」とは記憶から消し去ることではありません。
裁きの座に持ち出さないという約束です。

人は裁きの時まで赦された罪を繰り返すことなく、
罪の赦しを保つ必要があります。
もし罪を繰り返すなら罪の赦しは取り消されるからです。

罪を繰り返さないためには、罪による苦しみを忘れないことです。
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恩恵

2019-05-22 13:22:05 | 福音について
今朝、洗濯機に洗剤を入れながら、
ふと「この柔軟剤は何の役に立っているのだろう」と考えました。
柔軟剤の効果は聞いていますが、実際のところは知りません。

福音の学びにも同様に感じたことがあります。
信じているから毎日続けているのですが、
ふと心に不信が生まれる瞬間です。

そのようなときにはどうすればいいのでしょうか。
一時的にやめてみることで効果は確認できるでしょうか。
それとも「確かに役立っている」と自分に言い聞かせるのでしょうか。

聞いて、教えられて、人を見て、信じているのでしょうか。
「何もないよりはいいだろう」程度に考えているのでしょうか。
自分自身で恩恵を確認したいと望むのであれば、何ができるでしょう。

聖餐の祈りにあるように、望みを証明する必要があります。
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悲しみ

2019-05-22 12:59:44 | 福音について
「悲しみ」はどこから来るのでしょうか。
信じようと努力したのに叶わなかった時、
望む気持ちが断たれた時でしょうか。

その気持ちが外に向かえば怒りとなり、
内に向かえば悲しみになるように思えます。
怒りを抱いている人が悲しそうに見えるのはそのせいかも知れません。

望みが心に残っていることに気付けば、その気持ちは和らぐものでしょうか。
愛する人、側にいてほしい人の死は深い悲しみをもたらします。
復活と再会の希望には、その悲しみを和らげるだけの力がありますか。

この世では様々な経験が悲しみをもたらします。
それらの経験も主に贖われると信じる信仰には、
悲しみを和らげる力があるのでしょうか。

その時が訪れるまで、続ける信仰に価値はありますか。
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経験の恩恵

2019-05-22 12:58:01 | 今日の一言
喜びの経験は希望を増し加え
悲しみの経験は忍耐力を増し加える
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