QAZのつれづれ日記

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親の面倒を見続けている家内

2022年04月05日 | 健康


結婚した女性は一生のうち一般に何人の身内の面倒を見ることになるでしょうか。

私の両親は神戸、家内の両親は夙川、ともに関西在住でした。
私たち夫婦は現在東京に住んでいます。
私たちには子供がいません。
4歳年下の家内は結婚以来ずっと専業主婦として家を守ってくれています。

私は長男で妹がいましたが私たち夫婦は私の両親の面倒は私たちが当然看るものと考えていました。
また家内は長女で弟がいましたが家内の母親は息子夫婦よりも娘である家内のそばにいたいという思いが非常に強く、しかし私が長男でしたから私の両親への手前そのことを表立って言うことはありませんでした。
義母は手塩にかけて大切に育てた娘を遠く東京に嫁がせてしまったことを非常に寂しがり、私にはいつまでも子離れしない母親のように映っていました。

私たちが結婚して4年目の大晦日、穏健だった家内の父が61歳の若さで胃がんで亡くなりました。
家内は半年間関西に帰り母親とともに父親の看病に尽くしました。
親の看病の始まりです。
義母は夫を失い息子では茶飲み話相手になりませんからますます娘への想いが募ったことでしょう。

次の転機はあの忌まわしい阪神淡路大震災でした。
神戸の実家も夙川の実家も全壊、一命を取りとめた私の両親も義母も私たちを頼って東京移住を決意、相次いで私たちの住むマンションの近くに引っ越してきました。
家内は慣れない東京生活をすることになってしまった3人の親を分け隔てなく実に親身に世話をしていました。
私の母と家内は非常に仲が良く、家内はよく母を連れ出しては買い物や喫茶店でお茶をし、「このテーブルはあなたのお母さんとよくお茶した場所よ」と私に話してくれます。

しかし震災の翌年、震災の心労が遠因か私の大好きだった優しい母が急逝、私の父と家内の母という片親どうしが残ることになってしまいました。
いつまでも親に不自由な生活をさせておくことはできず、3世帯同居の家を建てることを決心しました。
母が存命であれば義母との同居は実現しなかったと思いますが、母が亡くなって私自身義母との同居に何の抵抗もなく自然な成り行きでした。
3寝室要りますので5LDKのやっと家族全員落ち着いて暮らせる新居が完成しました。

母が新居に住めなかったことが申し訳なさでいっぱいです。
父は90歳を超え震災で精神的にも肉体的にも老化が進み、内科、歯科、耳鼻科、眼科、皮膚科、泌尿器科など、それこそ婦人科以外のあらゆる診療科にかかり、毎日のように家内に連れられて医者に通っていました。
義母も父の食事の世話など尽くしてくれました。
その父も震災4年後に亡くなり、その後私の妹も家内の弟も相次いで亡くなり私たちの肉親はとうとう家内の母親一人だけになってしまいました。

義母は現在98歳、2年ほど前から認知症が急激に進み夜中でも悲鳴に近い大声で家内を呼びつけます。
食事もほとんど摂らない細い身体でどこにそんなすごい力が残っているのかと思います。
自分の言ったことがどんなに理屈に合わなくても絶対主張を曲げません。
少しでも反論すると激怒してしまいます。
若い頃私たちにあんなに良くしてくれた義母が大変な変わりようです。
こんなことになるとは想像もしていませんでした。
4人の両親のなかで義母が一番手のかかる肉親となってしまいました。

義母は健脚で国内旅行は100数十回、海外は87歳まで私たちと20回近く旅行しています。
旅行番組のテレビを見ますとたいてい場所を言い当てます。
若くして夫を失うという不幸はありましたが娘との同居も実現し認知症を患うまでの20年以上それなりに楽しんだ人生ではあったと思います。

家内は母への介護ストレスが重なる上寝不足で食欲も落ち体重もかなり減ってしまいましたが実にこまめに母親の面倒を見ています。
家内にパジャマ姿で寝ている余裕はありません。
いつも臨戦態勢、母がころんで頭や腰を強打し何度救急車で運ばれたかわかりません。
母がベッドから滑り落ち床に仰向けに倒れると筋力がないので亀のように自力では起き上がれません。
夜中でも家内と私、二人がかりで抱き起してベッドに寝かせます。
一日中どんなにひどい暴言を浴びせられても家内はじっと耐えて聞いていて夜中12時過ぎ母が疲れ果ててやっとベッドに寝かせたところで寝付くまで母親の固くなった指を黙って30分以上さすって揉みほぐしています。

