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作文小論文講座

苦手な作文を得意に。小学生から受験生まで、文章上達のコツを項目別に解説。作文検定試験にも対応。

おかげさまで

2006-03-30 | コラム
 「わくわく作文ランド」が「教育のまぐまぐ」のおすすめに選ばれました。

 http://education.mag2.com/

 最新号は、「春休み特別号」(読解力をつけるには)です。

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作文の日

2006-03-05 | コラム
 3月9日は「作文の日」です。まだ有名ではありませんが、そのうち、カレンダーにも「作文の日」と書かれるようになると思います。(笑) 国民の祝日になるかどうかはわかりませんが……。

 「作文の日」のキャッチフレーズは、「世界に広げよう。作文の花。」です。この日は、作文文化が広がるように、みんなで作文を書く日です。もう何年も作文なんて書いていないという方にも、是非作文を書いてほしいと思います。

 私の勤務している作文教室では、とりあえず、通学生対象に「花」というテーマで作文を募集しています。応募してくれた生徒には花の種をプレゼントすることになっています。また、優秀作品は、教室下の掲示板に掲示し、道行く人に読んでいただく予定です。

 本人の了解を得たら、このページでも紹介したいと思います。

中学受験・高校受験の親技

2006-03-04 | コラム
 『成績がイイ子の親だけが知っている!新「勉強の常識」』という殿堂入りメルマガに、このブログ『作文小論文講座』とメルマガ『わくわく作文ランド』を紹介していただきました。ストロング宮迫さん、ありがとうございました。

 ストロング宮迫さんのメルマガには学ぶところがたくさんあります。内容は言うまでもありませんが、「親身のメルマガ」と呼んだらよいのでしょうか、その気迫の影に隠れた優しさが感じられるんです。私もそんなメルマガが書けるようにがんばりたいと思います。

 中学受験、高校受験を目指すお父様、お母様には是非読んでいただきたいメルマガです。二人の子育て途中である私も愛読しています。

 登録はこちらから→http://www.mag2.com/m/0000118946.html
 「中学受験・高校受験の親技」→http://www.oyawaza.com/


 

ちょっとひといき ~究極のダジャレ講座~

2005-04-12 | コラム
 あなたにとって、究極の九曲は何ですか? などと言っている場合ではなく、ダジャレを真剣に勉強したいというあなたのために、ダジャレ講座をお届けしましょう。もちろん、ただですよ。銀行口座から講座料を引き落としたりしませんからご安心を。

 ダジャレを得意にするためには、寝ても覚めてもダジャレを考え続けることです。というのはちょっとオーバーですが、せめて暇なときはおもしろいダジャレを考えてみましょう。私は、電車に乗っているとき、なかなか眠れない夜、何もかもがいやになったとき(笑)などにダジャレを考えます。暇つぶしにもなるし、いやなことも忘れられるからです。一度、考え始めるとつい夢中になり、ダジャレの世界にどっぷりとつかってしまいます。

 目にうつるもの、ふと脳裏に浮かんだ言葉など、何かをもとに、ダジャレができないかどうか考えを巡らせます。慣れてくると、ダジャレになりそうな言葉とそうでない言葉の見分けがつくようになります。(ここまでいけば達人です。)

 まずは、簡単なところで、二文字のダジャレ。駅のホームにハトがいます。さあ、「ハト、ハト、ハト……。」と繰り返してみましょう。ほら、「ハトにはっと驚く」が浮かびましたね。「ハトのハートがはっとする」などというトリプルダジャレが浮かんだ人もいるかもしれません。二文字のダジャレは初心者向きですが、中にはその単純さゆえに輝きを放つダジャレもあります。「たこ買った子」「棚があったな」などは、シンプルで嫌味のないダジャレと言えるでしょう。

 では次。三文字のダジャレです。川を見ると魚が泳いでいます。橋の上で、誰かがパン粉をまいています。そこで、あなたはふと思うわけです。「魚のえさかな?」と。ほら、知らないうちにもうダジャレが……。こういうダジャレは、作文の中にも自然に入ります。「私は、魚のえさかなと思いました。」と書けば、誰もダジャレだとは気づきません。(べつにかくす必要はないのですが……。)

