想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

残酷な朝。

2023-06-27 13:34:00 | 日記
【親を見限った日】

昨夜は、鴨川シーワールドの入社式をYouTubeで見ていた。カッパを着込んだ新入社員が、シャチ君のプールで熱烈な海水シャワーの洗礼を受けていて、実に羨ましかった。見ていて自然に涙が溢れてくる。いいなぁ。自ら望んでここに来た人たちだろう。希望に満ち溢れて、胸もいっぱいなんだろうなと。私が社会人になった時は、親に凄く残酷なことをした。理容店を継ぐことを両親共に望んでいたし、それ以外は許さないとじいに言われた。言われるままに資格も取ったが、やはり気持ちは満たされなかった。その中途半端な気持ちが、やる気のなさに繋がり、親はやはり一度は家を出て、他人の店で修行させるべきだったと考えたようで、じいが親類に修行先を探し始めた。私はこのままじゃ今度こそ親の言いなりだと悟り、ある朝、店の白衣ではなく、スーツに着替えて家を出た。もちろん何処かに就職するつもりで。親には弁明も説明もしなかった。無言で家を出た。求人誌を手に1週間くらいで、就職先が決まった。特にやりたい仕事じゃない。でも、自分で選んだというところに意味があった。じいは落胆し全てを諦めた。母は、普通なら、子供が就職したら親が喜ぶところなのに、うちは喜ぶ人がいないから、お前も寂しいでしょうと言った。そんな母も、修行時代、理容師を辞めたくて、内緒でタワシ工場に面接に行こうとして、ギリギリのところで師匠に止められた経験があったから、私にはもう何も言えなかったのかも知れない。就職祝いに何か買ってあげると言われたが、嬉しくもないのに、買う必要はないと私は言った。本当に何もかも、虚しかった。今考えれば、あの歳は若くていくらでも可能性があるのに、全てを諦めて、夢も捨てた。今の私なら、貯金を叩いてでも、取りたい資格を取ったと思う。今はもう本当に手遅れだ。今こそ本当にもうやり直しができない。無言で家を出たあの朝。じいはどんな想いで私を見送ったんだろう。母とどんな話をしたんだろう。悔しかったかな。惨めだったかな。家を出た私も、最悪な気分だったよ。

【除草剤代】

しばしば、おじきが庭に除草剤を撒きに来てくれているので、駐車場の部分は雑草が生えずに助かっている。その除草剤の代金を払いにおじきの家に歩いて行った。なんか話もしたくない気分で、在宅じゃないと良いなと思っていたが、家にいらした。黙って帰る訳にもいかず、お金を渡して少し話をしてきた。じいの面会が緩和されたことを告げると、今度一緒に行きたいと言うので、とりあえずおじきの休みを聞いておいた。話しをしている間、変に緊張して汗をダラダラかいていた。帰り道、腕をだらんと垂らしたら、指先から汗がポタポタ落ちた。どういう体質なん?

【サラダチキン】

初めて、炊飯器でサラダチキンを作った。材料もシンプルで、驚くほど簡単で、美味しいサラダチキンができた。買うと結構な値段するから、作った方が良いと思った。夕飯は、サラダチキンとホッケの塩焼き、めかぶ。炭水化物は抜いた。無性に🍞が食べたい。

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