QAZのつれづれ日記

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草野心平の詩集「富士山」から「作品第肆(し)」

2015年04月08日 | 日記

忘れもしません、入試に合格し高校に入って最初の国語の授業で出会ったのがこの詩でした。
何十年も前のことですが、ついこの前のことのように鮮明に思い起こされます。
もうそのときの教科書もなく、断片的なわずかな記憶を頼りにネットからその詩を探し当てました。

***

川面(かわづら)に春の光はまぶしく溢れ
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ
葦の葉のささやき
行行子(よしきり)は鳴く
行行子の舌にも春のひかり

土提(どてい)の下のうまごやしの原に
自分の顔は両掌(りょうて)のなかに
ふりそそぐ春の光に
却って(かえって)物憂く(ものうく)眺めてゐた

少女たちはうまごやしの花を摘んでは
巧みな手さばきで花環(はなわ)をつくる
それをなはにして縄跳びをする
花環が圓を描くとそのなかに
富士がはひる
その度に富士は近づきとほくに座る

耳には行行子
頬にはひかり

***

行行子(鳴き声はこちら)

小説は高校時代からたくさん読んでいましたが、科目としての国語は元々嫌いで特に詩などにはそれまでまったく関心、興味がありませんでした。
ところがこの詩は当時の私に鮮烈な印象を与えました。

この詩には光があります、
風があります、
匂いがあります、
色彩があります、
声と動きがあります、
自然のいのちと音楽を感じます、
まるで動画を見ているように季節感、立体感、躍動感ある風景が目の前にパッと広がります。
東京郊外、荒川千住大橋付近の土堤が舞台と言われます。

この詩は昭和18年刊、富士山をテーマにした詩を発表し続け「作品第○○」の形のナンバーによる題名を付けてまとめた全24編、草野心平40歳代の詩業の一つだそうです。

「肆(し)」とは数字「四」の大字(だいじ)で、漢数字の大字とは領収書などで書き換えられたりしないように一、二、三、十などの漢字の代わりに使われる壱、弐、参、拾などの字体のことです。

のちに我が高校の校長にもなられた当時の国語のM先生の教え方がまたユニークでした。
言葉の一つ一つを細かく分析し、意味はもちろん使い方まで詳しく丹念に調べてゆくという鑑賞法は今までにない新鮮なものでした。
実に広範囲にわたって詩への深い学習でした。
たったこれだけの字数の中にこれほどまで多くのことが表現され詰まっているとは驚きでした。

この詩は多田武彦作曲の男性合唱組曲「富士山」という曲にもなっていて、多田武彦のほかに内田俊、内田優、柴田南雄なども曲をつけています。
 
詩とは関係ない話しですがこの先生、「この漢字、どう書くのかなと思い出そうとすればするほどその漢字の形が変に見えてくるものです」と言われたことも、なるほどそうだと先生のこの言葉をいつまでも忘れず覚えています。
この先生のおかげで嫌いな国語も何とか持ちこたえることができました。

普通、学校の最初の授業で何を習ったかなんてことはまるで覚えてはいませんが、この授業だけは生涯忘れ得ない特別な時間でした。
新学期を迎える4月のこの時期、ときどきこの詩のこと、先生のことを思い出します。

関連ブログ:
子供の頃のこと(つづき) (2015.03.06)
子供の頃のこと (2015.03.01)



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