家内のこの優しさが一体どこからきているのだろうと考えることがあります。
唯一人残った肉親ということもあると思いますが、やはり幼いときから愛情たっぷりに育てられてきたことへの無意識な無償の恩返しではないかと思うことがあります。
思い残すことなく十分介護しているのでいつ亡くなっても悔いはないと言います。
なかなか言えない言葉です。

これからは将来のことですが順序から言えば私への介護が待ち受けています。
5人目の介護です。
私の体調も去年の大手術のあとまだまだ万全ではなく低空飛行が続いています。
義母のような家内に重い介護負担のかかるようなことにはなりたくないと切に思います。
そして最後の最後、家内自身の介護は子供がいませんので肉親は誰も世話してくれません。
関西に私の姪が二人いますがあてにはできません。

まさに家内は介護しっぱなしの人生、このことを考えると家内が可哀そうで可哀そうでどうしたら良いかわかりません。
手厚い介護をしてくれる施設に入居するしかないでしょうか。
このことは私や家内が認知症にならないうちに二人でじっくり話し合わなくてはなりません。
幸い家内の親しい友人のケアマネージャーが義母の件でも親身になって相談に乗ってくれています。
家内と二人で暮らせる毎日が最高の幸せですが、一方で長生きし過ぎるのもつくづく楽ではないと思うこの頃です。


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4 コメント

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Unknown ( kazukomtng)
2022-04-06 07:20:18
なんと立派な奥様でしょう!
こんな方もいらっしゃるのですね。
くちこは、ウルトラ凡夫なので、、、
まあ、それもこれも?くちこの両親が、くちこを過保護に甘やかして育てたから?
とまあ、責任転嫁も常。
そんなくちこも、五人の親を介護した人生でした。
一人っ子のくちこの、この世に生まれるにあたり、神様から背負わされた宿題なんだろうと思っています。
今年の二月で、できの悪い宿題は終了しました。
介護の必要が無く逝ったのはサメ父だけでした。
実母とサメ母は、ともに認知症もあり、要介護5と4でした。
やはり、自分達の最後が気にかかります。
そして、今を有り難く大事に暮らそうと思う次第です。
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Unknown (tkgmzt2902)
2022-04-06 07:49:22
三家族同居、と素晴らしい幸せな選択をされたことにとても敬意を表します。このような選択ができるのは、心にも経済的にもゆとりのある限られた方だと思いました。
親に対する考え方が夫婦一致していたということが素晴らしいと思いました。
長生きするのは大変という文字に、心がかきむしられるようです。皆が抱える最大の問題ですね。

37年間義母と同居しましたが、丁度介護保険制度ができて、4年間はショートステイ、デイケアを組み合わせて感謝してもしきれません。
ケアマネージャーさんが私の介護状態を心配してくださったことが、最大の心の拠り所でした。
私たちの世代は「···ねばならない」ことが染み付いて縛られている気がします。
心が定期的に開放される時間を持つことは、みんなの幸せにも繋がりました。介護する側の健康維持が一番と言ってもいいと思います。
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親の面倒を見続けている家内 (QAZ)
2022-04-07 09:50:31
くちこさま
くちこさんも5人の親を介護されましたか。
仰られるとおりこれは仏さまが現世での修行として与えてくださったことではないかと私も思います。
まじめに修行していればその見返り(ご利益)は必ずあります。
母は現在要介護2ですが今年は確実に3か4になることでしょう。
家庭内介護もそろそろ限界かも知れません。
今を有り難く大事に暮らそう、まったくそのとおりですね。
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親の面倒を見続けている家内 (QAZ)
2022-04-07 10:09:22
tkgmzt2902さま
自然な流れで義母との同居になりましたのは、家内を産み育てその大切な一人娘を私に嫁がせてくれた義母への深い感謝と恩が根底にありました。
介護する側の健康維持が一番、ほんとうにそうですね、今ここで家内に倒られてしまったら家庭崩壊してしまいます。
私自身体調が十分でなく思うように家内を手助けできないことを家内にとても申し訳なく思います。
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