 だんだんむずかしくなりますが、今度は四文字のダジャレです。時はクリスマス。街にはクリスマスソングが流れています。♪真っ赤なお鼻のトナカイさんは……。♪ ここで「トナカイ」を見逃してはいけません。さらに、「と」と「なかい」を切り離して考えることができるかどうかがいいダジャレを思いつくかどうかの分かれ目となります。「と」は「AとB」というように何かと何かをつなぐ役割をしますね。トナカイと言えばサンタクロース。サンタクロースは「トナカイと仲いい」となります。
 最初が「と」で始まる言葉に出合ったら、同じパターンでダジャレができないかどうか考えてみましょう。たとえば「とかげ」を「と」と「かげ」に分けます。「とかげとかげ」。無駄のないダジャレができ上がりました。

 では、このへんで、「南国ダジャレ」というものをご紹介しましょう。「南国ダジャレ」というのは、実は「難語句ダジャレ」のことなのです。中学生以上の人には是非覚えて作文に使ってほしい言葉をダジャレで覚えてしまおうというものです。たとえば「観劇で感激中の間隙を突く」では、「間隙を突く」という言い方を覚えましょう。「熱燗で圧巻」では、「圧巻」という言葉の意味を覚えましょう。(「熱燗」の方は覚えなくてもいいです。)

 ダジャレを考えることは、頭の体操にもなります。おもしろいダジャレのポイントは、語感が自然でありながら意外性があるということです。でも、むずかしく考えず、あなただけのオリジナルダジャレを作ってみてください。他人を笑わせることだけがダジャレの目的ではありません。ダジャレ作りの過程をじっくり楽しむことが大切なのです。

文章を書くということ

2005-03-10 | コラム
 文章を書くときには、自分の内側を深く探ることと、自分から離れることの両方が必要とされると思います。他人とは違う自分、そんな自分の個性的な体験や内側から湧き出る感情を素直に表すことは大事なことです。しかし、一方、自分の枠を抜け出して、外の世界との関わりを記すことも大切です。小学生低学年なら、友達との会話を書いたり、誰かの気持ちを推測して書いたりすること、高学年なら「人間にとって」などという言葉を使いながら一般化することがこれにあたります。中学生以上では、自分の問題から離れて人間全体、社会全体の問題として意見を示すことがこれにあたるわけです。

 そもそも人間は、自分の内側の世界と外側の世界とのバランスを取りながら生きていると言えるでしょう。必ずしも境界線のはっきりしない二つの世界を行ったり来たりしながら成長していくのが人間なのかもしれません。文章を書くという作業は、そんな二つの世界のバランスを取るにはとてもいい方法だと思います。私たちは、さまざまな体験からいろいろなことを学んでいます。それらの学びの成果を自分の中に積み重ねていくだけでなく、外の世界に照らし合わせることで、その学びはより深いものとなって刻まれます。

 人間は、誰もが自己中心的であると言えるでしょう。自分のことをいちばん大切に思うのは当然のことです。自分の存在を主張し、幸せに生きていこうという意志を持てるのは自分しかいません。しかし、誰もが自分のことしか考えなかったら、社会の秩序は成り立ちませんし、もちろん、自分も幸せになれません。人は他人との関わりの中で生きています。また、自分という存在も大きな宇宙からみたらほんの小さなものに過ぎません。そこで、他の人々に目を向けること、大きな社会の流れを把握することが必要になってきます。すると、この世の中に普遍的な何かがあることに気づかされます。そんな気づきを文字にするとき、たぶん、自己というものの幅が広がっているのだと思います。

 自分の内側で起こった具体的な出来事を抽象的な考えにまとめていく、自分の感情を主体的に発信するだけでなく、客観的にとらえる、そんな作業を繰り返していると、それまで見えなかったものが見えてきます。そして、自分という「とりで」の周囲に引いた境界線が少しずつ広がっていくことに気づくでしょう。文章を書くという作業を通して、人間的にも成長できたらこんなにすばらしいことはありません。私たちは、歩幅の差はあっても書くたびに必ず前進しているのです。

五感と自己確立

2005-03-03 | コラム
 五感とは、目、耳、舌、鼻、皮膚を通して生じる五つの感覚のことです。つまり、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五つの感覚です。これらの感覚は、いつも外界と自分とをつなぐ役割をしています。私たちは、五感によって、外の世界を内へと取り入れ、自分なりに消化しているのです。五感こそが自分というものを認識し、確立する基盤になっていると言っても過言ではないかもしれません。というのは、私たちの心は、何かを感じ取ることによって反応するからです。もし、五つの感覚が何の役割も果たさなくなったら、私は私でなくなってしまいます。つまり、五感がなかったら、自分は無になってしまうということです。逆に考えると、自分の五感をより強く意識することによって、より確かな自分を築き上げることができるということになります。

