想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

おろかなひと。

2012-09-23 16:28:08 | 日記

昨日、K君と喧嘩したのだった。
食材を買ってくれるのは非常にありがたいのだが、
高級志向の彼の価値観にズレを感じていた。
牛肉のステーキだの、まぐろのトロだの、
そりゃおいしいけれども、
私達には別にそれではなくても他に必要なものがある。
旬な食材をバランスよく、適度に食べてゆければそれでいい。
ぶっちゃけ、高級肉食うなら、青さかな、納豆、豆腐、米…
新鮮な野菜などを買って出費を抑え、
なおかつ、余命の短い父にお金を返してやってくれと、
どれだけ云いたかったか。
でも、昨日は耐え、また今日買い物に行くとなって、
私は彼にちゃんと伝えなければならないと思った。
将来一緒にいられなくても、
その可能性が限りなくゼロに近くても、
父への返済は最後までちゃんとやってくれるのか。
娘とも、今後もいい関係でいてくれるのか。
その上で、私とはきれいに縁を切ってくれるのか。
将来、もう一回やり直そうというあてにならない約束を、
私はとうに諦めて、心変わりをした。
もうひとりでやってゆきたいのだ。
ひとりになりたい。
それを知ったときのK君の反応が恐くて、
ずっと云えないでいた。
この人は危険だ。
突然、手のひらを返す悪癖を持っている。
借金に負われて、実家の両親に助けを求め、
断られると、今からコンビにを襲うだの、
やくざをけしかけるだの、玄関の水槽を割って大暴れして、
そうまでして、親から金を奪ってゆく。
その時の彼の形相が、あまりにも普段とかけ離れていて、
おかーさんは「まさか薬でもやってるんじゃ…」と勘ぐったほどだ。
興奮するともの凄く早口になり、
欲しいものがあるとこちらがうなずくまで喋り続ける。
もの凄い早口で。
それが、とてつもなく恐ろしく、
私は、絶対に娘の前では彼との口論を避けてきた。

もし、将来一緒にやり直す気もないのに、
それを黙っていたら、いざというとき彼はどうするんだろう。
それを考えると、一刻も早く、伝えるべきなのかも知れない。
そして、それを決心した。

今日は、云うぞ。

が、そう決心したとたん、恐ろしい動悸がはじまって、
慌てて頓服を飲んだ。
動悸を抑えても、今日は云わねばならない。
動悸は治まらず、またひと粒。…もうひと粒。
…おさまらない。
安定剤を飲む。
また悪い癖が出て、ばりばりラムネを食べるが如く、噛み砕く。
気づいたら、一体どれ程の量を飲んだか判らなくなった。
それでも、動悸は治まらず…

料理酒を飲んだ。

吐き気をこらえて、泣くのもこらえて、
動悸が去るのを待った。
その状態で「ケーキバイキングに連れてゆけ」と命令し、
行く道中、2回吐いた。
事情を知らない彼は「そんな状態でケーキを食べるのか?」と云い、
結局はいつものスーパーで、いくつかケーキを買ってくれたようなのだが、
残念なことに、
その先の記憶が無い。
家へ帰った記憶も、ケーキを食べた記憶も、
ない。
しかし、ちゃんと吐いたときのための洗面器はベッドの横にあり、
K君が「じゃあ帰るけど、大丈夫?」と云ったのは覚えている。
そして、大量の薬とアルコールを摂取したのを思い出し、
とりあえず、水を飲もうとし、キッチンへ行く。
が、水すら受けつけず吐く。
もう寝ているしかない。身体の自然浄化の力を信じるしかない。
しかし、本当に苦しいと、眠りに落ちることすら不可能だった。
苦しくて、右に左に転がって、
このまま死ぬのかな…と思った。
ここで死んだってみんな何が起こったかも判らず仕舞いだろう。

水を摂取するまで、どうにかこらえて、
水を沢山飲むと、自然に眠れた。
さすがに夕飯は食べられなかったが、
ダンナサマの夕飯は作ることができた。
寝る間際、娘と談笑するまで快復したが、
毒気はなかなかおさまらず、
吐き気に襲われるたび、うっすらと意識が戻り、
ずっと洗面器を抱いて寝た。

こんな状態で、
1日大変だったので、梅干を送ってくれた友人にお礼のメールも出せなかった。

別れを切り出すほうも、辛いのだ。


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