「気象庁は13日午前、関東甲信と近畿で梅雨明けしたとみられると発表した。」ので、夏らしい。
今朝の横浜はどんよりと曇っていて、ちょっと涼しかったし、帰りもすごし易かったが、明日は日中34℃で夏本番と言って間違いないようである。
この季節、当たり前であるが女性のタイツ、ストッキング姿が激減する。
一時、汗をすばやく蒸発させて、すぅーっとする「ストッキング」も出回っていたようだが、普及はしていないようだ。
当然、「着ぐるみ」のスーツアクター、アクトレスには辛い季節である。
あの日は、まだ、入梅もしていない「初夏」であったが、曇天のため、急遽、その「ショー」は、屋内の小さな「広場」に切り替えられた。
もともと、小さなデパートの小さな屋外ステージだったので、客と「キャラ」の距離は接近していたが、もともと「ショー」をやる構造になっていない「屋内広場」では、その距離はさらに縮まることになった。
「彼女」はそこに、いつのも姿で登場した。
緑色の髪に小さな角、小さな虎縞のビキニ姿。
当然、「肌タイ」の上である。
田舎の「ショー」だったので、物珍しさもあって「屋内広場」の周りは、大人も子供も入り混じった人だかりになっている。
それが、効きの悪い空調のパワーを、余計に弱くしていた。
でも、「彼女」はがんばっていた。
大きな可愛らしい仕草。
走り、飛び跳ね、「ダーリン」に抱きついていた。
だが、湿度と熱気は容赦なく、「彼女」を襲う。
その当時、「肌タイ」は、綿素材のメリヤス生地で出来ていたそうで、今の「肌タイ」に比べて、伸縮性は少し弱かったが、吸湿性は優れていた。
なので・・・。
つつぅーっと汗が、「彼女」の背中を走る。
それにつれて、「汗染み」が、すーっぅと「彼女」の背中に現れる。
「彼女」が振り向く。
汗が手前に流れ、「彼女」の首筋に「汗染み」が浮かぶ。
約15分のショーが終わった頃、「彼女」の背中と首筋は、すっかり色が変わっていた。
そして、浮かび上がったラインで、彼女が動きやすいように「ブラ」を留めていない事が判った。
そのまま、「彼女」は、サイン会+握手会に臨んだ。
汗染みを浮かべて、山のような色紙を抱え、一人づつ並んだ子供たちに握手をする「彼女」。
この季節、多少の差はあれ、このようなことの繰り返しで、「彼女」自身、自分はどんな姿か、知っていたと思う。
それでも、照れることなく、すっと背筋を伸ばして、「彼女」の仕事を全うしていた。
そのとき、あらゆる欲望にまみれていた私は、そんな「彼女」の真摯な面よりも、浮かび上がった「ブラ」のラインに、自分を見失うことを必死に我慢していた。
けれど、それから時を経た今、この季節、不意に「つーぅっぅ」と背筋に汗が流れるとき、私は、ふと「彼女」を思い出す。
そして、あの「汗染み」まみれの「肌タイ」と、「ブラ」をはずした「彼女」の姿を思い出し、懐かしんだりするのである。
今朝の横浜はどんよりと曇っていて、ちょっと涼しかったし、帰りもすごし易かったが、明日は日中34℃で夏本番と言って間違いないようである。
この季節、当たり前であるが女性のタイツ、ストッキング姿が激減する。
一時、汗をすばやく蒸発させて、すぅーっとする「ストッキング」も出回っていたようだが、普及はしていないようだ。
当然、「着ぐるみ」のスーツアクター、アクトレスには辛い季節である。
あの日は、まだ、入梅もしていない「初夏」であったが、曇天のため、急遽、その「ショー」は、屋内の小さな「広場」に切り替えられた。
もともと、小さなデパートの小さな屋外ステージだったので、客と「キャラ」の距離は接近していたが、もともと「ショー」をやる構造になっていない「屋内広場」では、その距離はさらに縮まることになった。
「彼女」はそこに、いつのも姿で登場した。
緑色の髪に小さな角、小さな虎縞のビキニ姿。
当然、「肌タイ」の上である。
田舎の「ショー」だったので、物珍しさもあって「屋内広場」の周りは、大人も子供も入り混じった人だかりになっている。
それが、効きの悪い空調のパワーを、余計に弱くしていた。
でも、「彼女」はがんばっていた。
大きな可愛らしい仕草。
走り、飛び跳ね、「ダーリン」に抱きついていた。
だが、湿度と熱気は容赦なく、「彼女」を襲う。
その当時、「肌タイ」は、綿素材のメリヤス生地で出来ていたそうで、今の「肌タイ」に比べて、伸縮性は少し弱かったが、吸湿性は優れていた。
なので・・・。
つつぅーっと汗が、「彼女」の背中を走る。
それにつれて、「汗染み」が、すーっぅと「彼女」の背中に現れる。
「彼女」が振り向く。
汗が手前に流れ、「彼女」の首筋に「汗染み」が浮かぶ。
約15分のショーが終わった頃、「彼女」の背中と首筋は、すっかり色が変わっていた。
そして、浮かび上がったラインで、彼女が動きやすいように「ブラ」を留めていない事が判った。
そのまま、「彼女」は、サイン会+握手会に臨んだ。
汗染みを浮かべて、山のような色紙を抱え、一人づつ並んだ子供たちに握手をする「彼女」。
この季節、多少の差はあれ、このようなことの繰り返しで、「彼女」自身、自分はどんな姿か、知っていたと思う。
それでも、照れることなく、すっと背筋を伸ばして、「彼女」の仕事を全うしていた。
そのとき、あらゆる欲望にまみれていた私は、そんな「彼女」の真摯な面よりも、浮かび上がった「ブラ」のラインに、自分を見失うことを必死に我慢していた。
けれど、それから時を経た今、この季節、不意に「つーぅっぅ」と背筋に汗が流れるとき、私は、ふと「彼女」を思い出す。
そして、あの「汗染み」まみれの「肌タイ」と、「ブラ」をはずした「彼女」の姿を思い出し、懐かしんだりするのである。
フェティシュになると物語が生まれるw
若しくは物語にしてしまう!
その想像力を私は妄想と呼んでおります。