 今、目に映っているものは何か、どんな音が聞こえてくるか、そんなことを一つ一つ意識し、五感を研ぎ澄ませることによって、自分の内側の世界も変わってくるはずです。それは、ありのままの現実を素直に取り入れる作業でもあります。一つ一つの感覚をフル活用してみると、私たちがいかに先入観にとらわれたものの見方をしていたかに気づくかもしれません。また、いかにおおざっぱなものの見方をしていたかに驚くかもしれません。そして、普段、五感をほとんど活用していなかったということを認めざるを得なくなるのではないでしょうか。今、あなたの目、耳、舌、鼻、皮膚が何を感じているか少しだけ意識してみてください。道端に咲く可憐な花の色、夕方の町の喧騒、ツツジの花の蜜の味、雨上がりの公園に漂う木の葉の香り、吹き抜けていった風の冷たさ、そんな感覚を一度じっくりと味わってみてください。

 自分で感じたことを自分の言葉で表現する、それが作文を書くということで、自分で感じていないことを言葉にしても読む人の心に響くような作文にはなりません。自分の五感で得たことを精一杯表現しようとした作文からは、その生きた感覚が伝わってきて、読む人は心を動かされます。もちろん、年齢によって表現力や語彙力には差がありますが、幼い言葉で書かれていても、それが書き手の実感なのだということがありありとわかる文章に人は心を打たれるものです。感想文に体験実例(似た話)を入れるのも、長文の内容をいったん自分の問題として自分の内に取り込み、自分自身の生の体験を書くことで、自分の感じ方を直接表現したインパクトのある作品に仕上げることができるからです。

 そして、五感を大切にしながら作文を繰り返し書くことは、自己を確立していくことでもあります。先にも書いたように、人は何も感じなければその存在すら意味のないものになってしまいます。外とのつながりによって初めて自分の存在を確認していくものなのです。外の世界を知り、それを受け入れ、自分の内で考えることにより、人は、自分というものを少しずつ確立していくのです。感じ取ることが多ければ多いほど、私たちは心豊かに自己を充実させていくことができます。確かに、いつも何かを感じ取ろうとぴりぴりしていてはとても疲れてしまいます。でも、そんなときは、五感の喜ぶ環境に身を置くこともできるわけです。好きな絵を見たり、好きな音楽を聴いたり、おいしいお料理を味わったり……。そんなふうに五感をうまく活用しながら、自己を確立していくことができたら幸せではないかと思いますし、それこそが生きている意味なのではないかと思います。自己とは、内側に自然に備わっているものではなく、外側の世界との接触によって生まれてくるものなのです。だから、外側の世界にもっと敏感に、積極的に関わっていくことが大切なのではないでしょうか。もっと五感を活用して外側の世界とのつながりを強めればきっと自分の内の何かが変わってくると思います。

小論文自動採点の是非

2005-02-25 | コラム
 朝日新聞一面を飾った小論文自動採点のニュースは、さまざまな波紋を呼んでいるようです。疑問視する声も少なくはありませんが、小論文の評価に自動採点ソフトを利用することは奨励されるべきことではないでしょうか。
 なぜなら、まず第一に、客観的な判断が即座に下されることによって、意欲的に勉強することができるからです。私の勤務する作文教室でもパソコン入力の小論文の評価には「森リン」という自動採点ソフトを利用していますが、このソフトを利用するようになってから、生徒たちは、「森リン」での高得点を目指して以前より意欲的に作文に取り組むようになりました。
 また、第二に、自動採点ソフトの登場によって、入学試験に小論文を課す学校が増えることが予想されるからです。人間による採点に手間と時間がかかるという理由だけで作文・小論文を入試科目から外すというのは非常に残念なことです。自動採点ソフトを利用することによって入試に小論文を課す学校が増えることは望ましいことだと思います。
 確かに小論文の判定を自動採点ソフトのみに頼ることはできないでしょう。しかし、その使い方は私たち人間に任されています。小論文自動採点ソフトは、使い方次第で、大きなプラスの力となるにに違いありません。

小論文自動採点ソフト「森リン」における三種類の語彙

2005-02-16 | コラム
 素材語彙は、接続詞などあまり特徴のない語彙を除いた語彙です。素材語彙を増やすには、同じ言葉を繰り返さないことが鉄則です。繰り返し使われている言葉があったら、ほかの言葉に言い換えられないかどうか考えてみます。「やって来る」を「訪れる」と言い換えたり、「強固」を「強靭」や「頑強」に置き換えたりといった具合です。

