想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

病は進行している。

2012-11-04 16:01:26 | 日記

ダンナサマの指の動きも、
日々、確実に鈍くなっている。
今は1cm動くかどうかの瀬戸際で、
その可動範囲で、どうにか排尿と食事を行っている状態。
食事に関しては、途中で全く動かなくなることも増え、
口まで運んで差し上げることも抵抗がなくなった。
つい最近まで、蒸しタオルを手渡せば、
自分で顔を拭けたのに、
もう腕が顔まで上がらない。
顔を腕の方に傾けることもできない。
排尿も、朝はものすごく時間をかけて行っている。
男の方なので、
ズボンのチャックを下ろし、下着の奥からひっぱり出して、
尿器の口に差し込まなければならず、
その動作が、もう限界に近づいている。
手を貸すのが介護なのだろうけど、
そこは男と女の違いで、
簡単にはいかない。
昨日、妹とそれができるか確認しあったが、
仮に私たちがやったとしたも、
子供たちには強いられないという結論に達した。
かと云って、私たちだけでやることにしても、
大半は、私の役目になるだろう。

…重すぎる。

いっそ、管をいれてくれれば本人も楽だろうに、
まだ受け入れてはくれない。
どうにもならなくなった手で、
何度も失敗を繰り返して、受け入れてゆく過程なのかも知れない。

ケアマネさんに、相談するしかあるまい。
厳寒期のリハビリ入院も、
受け入れてくれないことには、
あまりにも私の負担が重過ぎる…

娘のためにも、働かなければならんのだ。
食べるために、外貨を稼がなくてはならない。


そうして、昨晩も羊毛フェルトがどうにも思うように進まないのに、
迷いが生じてきた。
不用品を売りさばいてはいくらかの収入につながっていたが、
もっともっと必要なのだ。
それなのに、作業は進まず、
時間だけが容赦なく過ぎ、
材料費が重なってゆく。
負のスパイラルに迷いこんでしまった。

考えを変えるべきなのか?
アイデアはまだ他にもある。
見切るべきところなのか?

とりあえず、
今日のところは、おでんと納豆とご飯を用意できた。

一番の解決方は、
ダンナサマの入院。

それに、踏み切れない。
どうしても、それが云い出せない…



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