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昨日は調整のジョギングをこなして、今日はトレラン休養日
久々の『観光』だ。
京都に通うようになって初めて、坂本龍馬のお墓参りをいたした。

まずはお決まりの祇園さん、すなわち八坂神社に参拝。
春の日差しが明るい。

八坂神社南門の桜もちらほら咲き始めている。


南門から真っ直ぐ下河原通を歩いて、石塀小路なんぞの春先の風情を確かめてから、八坂通りを東山に向かって左折。
坂を上れば京都霊山護国神社。明治天皇の発案で、幕末の志士らを祭った招魂社がルーツだ。

0900過ぎに到着してまずは本殿へ参拝。二人の龍馬にご対面。

龍馬の墓に向かうには、自動改札のような機械に300円を支払って通り抜けなければならない。

改修工事で敷く石板には、龍馬や幕末の志士を慕う老若男女の熱いメッセージが画かれている。
トップ写真は気に入った一枚。若い人...女性だろうか。素直でシンプルで、想いが伝わってくる。
わが国もまだまだ捨てたもんじゃない...とおじさんは思う

坂本龍馬のお墓である。

左龍馬。右中岡慎太郎。
 ともに眠る。
その、人生。

その姿。

ほんとに参拝者が絶えない。


世の中を動かそうとする仕事は大雑把だから、命懸けでやればなんとでもなるのだ...と姉の乙女に書いた手紙があったと思うが、まあ人間のでかいこと
どうしようもない器の違いを、つくづく感じる。

武田鉄也が、「竜馬のどこがいいんだとずーっと考えたんだけど、この人は絶望したことがないのだ。そこが人を引きつけるのだ」と。

明るくてはしっこい。喧嘩に強くて優しくて、ちょっとエッチで女にモテる。瞳はいつも未来を見て、けっして絶望しない。ヒーローそのものじゃんか。青天大聖すなわち孫悟空のような輩だったのかもしらん。龍馬って人は。

そういえばこの人武田鉄也は、先日の京都紹介番組で、龍馬の墓の前で目頭を押さえていた
「金八先生と呼ばれ、緒方洪庵先生と呼ばれ、龍馬の師匠・勝海舟役をもらってこれ以上の光栄はない。先生役はこれで打ち止めだ。卒業する」とも言い切っていた。
武田さん。僭越ながらあんたの気持ち、僕(やつがれも)もわかりますよ。勝海舟、やり遂げてください。

幕末志士も多くがこの地に眠る。

高杉晋作の墓には真新しい花が供えられていた。一番でかい墓は桂小五郎こと木戸孝允。最上段にどっかりと。妻の幾松とともに眠る。

敷地内の昭和の社では、極東軍事裁判で日本の弁護をしたインドのパール博士の記念碑も。
風海庵も敬意を表します。

霊山護国神社参拝後は、すぐそばにある幕末維新ミュージアム霊山歴史館で、龍馬とその時代をおさらいする。館内の写真撮影が禁止なのが残念ですが、わかりやすい展示と映像で面白い。龍馬の手紙や、軍艦操典とか当時の資料をじっくり見たいもんです。
軍艦操典など船を動かすための文献は、帆船艤装や航海用語の外国語を必死に日本語の発音に置き換えようとしていて、実に興味深い。

1000の開館とほぼ同時に入館したのだが、一時間ほどで出る頃には、入口は大混雑。ブームとはいえ、みなさん龍馬が好きなのですな~。

清水寺に向かう二年坂は混雑。まだ行ったことない三十三間堂まで歩いて、千手観音を拝もうかとも思ったが、まあ、今日はこのへんで。

八坂通から祇園と並ぶ花街の宮川町へ。

舞妓はんが宮川町歌舞練場にはいってゆきました。宮川町通には“変身処”という舞妓体験のお店がけっこうあって、並ぶほど繁盛しているお店もあった。

団栗橋からみた上流の四条大橋。春めいてますなあ。


高瀬川の桜も咲き始めた。


ランチは新福菜館の真っ黒ラーメンと餃子。
すっと河原町から阪急に乗って帰りました。

さて来週は桜もさらに開花して、いよいよ春爛漫も近づく京の町。
さあ来週はどの山道を桜を愛でつつ走ろうか...とも思うのだが、龍馬の香りをかいだ今、水平線と青い波濤が恋しき風海庵でもありました

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