 重量語彙とは、漢字を使った熟語です。たとえば「取る」という言葉を「取得する」に変えると重量語彙になるわけです。重量語彙を増やすことは素材語彙を増やすことにもつながります。重量語彙は、普段の会話では使わない難易度の高い言葉が多いので、読書などによって難しい語彙を身につけておく必要があります。四字熟語などの勉強も役に立ちそうです。ただし、重量語彙を多用しすぎると、文章全体が硬い感じになり、しなやかさがなくなるので、読みやすく、わかりやすい文章を目指すなら使いすぎにも注意する必要があります。

 強力語彙とは、「しかし」「ゆえに」「~ならば」「~はず」「~だろう。」「~と思う。」など、意見を組み立てていくときに使う言葉です。強力語彙は、のべ数でカウントされます。つまり、同じ言葉でも、強力語彙と分類されている言葉が現れる度にカウントされるので、極端に言えば、文末に「~だろう。」や「~思う。」などをつけていけば数は増えるのですが、実際にそれをすると、とても不自然で幼稚な文章になってしまいます。ですから、文末を工夫するよりも、仮定の表現を入れたり、接続詞を効果的に使う工夫をした方が作品全体の印象がよくなります。

ちょっとひといき ~血液型と作文~

2005-02-13 | コラム
 血液型による性格判断がはやったのはもう一昔前のことになりますが、当たっているような気がするのは私だけでしょうか。生徒の作文を読んでいると、「きっと●型だろうなあ。」と見当がつくことがあります。

 名前や数字をとにかくくわしく書くA型の男の子。しばらくそんな調子が続きましたが、ひたすらほめ続けたら、会話やたとえも上手に書けるようになりました。どうしても書けないと頭をかかえていたこともありましたが、そんなときもちょっとしたアドバイスをした後、ひたすらほめる。そうしたらすらすらとすばらしい作文を仕上げてくれました。初めて感想文を書いたときも、「○○君は感想文が得意だね。」と言うとすっかりその気になった様子で、次の月も「僕、感想文得意だから。」と、はりきって書いてくれるようになりました。

 中学生の○○君はB型。小学生の間は、むらのある作文が続きました。もちろん、自分ては毎回精一杯書いているのですが(それは伝わってくるのですが)、言いたいことがうまく伝わるときとそうでないときがありました。でも、ひたすらいいところだけをほめ続けていると、中学生になってからは、個性的ないい作品が続くようになりました。実例がユニークで、読む人を飽きさせない作品です。また、小学生の○○君は、「いちばん書きたかったことを丸で囲んでね。」と言うと、単語ではなく、一文字ずつ丸で囲みました。このような丸の囲み方をする生徒は初めてでした。思わず、「B型?」とたずねると、「どうしてわかったの?」とのこと。この○○君も今は感想文などもとても上手に書けるようになりました。

 O型の○○ちゃんは、とにかく豪快。特に会話などは、つつみかくさず、そのままを書いてくれます。会話なので、まあいいかなと思いながら、これもまたほめ続けていると、おうちの人にたくさん話を聞いてきて、そのまま書いてくれるようになりました。お母様も非常に協力的で、作文でも、感想文でも、聞いた話が必ず入るようになったのです。同じくO型の○○君は、とにかく話すのが大好き。キーボードに乗せた手よりも口の方が活発に動いていました。やっと入力した作文は、事実だけのオンパレード。それでも「よくがんばったね。」と言うと、非常に満足気な顔。自分の気持ちを書くようにアドバイスをすると、少しずつ思ったことも書けるようになりました。

AB 最後になりましたが、AB型の○○君。お休みせずに、毎回まじめによくがんばっていいます。むずかしい課題にもポーカーフェイスで、積極的に挑戦し、じっくり仕上げてくれるのですが、どうしてここにこの話が来るのかと思うくらい極端な実例が挙げられていたりして、講評に悩むことも少なくありませんでした。見守り続けて数ヶ月。いつの間にか、コンスタントにまとまりの良い作品が書けるようになっていました。得意分野がはっきりしていたので、そこを生かしながら毎回うまくまとめています。

 もちろん、血液型と作文に関係があるとは言い切れません。同じ血液型でも、一人一人その性格は違っています。書いた作文もそれぞれに個性のあるすばらしいものです。でも、共通して言えることは、見守り、ほめることがいかに大切であるかということです。最初から完璧を求めないことが大事だと思います。