はや8月、すぐに立秋(8/7)、旧盆(8/13~)が追っかけやってきます。
ところで「評伝 古賀政男」と題する書物が過去に3冊出版されています。
(1) 評伝 古賀政男 高橋功著 全音楽譜出版社 1984年
(2) 評伝 古賀政男 青春よ永遠に 菊池清麿著 アテネ書房 2004年
(3) 評伝 古賀政男 日本マンドリン&ギター史 菊池清麿著 彩流社 2015年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/30/974ecc3f6ef866055dd7cc487a3cc25c.jpg)
左より(1)、(2)、(3)
(2)は所有していましたが、このたび(1)を入手しました。
昨年出版された(3)は(2)と同じく明治大学マンドリン倶楽部OBの菊池清麿氏の著作ですがまだ持っていません。
(1)の著者、高橋功氏の著書にはこのほかに
・マンドリン奏法 春秋社 1933年
・ギター音楽への招待 音楽之友社 1973年
などがあります。
古賀政男は氏の人生の苦悩が凝縮された代表作「影を慕いて」をはじめとする数々の歌謡曲の名曲を作曲した国民的な大衆音楽家であると同時に、私を含めマンドリンを弾く者にとってはマンドリン合奏でよく演奏される「丘を越えて」や明治大学マンドリン倶楽部といった「プレクトラム音楽の古賀政男」としての一面も持っています。
古賀は苦学して明大に入学、ついにマンドリンクラブを作るという夢を実現、最上級生となった昭和3年春の定期演奏会では難曲であるカラーチェの第一前奏曲を独奏し、相当のマンドリン演奏技術をもっていたことがうかがえます。
著者菊池氏は「カラーチエの作品はマンドリンの明るい響きが特徴的で哀愁や憂愁に満ちた曲でも明るいきらめきを失うことがなく、古賀メロディーの感傷が格調が高いということはやはりカラーチェの影響もあるといえる。古賀メロディーは夢を愛し音楽の美しさを愛する者へ甘美に響くメロディーなのである。」と述べています。
クラブの方針として古賀は技術は下手でも心を磨こうということをモットーに学業とクラブの両立という真摯な態度で向き合い、学業をおろそかにし芸術にかこつけてルーズな生活をする部員を許さず、カフェーやダンスホールなどでガールハントの手段にしている部員を容赦なく糾弾したそうです。
古賀政男は「クラシックは音楽の父」であると言っています。
高橋氏は「私がはじめて代々木上原の古賀邸を訪ねておどろいたのは、譜庫に一杯積み重ねたマンドリン、ギターの楽譜、しかもそれがどれも手垢でよごれていたことであった。」と述べています。
古賀はクラシック音楽、マンドリンやギターのオリジナル曲を大事に思って研鑽を積んでいたことがうかがえます。
古賀政男指揮、藤山一郎歌、明治大学マンドリン倶楽部演奏という三拍子揃った極めつきの「丘を越えて」を聞きたいと思います。
「丘を越えて」(原曲は「ピクニック」)は古賀政男の青春の譜の象徴だった曲とされています。
古賀政男についてはネットのここやここにも詳しいです。
関連ブログ:
・高橋功著「マンドリン奏法」(2015.07.01)
・「ギター音楽への招待」と「マンドリン・ギター片影」(2011.12.29)
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